期末試験⑥/九尾狐
音も気配もなく現れた女は周囲を見渡しながらゆっくりと進む。
「ほう……火界咒(かかいしゅ)か。何もかもを焼き尽くす大火。これなら儂の陰が祓われるわけだ。ふむ、興味深い。これを使える陰陽師が存在していようとはな……」
琥珀色の長髪に着物を着崩した姿の女がふと、視線を向けた先。渚杜と目が合った。女は双眸を細め、口角を上げた。対照的に渚杜には悪寒が走る。同時に痣が熱を持ち、痛みを伴った。苦痛に耐える渚杜に気付いた奏冴と智景が護るように渚杜の前に立つ。さらにその後ろに式神二人が構えた。
「いやはや、実に勇ましい。狐が二匹……否、四匹か。どれだけ増えようと儂の敵ではないわ。……失せよ」
女が片手を上げてゆっくり降ろすと四人は膝を付いた。立ち上がろうにも上から何かに押さえつけられているみたいに押し戻される。抵抗している間にも女はゆっくりと歩を進める。そして、渚杜の正面に立つと見下ろしてきた。
「貴様はあの時の童か。ふふっ、ははは! 呪いを掛けられた身でなお足掻くか。……全くもって無駄な事を。その顔。痣が疼くのか? 可哀想に……痛いか? 苦しいか? いっそ死んでしまった方が楽になるのになぁ……」
女は渚杜の頬を指先で撫で、首から胸元へ遣わせ痣に触れながら端正な顔で嗤う。女はひとしきり嗤うと狐耳と五本の尻尾を生やした。
「この姿。見覚え、あるだろう?」
渚杜の脳内にノイズが走るように記憶が断片的に蘇る。
『二度と生まれ変わらぬように呪詛を掛けてやったのだ。それが完成すれば童は魂ごと消滅し、生まれ変わることはない』
「っ、……」
貧血か、それとも記憶が蘇ったことへの負荷か、頭痛に襲われた渚杜が俯く。けれど、九尾はそれを赦さないと言わんばかりに渚杜の顎に指を添えて上を向かせた。
「九尾……」
「思い出したか? ふふっ。もっとよく見ろ。貴様がかつて想いを寄せた者の顔だ、と言っても童には分からぬか。感動的な再会だと言うのに、ちっとも嬉しそうではないな」
ふむ、と思案する九尾に気付かれないように渚杜はレッグポーチから霊符を取り出して後ろ手に隠した。
「何をしにきた……」
「何を? ああ。気まぐれよ。この町に放った儂の陰たちの回収を気まぐれで行ってみれば、貴様がいた。それだけのことよ。天狐に抉られた傷の修復のために陰を放ち、人間たちを喰らいそれを儂が回収する。おかげでここまで回復したわ」
ククク、と九尾は傷跡を擦りながら嗤う。
「……俺を殺そうとは思わないのか? 呪うくらい憎いんだろ? 今殺してしまった方が早いんじゃないか?」
「貴様を殺す? はは! あははは! ここでは殺さぬよ。せっかく呪いを掛けたのだ。完成を目前に殺してしまってはすべて水の泡だ。その呪いもあと数か月で完成する。天狐が呪いの進行を食い止めようとはしているようだが、無駄よ。貴様の寿命も残り僅か……知っておったのだろう? どんな気分だ?」
九尾の問いに渚杜は答えない。ただ、相手を見つめ返すのみ。そして後ろ手に隠した霊符をいつ使うかタイミングを計っていた。渚杜の反応に九尾はつまらなそうに息を吐く。
「小賢しい真似を。無駄だと何故変わらぬ」
そう言いながら渚杜の霊符を燃やした。灰となり風に流されて行く霊符に焦燥感が募る。目の前に九尾がいてまだ完全には傷が癒えていない状態。倒すなら今しかない。だが、先程から痣と肩の痛みで頭が働かない。頼みの霊符も燃やされてしまった。奏冴たちは九尾の力に押さえつけられており未だに動けない。
(どうする? 何か方法は……)
「ふむ。儂を殺そうとしているのか? 貴様には無理だ。そこの子狐たちでも倒せぬよ。あの天狐でさえ儂を殺すことが出来なかったんだ。諦めよ」
「……っ!」
「はー。呪った詫びに呪詛が完成するまでの間は自由にさせてやろうと温情をかけてやったのに……残念だ。四肢を奪われたいか? 喉を潰されたいか? 選べ……童」
冷たい瞳で見下ろす九尾に渚杜は心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚える。上手く呼吸が出来ない。体が動かない。
(動け! 動け! 抵抗しないとヤツは実行する!)
でも、どうやって? そう自問する。あと数か月の命。それまでに九尾を倒さなければ天狐を救うことは出来ない。今がその時なのに、この身体は限界を迎え、精神は恐怖心に支配されて動かない。焦りばかりが募っていく。渚杜は歯を食いしばった。奏冴と智景が何かを言っているが、声を九尾に封じられており届かない。
「卯月! 卯月!! 渚杜!! しっかりしろ! そいつは九尾本体じゃない! 分身体だ! ここに本体はいない!」
和貴の声が渚杜に届いた。ただの人間だと甘く見ていた分身体は双眸を細めた。
「ほう。見抜くか……。童、とても厄介な瞳を持っているな?」
「和貴……。ありがとう」
渚杜は九尾の手を払い「諸余怨敵皆悉摧滅(しょよおんてきかいしつざいめつ)」と唱え、指を弾いた。青白い炎が上がり分身体を燃やす。相手は悲鳴を上げる事なく受け入れていた。分身体の体が少しずつ崩れるのに合わせて奏冴たちの体に自由が戻る。
完全に分身体の気配が消えたのと同時、疲労と貧血で渚杜の体が傾いだ。踏ん張る力もなくそのまま地面へと倒れそうになる渚杜に式神二人が駆け寄るも早く、奏冴と智景が抱きとめた。渚杜の意識はそのまま落ちていった。
暗い祠の奥に一人の女が座っていた。狐耳の女は五本の尻尾を揺らしならが妖しく嗤う。
「童の命は残り僅か。ヤツが消滅すれば何も恐れる者はない! 儂を倒せる者はもういない! ククク、カカカッ! 足掻けるものなら足掻いてみよ童。何も出来ぬまま死んでいく貴様の顔くらいは拝んでやろう……」
狐はそう言って端正な顔で嗤った。
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