固有結界⑤/卯月渚杜③

 「ちょっ! なん……」


 暗転に渚杜が少女を見た。続きは!? と言いたげな顔をする相手に少女は肩を竦める。渚杜の記憶を見せていたのだから、暗転したのは途中で気を失ったからなのだろう。そう少女は告げた。


 「幼子にとってこれだけの妖気を浴びればキャパオーバーになるのも無理はない。よく耐えた方だと思うけど。……どうなったか視たいか?」


 少女の問いに渚杜が頷く。けれど、一つの疑問が浮かぶ。今見ていたのは自分の記憶を映像化したもの。天狐と九尾狐の戦いを他に見ていた者はいないはずだ。もちろん、少女もいなかった。いったいどうやって見せることが可能なのだろう。

 渚杜が疑問を口にする間もなく再び天狐と九尾狐が映った。ただ、先程と異なる点は九尾狐よりの視点だという事。激しい戦闘が行われていたのだろう。辺りは火に包まれ、地面が抉れていた。抉れた地面に血だまりがいくつも出来ており、双方血を流している。深手を負っているのは九尾狐だった。


 『ぜぇ……はぁ……、っ、おのれ……、天、狐……!』


 息を切らしながら天狐を睨む九尾狐の胸には穴が空いている。一方、天狐の手は血で染まり、血が滴り落ちる。


 『外しましたか。位置は覚えました。次は外しませんので』


 よろける九尾狐に天狐が狐火をいくつも放ち、意識を削ぐ。その間に距離を詰めて九尾狐の胸に手を突っ込んだ。


 『ぐっ……! やめろ! 貴……様、何を……っ!』


 『大人しくしてください。ああ、有りました』


 天狐が中で何かを探り当てる。それを切り離すと九尾狐の体内から手を引き抜いた。


 『何、を……ぜぇ、した……っ!』


 血を滴らせながら九尾狐が問うが、天狐は答えず無言で蹴りを入れる。胸を抑えながら膝を付く九尾狐に渚杜は目を丸くした。先ほど見た九尾狐と異なる点が一つだけあった。


 「尾が……減ってる」


 九つあった尾は天狐に胸を貫かれてから五本に減っていた。


 「気付いたか?」


 「どういこ……っ!?」


 隣に立っている少女に問おうとした渚杜は目を丸くした。彼女の背後から尾が四本生えている。琥珀色の尾は九尾狐と同じ色だ。


 「君は」


 「そうだ。私は九尾狐。……正確には九尾狐から分けられた者。器の人格が強く残る部分を天狐が切り離し、この形を形成した者だ。どうとでも受け取るがいい」


 二人が会話をしている間にも記憶は進んでおり、天狐が追撃をしようと動いたのに合わせて九尾狐は妖怪たちを呼び出した。その隙に九尾狐は逃亡し、追いかける気はなかったのか天狐は妖怪たち殲滅すると、宙に何かを放った。唱えるとすぐにそれらは形を成す。形成された者は渚杜の隣居る少女と同じ姿だ。


 『何のつもりだ』


 『私、奪われた者は取り戻したいんですよね。それに、私はこの後いなくなります』


 『は!?』


 少女が天狐を見て目を丸くする。九尾狐との戦闘で彼女も傷を負っており、深い傷から血が滲み、着物を染めていく。吸収しきれない血は地面に流れた。


 『おまえ……』


 『この傷は癒えるのに時間を要しますね……。これではあの子の足手まといになります。なので、私は残りの力を全て使って渚杜の呪詛の進行を遅らせることにします』


 『……そんなこと、あの子が望むとでも?』


 『望まないでしょうね。それどころか、自分が外に出たことを責めるでしょう』


 『分かっているなら!』


 少女が声を荒げた。それでも天狐は静かに微笑むだけ。少女は口を閉じた。


 『私に何をさせたい』


 『させたいだなんて。……渚杜を助けてほしい。いなくなる私の代わりに。九尾狐を、あの怨霊を倒すことはあの子の願い。倒して貴女を助けたい、とあの子は願いました』


 『……バカだな。あいつも、お前も。闇に呑まれた私の事なんて放っておけばいいものを。本当に……バカ者だ』


 声を震わせる少女に天狐は静かに瞳を閉じて『そうですね』と返すと相手の額に自分の額を合わせた。双眸を閉じた天狐は己が千里眼で見たものを託した。


 『……怨霊の勝利は渚杜の永遠の死、か』


 『はい。魂ごと消滅しますから、二度と会えませんね。今回が最後の機会です』


 『最後の機会も何も、最初で最後ではないか……』


 呆れたように言う少女に天狐が笑う。


 『頼みましたよ……』


 時間がないのか、天狐が真剣な顔で少女に言う。察した少女は『分かった』とだけ返すとその場から消えた。それと同時に映像が途切れる。


 「ねえ、君が確かめたかったことって何?」


 渚杜の問いに少女が見上げて「そうだな」と零して視線を逸らす。宙を見上げて双眸を細めた少女が口を開いた。


 「渚杜。お前はなぜあの時、泣いている女に近づいたんだ?」


 「え。何故って……」


 雪の中、少年を抱きしめて泣いている人を知っている気がした。彼女の泣き顔は胸が苦しくなり、泣いてほしくないと、涙を止めたいと幼いながらも思ったのだ。それを口にすると少女は泣きそうな顔で笑った。


 「バカだな。お前は生まれ変わっても変わらん大バカ者だ……」


 震える声音で告げる少女は涙を堪えているように見える。渚杜が声を掛けようと口を開きかけたが、それよりも早く少女は次を紡いだ。


 「前世の記憶がないお前がどうしてあの幻術に反応したのか……知りたかったんだ。目的は果たした。……あいつの最後を視る勇気はあるか?」


 「っ! 白藍の最後……」


 提案に渚杜は喉を鳴らした。先ほどから見ている記憶の流れから察するに白藍は死を覚悟している。渚杜が聞かされていた話とは異なる現実。薄々気付いてはいたが、信じたくないとどこか目を伏せていた自分がいる。けれど、彼女の選択を、覚悟を受け入れなければ前には進めない気がした。全て知った上で改めて自分のやるべきことを成す。そう決めた渚杜は唇を引き結んで少女に向かって頷いた。


 肯定と取った少女は「そうか」と零すと指を鳴らした。視界が変わり、再び白藍を映す。彼女は渚杜を結界から出したところだった。渚杜が白藍を見て泣いている。血まみれの彼女に縋り付き、何度も『ごめんなさい。ごめんなさい』と謝罪を繰り返す。愛し子を抱きしめた白藍は浅い息を繰り返しながら首を弱く振った。


 『謝らないでください。貴方のせいじゃない。むしろ私は誇らしいんですよ』


 涙に濡れた瞳で白藍を見つめる渚杜に彼女は微笑んだ。


 『記憶を引き継いでいないはずの貴方があの子の事を覚えていた、それが嬉しい。……大丈夫。絶対に思い出しますよ。あの子の大切にしている物を取り戻して、くださ……い』


 話すだけで傷が痛むのだろう、白藍は苦痛に顔を歪ませた。息を切らし始めた彼女は限界なのだろう。白藍の痛ましい姿を見ている渚杜は唇を強く噛み、相手を見つめる。


 「白……」


 『天狐様!』


 言いかけた渚杜は被せられた柊乃の声に口を閉じた。九尾狐が撤退したことで百鬼夜行は終わり、残党を片付けた柊乃が一番に戻った。惨状に目を丸くしていた柊乃は次に白藍の姿を目にして息を呑んだ。駆け寄る柊乃に白藍は安堵の表情を見せる。


 『おかえりなさい、柊乃』


 『天狐様、いったい何が……。それにこれは』


 説明する時間が惜しいのか、柊乃を手招きして呼び寄せた白藍は少女にやったのと同様に千里眼で視たもの、情報を託した。


 『柊乃、今から私はこの子の呪詛の進行を遅らせます。……後の事、頼みますね』


 『そんな、待ってください。私は貴女のようには出来ません』


 託された柊乃は力なく首を振る。千里眼を持たない柊乃は白藍のように振舞う自信がない。そんな彼女の頬に手を添えた白藍が柊乃の考えを否定するように首を左右に振った。


 『柊乃。貴女に出来ることをしなさい。それは雪邑も、奏冴もそして智景も同じです。みんな私の自慢の家族。それぞれに誇れる能力を持っているのですから……、ね』


 そう言った白藍は渚杜を柊乃に預けると、何かを呟いた。別れを察した幼い渚杜が柊乃の腕の中でもがく。『いやだ、いやだ! しらあい、しらあい!』と泣き叫ぶ幼子に白藍が最後の笑みを見せた。


 『信じてますよ。私の大切な渚杜。……して、ま……す』


 最後の言葉が途切れ途切れで聞き取れない。白藍へ伸ばされた渚杜の手が届かないまま白藍は倒れた。大泣きする渚杜をきつく抱きしめる柊乃は奥歯を噛みしめながら涙を堪えるけれど、堪え切れない涙が頬を伝う。遅れて駆け付けた雪邑、奏冴、智景は倒れる白藍と地面に力なく座り渚杜を抱きしめながら泣いている柊乃を見て息を呑む。泣きながら柊乃は三人に自分が見た光景を共有した。


 『……クソッ!』

 『ぁああああ!』

 『っ、……いや。いや……天狐、様っ』


 雪邑は自分の無力さに地面を強く殴り、奏冴は叫んだ。智景は力なくその場に崩れ落ちると否定するように首を振り両手で顔を覆った。


 「……あ。だからあの時二人は……」


 九尾狐の陰と戦った際、駆け付けた奏冴と智景が『今度こそ間に合った』と言ったのは自分たちがもう少し早く駆けつけることが出来ればと後悔を抱えていたからなのかもしれないと今になって思う。あの時の言葉を思い出しながら渚杜は言葉の重みを噛み締めた。


 四人が悲しみに暮れる中、彼らの元に複数の足音が聞こえた。そちらへ視線を向けると、和服を着た初老の男性、女性と他にスーツ姿の男たちが立っていた。彼らは一定の距離を取りリーダー格の初老の男が指示を出すと、スーツ姿の男たちが周囲に結界を張る。


 渚杜を護るように強く抱きしめた柊乃をさらに庇うように三人が男たちと対峙する。


 『何者ですか。ここは天狐様の領域です。部外者は即刻立ち去りなさい』


 毅然と言う柊乃に男は自分たちは中務省の者で、渚杜が九尾狐に呪詛を掛けられた情報を手に入れやって来たのだと話した。呪詛を掛けられた時点で渚杜は危険人物として認定され処刑対象となった。彼らは渚杜の処分をするため回収に来たのだと話す。


 『九尾狐が現れてから何も対処出来なかったくせに、こういう時だけ対処が早いのか』


 低い声音で唸る雪邑を男は一瞥した。反論することなく淡々と部下に指示を出す。男たちが咒文を唱えると四人の体が捉えられた。通常であれば回避出来たのであろうが、先程まで妖と戦闘をしていた彼らの体力、神力は激しく消耗していた。男たちが使ったのは対狐用の術。拘束されながらも渚杜を離さない柊乃の手を鎖はきつく締め上げた。皮膚が裂けて血が流れても柊乃は意地でも渚杜を護ろうとする。そんな彼女から男たちは渚杜を取り上げた。


 『あ……。ダメ、やめて。その子を連れて行かないで!』


 『聞けん。こやつの処分は中務省が預かる。最も、過去の例からすれば処刑は免れんがな。おい、狐憑きだぞ。呪われないように気を付けろ』


 『くそ、くそっ! 渚杜を連れていくな!』


 『やめて。お願い……。その子まで失ったら私たちは……』


 奏冴の叫びと智景の懇願を無視して男たちは渚杜を連れていく。幼い渚杜は泣きながら柊乃たちの名前を呼んでいた。それを最後に再び記憶が途絶えた。


 「……っ」


 俯いた渚杜を少女が見上げる。掛ける言葉は見つからず、少女はただ見つめるだけだ。見せない方が良かったのだろうか、と後悔していると渚杜が袖で目元を擦った。


 「……。あの後、俺は記憶を封じられて中務省の管轄する地下牢に入れられて処刑待ちだったところをじいちゃんに助けられたんだ」


 「そうか」


 「白藍は記憶を封じられることまで千里眼で視ていたのかな?」


 「……さあな。これでお前に見せられる記憶は全部だ。戻るぞ」


 渚杜の問いに少女は短く答え、固有結界を解こうとする。解ける前に渚杜は少女に向かって「ありがとう」と告げた。受け取った少女は無言で顔を背けると指を鳴らす。途端に暗闇からファミレス近くの道路に戻った。


 予想外の光景に渚杜が「え!?」と声を上げる。隣にいた少女は額を抑え溜息を吐く。


 「おや。我が主、それに渚杜くんもおかえりなさい。早かったですね」


 先に気付いた明彦が笑みを向ける。遅れて黒緋と裏柳、和貴、それといつの間に合流したのか奏冴と智景が気付いて動きを止めた。


 「あ、渚杜」

 「主(様)」


 状況から察するに渚杜が固有結界内にいた間に明彦と戦闘が行われていたらしい。悠真と綾音は戦闘には加わっていないようだ。五人を相手にしていても引けを取らないどころか余裕の表情を見せていた明彦は主の帰還に術の使用を止め、少女の元に戻った。


 「……随分と派手にやったなぁ」


 「ははは。なかなか楽しめましたよ。いい時間つぶしになりました。みなさん、有意義な時間をありがとうございました」


 笑顔を見せながら礼を述べる明彦に挑発と捉えた奏冴と黒緋が頬を引きつらせる。


 「何がいい時間つぶしだ! 俺はまだ本気を出しちゃいねー!」


 「く、黒も! まだ負けてない!」


 「……負けず嫌い」


 同時に吠えた奏冴と黒緋にポツリと智景が零した。隣で裏柳が同感だと頷く。まだ戦闘を続行しそうな雰囲気の中、行動を起こしたのは明彦だった。彼は渚杜の前に立ち、手を握ってきた。握手する明彦に殺気を放つ奏冴と智景。二人の反応に気付いていながらも気にせず笑顔で明彦は口を開いた。


 「やあ、渚杜くん。初めまして。僕は明彦と言います。以後お見知りおきを」


 「え、あ……、はい。えっと、久坂のお兄さんですか?」


 「……僕は久坂と縁を切っているので、明彦と呼んでいただければ。今の僕はその方に仕える者」


 思わず渚杜は綾音を見た。彼女は悲しそうな顔をして兄を見つめているが、口を挟もうとはしない。それには明彦も気付いているようだが、気付かないフリをしている。


 「明彦、用は済んだ。帰るぞ」


 「はい。我が主。渚杜くん、機会があれば話でも。っと、怖い保護者の目を盗んでは難しそうですねぇ……」


 わざとらしく肩を竦める明彦に渚杜は苦笑を漏らす。その間に少女は歩を進め、少し進んだ先で明彦を見た。早くしろ、と言わんばかりの圧に負けることなく明彦はむしろ嬉しそうに「今行きます」と少女の後に続いた。


 「あ、兄様!」


 去ろうとする兄に綾音が声を上げる。妹の声に立ち止まった明彦は振り向くと、笑みと共に手を振るだけで背を向けてしまう。これ以上語ることはないと言わんばかりの反応に綾音は何も言えなくなり俯いた。何となく事情を察してしまった和貴は掛ける言葉を探したが見つからず開きかけた口を閉じた。


 明彦が去り際に指を鳴らすと、彼の張っていた結界が解かれた。結界の解除と共に二人の姿が見えなくなる。結界が解ける瞬間、明彦の張った結界の外から秘咒が掛けられていることに感心した明彦は「なかなか優秀な人がいますね」と零した。

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