固有結界①/卯月渚杜

 それぞれの事を知った三人は少しだけ前に進めた気がする。陽が落ちかけ、店内の客が増えてくる頃三人はファミレスを出た。バス停に向かい歩き出した渚杜はふと足を止めた。視線の先に二人いる。一人は長身の青年、もう一人は見覚えのある金色の髪に翡翠色の瞳の少女。夢の中で出会った少女とは再会を願っていたところだった。


 「君……は……」


 少女の隣にいた青年へと視線を向けていた綾音も目を見開いていた。


 「あ……、兄さ、ま……?」


 二人の反応に和貴が「え? なに? 知り合い!?」と困惑する。それぞれの反応に少女が口角を上げた。


 「渚杜よ、生き残っててくれて良かった」


 笑みを向けたのも束の間。低い声音で「では、始めようか」と続けた。すぐに少女を中心に闇が展開される。抵抗する間もなく三人が闇に呑まれた。


 「主(様)!」


 弾かれた黒緋と裏柳が闇に攻撃をしようと刀の柄に手を掛けた。そんな二人の肩を青年が掴んだ。


 「なに?」


 「ははは。残念ながら我が主の命により君たちの足止めをさせていただきますね」


 そう言った青年が咒文を唱えると二人の力が抜けた。傾いだ身体を受け止めた青年は「はいはい。少しの間眠っていてくださいね」と言うなり式神たちを安全な場所に移し、青年も闇の中へと入って行った。




 闇に呑まれた渚杜は周囲を見渡した。さっきまですぐ傍に居たはずの気配を感じられず、名前を呼んでも声は返って来ない。


 (これはあの子の固有結界の中か? みんなはどこに……?)


 「おーい。黒緋、裏柳? 和貴ー、久坂ー? どこだー?」


 渚杜は何度か声を上げてみたが変わらなかった。固有結界を創り出した少女を探して解かせた方が早いだろうと判断した渚杜は闇の中を歩き出した。どれくらい歩いたのか分からない。そもそも進んでいたのかも不明だ。


 (あの子は何者だろう)


 考えながら歩を進めていた渚杜の視線の先に光が見えた。小走りでそこへ向かうと光が強くなり、目が開けられなくなり反射的に目を瞑る。次に瞼を開けた渚杜が見たのは予想もしていないものだった。


 『てんこー!』


 幼い少年が一人の女性に向かって走る。和服姿の女性は少年に気付くとしゃがんで手を広げた。少年を受け止めた女性が大事そうに抱きしめて『渚杜』と愛おしそうに名を呼ぶ。


 「え……?」


 聞き間違いでなければ目の前にいるのは幼い頃の自分と天狐。どんなに思い出そうとしても思い出せなかった人だ。天狐は白銀の長髪で頭上には狐耳、尻尾が四本生えていた。


 『あらあら、渚くん』


 『おっ! 天狐様に甘えてるな渚杜』


 『渚杜、俺のところにも来るか?』


 『奏冴、ズルい。私も』


 抱き上げられた渚杜に柊乃、雪邑、奏冴、智景が寄って来た。奏冴が自分のところへ来るかと両手を広げれば、負けじと智景も両手を広げる。


 『しの、ゆきむら、そうご、ちかげ』


 四人の名前を呼ぶと柊乃たちは嬉しそうに笑う。天狐から渚杜を受け取った柊乃に文句を言う雪邑たち三人。それをみて目元を緩める天狐。何気ない日常。ずっと続くのだと思っていたものだ。アルバムのページを捲るように彼らと過ごした日々が流れていく。


 彼らの事を知っている。何で忘れていたのだろう。自然と渚杜の頬を涙が伝う。四人と出会った時に彼らが懐かしそうにしていた理由が今なら分かる。


 「みんな……」


 もう少し近くで見たいと一歩進むと場面が切り替わった。


 「!?」


 夜。満月を見上げる天狐は屋根の上に腰かけていた。風が天狐の頬を撫で、長い髪を揺らす。彼女の腕(かいな)に抱かれた渚杜が同じ空を見ていた。


 『……渚杜、私やあの子たちの事が好きですか?』


 『うん。てんこのことも、しのたちのこともだいすき! てんこは?』


 『私も好きですよ』


 返答に天狐は渚杜をギュッと抱きしめ、顔を寄せた。くすぐったそうにする渚杜を天狐が愛おしそうに見つめて再び空を見た。


 『貴方はね、私にとっての命の恩人。きっと貴方に出会っていなければ私はずっと昔に死んでいたか、九尾狐になっていました。……本来九尾狐に成り得たるのは私だったんです』


 「え……?」


 突然の告白に目を丸くする。


 『少し昔話をしましょう』と天狐が語り始めた。千年以上前、平安時代。まだ天狐へ至る前の霊狐は人間に化け人を知ろうとしていた。しかし、霊力の高い霊狐は千里眼を使い失せものを探し、未来や過去を視ることが出来たため人間に利用されてきた。

 良かれと思い告げたことで争いが起こり、血が流れた。思い通りに行かない人間からは罵倒され、時には生贄にされそうになった。次第に人間への嫌悪感が募り、恨みへと変わる。霊狐の気持ちを察しない人間たちは贄として霊狐を捧げるため、刃を霊狐へと突き立てた。

 

 命からがら逃げた霊狐の身体はボロボロで、失血が酷く息も絶え絶えだった。人間に対して負の感情が膨らみ、死んだ暁には呪い殺してくれる! と怨み言を誓った矢先、一人の少年と出会った。その少年は狐を見るなり怪我ではないことを察し、術で手当てをする。

 少年はある事情により陰陽師に育てられており陰陽術に長けていたのだ。怪我は癒えても、贄として捧げられた霊狐の魂は戻らない。少年に『もういい』と告げた霊狐だが、少年はとんでもない提案をしてきた。


 「僕の魂を半分あげる」などと馬鹿なことを言う少年に霊狐は呆気にとられたが、相手は真剣だった。少年は返事を待たず自分の魂を霊狐へと捧げた。


 何故こんな馬鹿なことをしたのかと問うと、少年は『僕ね、怨霊を鎮めるための生贄に選ばれたんだ』と平気な顔で言った。


 『同じだなって』


 『馬鹿なのですか? 貴方』


 『ははは。半分本音だよ。それにね、君と同じ狐を知ってるから放っておけなくて』


 『他の狐と知り合いなのですか?』


 『うん。悪戯ばかりするから陰陽師に祠に閉じ込められた狐。でも、本当は悪戯じゃなくて保養のためだったのに理解されなかった悲しい人。その人が言っていたんだ。生き別れの姉妹に一度でいいから会いたかったって』


 少年の言う狐に心当たりがあった。自分の片割れ。生まれてすぐ別れ、違う道を辿った片割れは既に死んでいるものだと思っていたが、少年の言葉が事実なら生きていることになる。片割れもまた人間に理解されず、封じられておきながら恨みを募らせることなく目の前の少年には心を開いているのだろうか。霊狐は少しだけ目の前の少年に興味を持った。


 『だから魂を半分渡したというのですか? その狐の細やかな願いのために』


 呆れたように言うと、少年は苦笑を見せた。片割れが会いたかったと言ったから自分を助けた? そこまでする理由が霊狐には理解出来なかった。


 『なぜそこまでするのです? 貴方には何の得もないでしょう?』


 『……その人に、抱えきれないほどの温もりと、思い出を貰ったんだ。過ごした時間は短くても、僕にとってはかけがえのない大切なもの。生贄として死んでしまうけど、綺麗な思い出を持ってあの世に行けるから寂しくないんだ』


 そう言って笑う少年を霊狐はジッと見つめた。少し罪悪感はあったが、少年の過去を視て狐と少年のことを知る。人間を理解したくて人間社会へと溶け込んではみたが、彼らの様な綺麗な思い出はなかった。少しだけ片割れが羨ましいと思う。


 『それにね、君にも生きてほしいなって思ったんだ』


 予想外の言葉に間の抜けた声が漏れる。構わず少年は続けた。


 『君はあの人と同じで人間と関りを持ってくれた。でも、人間の嫌な部分を見てしまって嫌いになってるでしょ?』


 霊狐は答えない。沈黙を肯定と捉えた少年が悲しそうに眉を下げながら『ごめんね。傷つけて、ごめん』と言いながら初めて撫でた。霊狐にとって人間が触れたのはこれが初めて。人の温もりに触れた瞬間だった。


 知らず知らずのうちに求めていたものを今、少年から与えられた霊狐は無意識に涙を零した。親の温もりも愛情も知らない。一人で生きながらその過程で人間たちの触れ合いをたくさん見てきた。だから、自分もそれを知りたくて人間に化けた。だが、美しい容姿に惹かれて近付くものは多くあれど、霊狐の求めるものを人間から貰うことは出来ず、終いには生贄として捧げられた。


 『きっとまだ知らない人間の良さがあると思うんだ。だから、もう少しだけ生きてほしい。人間の良い部分に触れてほしい。僕のちっぽけな魂じゃそんなに長くは生きられないだろうけど、少しでも好きになってくれたら嬉しいな』


 そう言って微笑む少年の手を獣姿から人間の姿に化けた霊狐が握った。溢れる涙を堪えられず嗚咽混じり霊狐は頷く。


 『……泣かないで。優しい狐さん』


 泣き止まない霊狐を少年はギュッと抱きしめた。この日、霊狐は生まれて初めて人間を好きになり、再び人間を知ろうと誓ったのだった。




 話し終えた天狐は再び渚杜をギュッと抱きしめる。


 『あの日、貴方と出会わなければ私は人間に憎悪を抱き、闇に呑まれていたでしょう。貴方に救われたから今があるのです』


 天狐の話が理解できていない幼い子供は首を傾けている。けれど、天狐は続けた。


 『その後貴方は生贄となりました。ですが、それは悲劇の始まりだったんです』


 まるで幼子にではなく、今聞いている自分に向けて話しているようだと渚杜は思った。


 少年の生贄の件は陰陽師たちにより行われた。狐はいつも来るはずの少年が来ないことを心配して祠から出てきてしまった。ようやく見つけた少年は既に死んでおり、取り乱した狐が駆け寄ると少年の命と引き換えに封じるはずだった怨霊が姿を現した。器を探していた怨霊は狐が向ける人間への強い恨みを贄として憑りついた。邪気をその身に浴びた狐は九尾狐へと変貌し、その後、久坂家の陰陽師と天狐へ至った霊狐により封じられた。


 『貴方の命と引き換えに祓うはずだったのは怨霊の集合体。器を持たない怨霊はある陰陽師の発案により生贄を用いることで祓うことが出来るはずだった。けれど、失敗。そして器を手に入れる機会を窺っていた怨霊はあの子の体を奪うことに成功しました。九尾狐へと至った怨霊を倒す術は一つだけ。怨霊からあの子を解放することです』


 「解放って……?」


 『名を。あの子の一番大事にしている名を呼んでください。貴方が付けてくれた名があるのです。元々名を持たない私たち狐に貴方は名を与えてくれました。私と同じであの子も名を大事にしています』


 『なまえ?』


 『ええ。命よりも大事なものです……』


 幼子の頭を撫でていた天狐の手が止まる。


 『……これから先の未来、私は貴方の傍には居ません。そして、私がいなくなった後貴方は私を救おうとするでしょう。でも、それは貴方本来の役割ではないの。渚杜が本当に救わなければならない相手はあの子(九尾狐)』


 「でも……」


 『私はね、再び貴方と出会えて、一緒に過ごせて幸せだったんです。貴方は私の恩人。そして愛すべき人。何があっても貴方を私は護ります。……今度こそ』


 そう言った天狐が振り返った。成長した渚杜の方を見て微笑む。


 「天狐様、あの、俺……」


 『渚杜、あの子たちをよろしくお願いしますね』


 再び場面が切り替わり、何もない闇に包まれる。


 「天狐様……っ。名前って言われても俺には心当たりが……」


 心当たりがない。九尾狐の器にされた狐のことすら覚えていない。話の流れから前世の自分が関わっているのだろうが、記憶を引き継いでいない。記憶はすべて戻っていないのだからその中にヒントがあるのだろうか、と考えている渚杜の傍に金髪の少女が現れた。


 「君は」


 「どうだ? 私の固有結界は」


 「どうって……」


 「この結界内では対象者の記憶を再現出来る。懐かしい記憶も、辛い記憶もな」


 「なんで再現したの?」


 渚杜の問いに少女は「確かめたいことがあったからだよ」と言う。そのために渚杜の記憶を見る必要があったのだと。


 「確かめたいこと?」


 「ああそうだ。あの時、九尾狐に呪いを掛けられた日のことだ。ここから先はお前にとっては辛い記憶になる。それでも視るか?」


 答えは決まっている。あの日の事を覚えていない渚杜にとってはどんなに辛い記憶でも知らなければならない。


 「もちろん」


 「そうか……分かった」少女がそう呟くと場面が切り替わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る