最終決戦③
皇延の屋敷に侵入した渚杜たちが向かうのは屋敷のどこかに在る皇延の遺体。だが、中は広く、時間をかけて探し回る時間がない。
「神火清明、神水清明、神心清明、神風清明、善悪応報、清濁相見」
秘言を唱えて邪気を辿る渚杜たちは途中で、何体もの陰陽師と思しき遺体を見た。彼らはすでに白骨化しており、念すら残っていなかった。おそらくは殺されて魂ごと皇延に取り込まれたのだろう。苦い顔をする渚杜の背中を綾音が押す。
「貴方の気持ちは分かるけど、今は時間がないのだから急ぐわよ」
「おお! こういう時はやっぱり久坂の一言が聞くよな~」
「……確かに。ありがとう、久坂」
感心する和貴と礼を述べた渚杜に綾音はふん、と鼻を鳴らしながら行くわよ! と先を行こうとする。その後ろを付いてきていた黒緋と裏柳が何かの気配を察して前に飛び出す。同時に視えていた和貴が綾音の手を引いて後退させた。
抜いた刀身がぶつかる音が響く。
「……気付いた。気付いた。お前、何者だ?」
「邪魔。邪魔……は、させない。主、護るのが我らの……勤め」
距離を取った二体はぶつぶつと呟いている。黒緋と裏柳は刀を構えたまま相手を見据えている。渚杜たちも二人の視線の先にいる存在に気付く。それらは人の姿をしているが、全体的に白く、それぞれに左右一本ずつ少しヒビの入った角が生えていた。鬼―双鬼である。彼らは槍と大鎌を持っていた。
「雪邑が前に戦ったって言う双鬼か……?」
「特徴は言っていた通り合致するな。だが、鬼をここで相手するとなると」
言いながら渚杜たちは霊符を構える。が、その前に黒緋と裏柳が立つ。
「黒緋、裏柳?」
「主たちはこのまま先に進んで」
「双鬼の相手は私たちがします」
でも、と言いかける渚杜に二人は「主(様)には成すべきことがある。それは私たちも同じ。これは私たちの役目だから」先に行って、と二人は声を揃える。ここで霊符や力を使い怨霊に辿り着くまでに消耗しては意味がない。頭では理解していても二人を残してはいけないと渚杜の身体が動かない。
「和貴」「綾音」と二人が和貴たちの名を呼んだ。察した二人は頷いて渚杜の腕を掴んで引く。本当はあの子たちを残して行くのは和貴たちも嫌だ。過ごした期間は短くとも、思い出があるのだ。渚杜が黒緋と裏柳の名を呼ぶのを聞きながらそれでも二人は歯を食いしばって渚杜を連れ出す。三人が部屋から出たのを気配で感じ取った黒緋と裏柳は双鬼に刀を向けた。
「我が名は黒緋。主の式神」
「同じく主様の式神、裏柳。絶対にここから先は通さない」
双鬼は黒緋と裏柳を観察し、嗤う。
「式神? 違うな。お前たちは式神ではない」
息を呑む二人に双鬼は「まあいい」と興味を無くしたように表情を無くすと武器を構えた。彼らはこの屋敷を、怨霊である皇延を護る鬼。邪魔をするなら殺すだけだ、と黒緋と裏柳を敵と定める。早く倒して一番危険な匂いのする人間を殺さねば、とぶつぶつ呟く。
「今度こそ、今度こそ……護る。あの方を……護る」
「邪魔、邪魔するならお前たちから殺す」
殺気を感じて黒緋と裏柳は刀を構えた。雪邑からの情報では双鬼の弱点は角。他をどんなに攻撃してもすぐに再生する。一気に距離を詰めてくる双鬼。槍の先が黒緋の首を狙う。それを刀身でいなして避けるが、すぐに持ち手を変えて追撃が入った。黒緋は畳の上を走り距離を取る。一方、裏柳は振り下ろされる大鎌を避けて背後に回る。裏柳がいた位置は抉れており、一撃でも食らえば大ダメージは免れない。息を吐いた裏柳は背後から鬼の角を狙うが、すぐに反転した相手が畳に片手を付き蹴りを入れた。飛ばされた裏柳は着地して体制を整えるが、間髪入れずに大鎌が飛んでくる。
「ははっ! あっはははは! こんなに遊び甲斐がある相手はいつ以来?」
「初めてかもしれない!」
無邪気に嗤う鬼に息を切らしながら黒緋と裏柳は互いに背中を合わせた。
「黒、大丈夫?」
「柳だって。……なんとかして角を切らないと」
刀を握り直して、呼吸を整える。ここで双鬼を相手にすると決めた時から覚悟は出来ている。ただ、少しだけ渚杜の顔が過った。離れたくないなぁ……、と一瞬だけ思ってすぐにその想いを胸の内に仕舞う。甘い考えで相手に出来る敵ではない。
「ねえ、柳。頑張ったら主、褒めてくれるかなぁ……」
「うん。絶対に褒めてくれる」
そっかぁ、と緩く笑う黒緋に裏柳も頷いた。弱いと下に見ている双鬼。今なら隙がある。二人は捨て身覚悟で同時に距離を詰めた。黒緋は槍の先を躱して、柄に足を乗せて鬼の懐に、裏柳も大鎌を刀身で受けて刃線を踏み台にして懐に入った。相手が武器を持ち直す前に二人は畳を蹴り跳び上がる。空中で刀を持ち替えて角目がけて降ろした。微かに角に刀身が触れ、ヒビの入った箇所が音を立てて僅かに亀裂が走る。
二人から別れた渚杜は走りながら和貴たちに「ごめん」と零した。和貴たちがいなければ自分は黒緋たちの想いを無視して戦おうとした。記憶を封じられていた渚杜にとって黒緋と裏柳は主従関係と言うよりかは友達、妹の方が近い。厳しい修業も、強い妖退治に赴いた時も負けて大泣きしながら一緒に帰った時も常に一緒だった。だから、置いて行きたくなかった。二人の背中から別れを感じてしまったから。
「渚杜、何があってもお前は怨霊を加賀見皇延を倒すんだろ? その呪詛を解いて天狐を解放して、九尾狐救うんだろ。だったら、進めよ」
「そうよ。ここは敵の領地のど真ん中。何があったって不思議はないのよ。覚悟の上でしょ? 初めて会った時のように前を向いていなさい。私たちは友として貴方の背中を護るから」
「なんか、カッコいいな」
「うるさいわね。その口縫うわよ?」
茶化す和貴に照れた綾音が睨む。いつもと変わらない二人のやり取りに渚杜が一瞬、ぽかんとして次に笑い出した。二人がいて良かった、と渚杜は思う。
「二人とも、ありがとう。俺、二人と友達になれて良かった」
渚杜の言葉にキョトンとした二人が何を今さら、苦笑しながらも同じ気持ちだった二人は「ああ(ええ)」と返す。そんな中、和貴が妖気を感じ取って表情を引き締めた。続いて渚杜、綾音も気付いて霊符を構える。
「卯月……えっと、な、渚杜。貴方は霊符を仕舞って。それは怨霊まで残しておいて」
「そうだなぁ~。ここは俺たちが引き受けるからお前は先に進めって事だろ?」
「え!? いや、だって……っ!」
言い淀む渚杜に綾音が咒文を唱えて結界を張る。それは自分たちと渚杜を隔てるもの。結界越しに渚杜が自分たちの名前を呼ぶ。それを背中越しに聞きながら二人は向かってくる妖気に霊符を構える。
「渚杜ー。これが終わったらさ、みんなでクレープ食べに行こうぜ」
「いいわね。頑張るんだから、渚杜の奢りね」
そう言って二人は一度だけ渚杜の方を見た。そして「約束。だから、絶対に帰ってこい(来て)」と告げる。渚杜はきつく唇を噛んで二人に力強く頷くと背を向けて走り出した。渚杜の気配が遠くなってから綾音がふと「さっきのフラグって言うのよ」知ってた? と和貴に言う。
「フラグは折るためにあるんだろ? それと、あれは約束な。または呪いの一種だ。あいつが絶対に戻ってこれるように。でも、まずは……」
「そうね、私たちも生き残らないと」
二人の目の前には妖が複数。百鬼夜行を成すものではなく、単体で強いと分かるものたち。実習とは異なる死と隣り合わせの実践。和貴は震える手をもう片方の手で押さえて前を見れば、兄の背中を見た気がした。途端に手の震えが止まる。和貴は綾音と並んで霊符を発動させた。
「陰陽寮一年、弥生和貴」
「同じく、久坂綾音」
「陰陽師としてお前たちを祓う者!」そう言って二人は咒文を唱えた。
一人渚杜は奥へと進む。襖の奥から邪気が流れ込んでいる。この先に皇延の遺体があると確信して渚杜は喉を鳴らした。やっとここまでたどり着いた。自分一人では絶対に成し得ないことだ。黒緋と裏柳、和貴と綾音が戦っている。外では奏冴、智景、柊乃、雪邑、浅葱、明彦がそれぞれ自分たちの成すべきことをしている。
(俺は、俺の成すべきことをする)
襖の引手に手を掛けた渚杜は深呼吸して襖を開いた。
「これは……!」
渚杜が見たのは皇延の遺体……ではなく、それを宿主として怨念がいくつも集まってできた黒い、黒い陰の塊。僅かに狩衣と十二単の端が見える。おそらく、皇延と葵が怨念の塊の中にいるのだろう。渚杜に攻撃してくる様子はなく、ただ、うごめいているだけだ。渚杜は霊符を構えて咒文を唱え始めた。
「一心奉送上所請、一切尊神、一切霊等、各々本宮に還り給え、向後請じ奉らば、即ち慈悲を捨てず、急に須らく光降を垂れ給え」
霊符を放ち、続いて唱える。
「行者、今、搦めの綱を解き、ほとほと三途の道に、放ち道ぎり。オン・アビラウンケン・ソワカ」
怨念の塊が悲鳴を上げるかのように激しくうねる。自身に結界を張っている渚杜は怨念の先が針のように向かって来てもそれを弾いた。だが、抵抗する怨念は陰をいくつも宙にばらまき、四方から渚杜に向けて怨念の雨を浴びせ続けた。その中のいくつかが結界に穴を開け、渚杜に怨念の雨が降り注ぐ。だが、渚杜は結界の中で咒文を唱え続けており、途中で止めることは出来ない。彼の顔、腕が黒く呪詛に侵されていく。
「ナウマク・サラバタターギャテイビヤク・サラバボッケイビヤク・サラバタ・タラタ・センダ・マカロシャダ・ケン・ギャキギャキ・サラバビギナン・ウン・タラタ・カンマン」
息を吸い、怨念を見据えて渚杜は魔界偈を唱えた。
「天魔外道皆仏性(てんまげどうかいぶつしょう)・四魔三障成道来(しまさんしょうじょうどうらい)。魔界仏界同如理(まかいぶつかいどうじょり)・一相平等無差別(いっそうびょうどうむしゃべつ)」
途端に怨念は悲鳴を上げるように大きくうねり消滅していく。だが、まだ数は多い。渚杜は持てる霊符をすべて使うつもりで咒文を唱え続け、ようやく皇延と妻―葵の遺体が露わになった。渚杜の身体は怨念を浴び、呪詛にまみれていた。息を切らす渚杜は途切れそうになる意識の中、踏みとどまり皇延の遺体と向き合った。
「……っ、ようやく。君を取り戻せる。”琥珀”待たせて、ごめん……」
怨霊が渚杜によって祓われる度に九尾狐、否、皇延は何度も「やめろ」と叫ぶ。身体から怨念が抜けていき、力が失われて行く。本体に憑りついていた怨念の塊と九尾狐は連結しているが故に祓われれば弱体化していく。
「おのれ、童……! 許さぬ、許さぬぞ……! やめろ、ぁああああ!」
残りの念が皇延のみになった。焦りの色を濃くする皇延は気付いているのだろう。渚杜が既に九尾狐の名を取り戻りしていることに。呼ばれれば、九尾狐の身体から弾きだされてしまう。
――琥珀、待たせて、ごめん……
渚杜の声が聞こえた。浅葱は「あ……」と小さく声を上げた。そうだ、自分の名は「琥珀」。青芭が綺麗な毛の色にちなんで名付けてくれた大切な名だ。やっと、取り戻したと浅葱―琥珀は自然と流れた涙を拭って「ああ」と離れている渚杜へ返した。
「くそっ、おのれ……! 童ぇ! おのれぇええええ!」
琥珀の身体から弾きだされたた皇延は地を這うような声音を上げながら姿を消した。
「待て!」
糸の切れた人形のように九尾狐の身体が崩れ落ちる。それを支えたのは明彦。皇延が抜けて眠るように双眸を閉じている琥珀と姿を消した皇延に地団駄を踏む勢いの浅葱を見比べていた。同一人物なんですよねぇ……、と妙な感想を抱いていた明彦に浅葱が呼ぶ。
「明彦! 出来るかは分からんが、今からそっちの身体に入って皇延を追う。お前はどうする!?」
明彦の答えはずっと変わらない。彼女を主と定めた時から何があっても彼女に従う。例え、邪険にされても、彼女が違う誰かを見ていても、明彦の心は変わらない。だから、
「もちろん、お供します」
にこやかに即答した。彼の返答を聞いて浅葱は「ふはっ」と笑う。そうだったな、と口角を上げる。元々琥珀の身体から精神だけを取り除いて形作られた体だ。本体と精神の霊力を繋ぎ直せばあるいは、と浅葱は眠る自分の身体に意識を集中させた。次第に浅葱の身体が透けて、視えなくなる。代わりに琥珀が目を覚ました。
「ご気分はいかがですか?」
「……あまり良くはないが、時間がない! 急ぐぞ、乗れ明彦!」
眉根を寄せた琥珀がそう言うと己の身体を変化させた。それは大きな九尾狐の姿。一瞬、唖然とした明彦はすぐに琥珀の背に乗った。明彦を乗せた琥珀は「捕まっておけよ」と言うや否や全速力で駆け出した。向かうのはもちろん、渚杜の元。
(今度こそ、今度こそ……死なせない。やっと取り戻したんだ、渚杜……)
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