固有結界③/弥生和貴

 「おーい。渚杜ー、久坂ー」


 闇の中で和貴も二人を探していた。けれど、返ってくる声はない。和貴の目には闇しか映っておらず、どうしようかと迷った末、和貴は二人を探そうと闇の中を進んだ。歩いているはずなのに前に進んでいる気がせず、立ち止まりそうになった和貴は視線の先に微かに光を見つけて小走りで向かった。


 (良かった。出口だ!)


 光が濃くなり、目を瞑った和貴が次に見たものは二人と同じく過去の記憶だった。両親を事故で亡くした頃のまだ幼い自分と兄の悠禾。


 「兄ちゃん……?」


 声に出しても記憶の映像であるため当然相手に届いていない。身寄りのない二人は児童養護施設に預けられていた。特殊な目を持つ和貴が妖を見て怖がるのを悠禾がいつも宥める。泣き出す弟を『大丈夫だよ、和貴。兄ちゃんが傍にいるから』と抱きしめる。そうしていつも和貴は泣き止んだ。

 そして場面は変わり、弥生家当主が児童養護施設に来た。職員と言葉を交わした当主は悠禾と和貴を見るなり品定めをするように何度も視線を往復する。相手は二人を引き取る手続きを整えると有無を言わさず弥生家へと連れて行った。


 『お前たちは今日から弥生と性を改めよ。悠禾、お前は陰陽師として今日から修業を開始する。拒否権はない。弟の和貴はもう少ししてからだ』


 『突然そんなことを言われても困ります!』


 和貴を護るように前に出た悠禾が相手に意見する。相手は悠禾を冷めた目で見下ろし、口角を上げた。


 『言っただろう? 拒否権はない。身寄りのないお前たちを弥生家で引き取った。お前たちをどう扱おうがこちらの勝手だ。それに、弟の方は随分と特殊な力を持っているではないか。その目は妖共にとっては厄介な物でしかない。早々に狙われて殺されるだろうな』


 『っ! そんな……』


 『弟を護りたければ言う通り陰陽師になれ。妖共を祓えるようになれば弟の寿命は延びるのではないか? この屋敷にいる間は妖どもの襲撃……それこそ百鬼夜行でもない限り安全だ。もし、拒否するのであれば二人とも危険な外へと放り出しても構わんのだぞ』


 脅しに反論出来るほど悠禾も大人ではない。まだ少年の彼にはこれ以上何も言う事が出来ず、弟の和貴を護るためには相手の条件を呑むしかなかった。


 「……兄ちゃん」


 反論出来ず、拳を強く握る悠禾に記憶を見ていた和貴がポツリと零す。当主と兄のやり取りを当然幼かった自分は覚えていない。自分がいなければ兄は脅されずに済んだのだろうか、和貴は唇を強く噛んだ。


 (俺がいなければ兄ちゃんは……)


 本のページを捲るように場面が変わる。厳しい修業に体がボロボロになった悠禾に幼い和貴が駆け寄る。幼い弟を見た悠禾が泣きそうに顔を歪ませて和貴を抱きしめた。


 『……っ、……』


 声を殺して泣いている兄に幼い自分は何も出来ない。理解出来ない。見ている事しか出来ない和貴は何も出来ない自分が歯がゆい。せめて近くに、と和貴は二人に近づいた。


 『にいちゃん、どこかいたい? くるしい?』


 (何を呑気に聞いてるんだよ。分かれよ……)


 幼い頃の自分に現状を理解しろと無理を言っているのは分かっているが、もっと他に掛けられる言葉はあっただろう、と言いたくなる。和貴の言葉を聞いた悠禾がさらにギュッと抱きしめる腕に力を込めた。


 『……ううん。大丈夫だよ、和貴。兄ちゃん、頑張るから……』


 「頑張らないでいいよ。兄ちゃん……。お願いだから無理はしないで」


 和貴の言葉は届かない。悠禾は顔を上げて弟を見ると疲れた表情に笑顔を貼り付ける。その表情が痛々しくて和貴は胸が痛んだ。視線を逸らしそうになる和貴に悠禾が言った。


 『正直、修業はつらい。けど、和貴がいてくれるから兄ちゃん頑張れるんだ……。和貴の事は兄ちゃんが必ず守るから、和貴は変わらずに優しいままでいてくれ……』


 『にいちゃん』


 幼い自分が兄を呼べば、悠禾が和貴を見た。無垢な笑顔で悠禾に自分から抱きついて『にいちゃん、だいすき』と無邪気に言う。何を言っているだ、と呆れそうになった和貴は兄の表情を見て目を丸くする。


 『うん。兄ちゃんも大好きだ! よし、まだ頑張れそうだ。ありがとう、和貴』


 そう言った兄の表情は柔らかくなっていた。気が付いた時には悠禾は陰陽師としての頭角を現し、次期当主と噂されるほどだった。けれど、そこに至るまでは何度も挫けそうになったのだろう、と和貴は知る。


 「……っ、兄ちゃん」


 和貴は言葉に詰まった。優しくて、強くてカッコイイ兄の姿しか覚えていなかった自分が情けなくなる。涙を拭った瞬間、場面が切り替わった。


 薄暗い空、満月が赤く染まり、魔の気配が強くなる。突然始まった九尾狐による百鬼夜行に皆がパニックになった。陰陽師の家系である弥生家も例外ではない。屋敷にいる陰陽師全員と、陰陽寮に通う弥生家の者が集められた。当主から陰陽師は全員屋敷を守るよう通達され、それぞれが決められた位置へと配置される。幼い和貴は悠禾の進言で結界の中で守られることになっていた。


 (兄ちゃん、そんなことしてくれていたんだ。でも……)


 しかし、悠禾が妖を祓っている途中で和貴が彼の元へと送られた。目を丸くする悠禾は『約束が違う』と怒りを露わにする。彼が最前線で戦う代わりに弟の安全を約束したはずなのに、弥生家の人間たちはそれを違えた。理由はもちろん、和貴の目を狙う悪鬼・悪霊たちの対処が出来ないためである。自分たちの身の安全を確保するために幼い子供を百鬼夜行の最前線に送り込んだのだ。


 和貴の目に気付いた悪鬼・悪霊たちが取る行動は一つ。より強い妖たちが和貴めがけて押し寄せた。それを悠禾は和貴を護りながら祓っていく。


 『東海の神、名は阿明、西海の神、名は祝良、南海の神、名は巨乗、北海の神、名は禺強、四海の大伸、百鬼を避け、凶災を蕩う。急々如律令!』


 悠禾が唱えると小さな青鬼や赤鬼、鳥のような妖怪、髑髏たちが一斉に消滅する。何度繰り返しても湧いてくる妖怪たちに悠禾は息を切らしながらも逃げない。流れる汗を拭い、声を枯らしながらも祓い続ける。


 「兄ちゃん、もう逃げてよ……。このままじゃ……」


 この後の展開を知っている和貴はそれでも兄に声を掛けずにはいられなかった。本当は自分なんか置いて逃げて欲しかった。生き残るべきは兄で、ここで死ぬべきは自分だ。


 『にいちゃん、こわいよ……。いっぱいあやかしがいる』


 祓っても集まってくる妖を見た和貴には悠禾に視えているよりも多くの妖が視えている。泣きださないだけマシだった。数名いた陰陽師たちは既に妖怪に殺されている。悠禾は疲労を訴える己の体に鞭打って神言を唱えた。


 『絶対に、和貴は護り通す!』


 弟を護るように前に立つ兄の背中を和貴は見つめる。あの時、自分も陰陽術が使えていれば、今のように戦う力があればと考える。何も出来ない子供だった自分が恨めしい。


 (兄ちゃん、こんな状況でも逃げずに妖怪を迎え撃っていたんだ……。やっぱりすごいな……。俺とは大違いだ)


 なかなか倒れない人間に妖怪たちは苛立ちを募らせる。自分たちを脅かす存在は早めに処理しようと、標的を和貴から悠禾へと変えた。小鬼たちが集まり、妖気が膨れ上がる。それを見た和貴が怯えたように体を震わせた。


 『和貴、どうした? 大丈夫だよ、兄ちゃんが護るから……』


 『ダメ……! にいちゃん、にげて!』



 ――ほう、視えるのか。やはり厄介な存在よ



 妖気の中から声がした。次第に晴れる妖気の渦の中から鉾を持った青鬼と、牛鬼が姿を現す。先ほどまでとは比べ物にならない妖気に悠禾の表情が凍り付く。ここにいるのは自分と和貴だけ。助けは見込めない。連携の取れない牛鬼と青鬼がバラバラに攻撃しに向かってくる。和貴を抱えて悠禾は攻撃を避け、簡易結界を和貴に張った。


 「……兄ちゃん、何してるんだよ。自分も結界張ってよ……」


 『……っ! ……、』


 結界の中から幼い和貴が何かを叫んでいるが、悠禾には聞こえない。結界を張った時点で和貴は兄が死を覚悟したのだと悟った。圧倒的な力の差を感じ取れる青鬼と牛鬼を前に逃げる事よりも、弟だけは守り抜くと決めた悠禾に和貴は視界が滲むのを何度も腕で目を擦り兄の姿を目に焼き付けようとする。死んでしまうことは確定しているからこそ、兄の最後をちゃんと見届けようと決めた。

 悠禾は一度だけ和貴を見て微笑んだ。泣き叫ぶ幼い自分は彼の表情が涙で見えていない。


 『叶菩加身依美多女(とほかみえみため) 祓い給え清め給え』


 祓詞(はらえことば)を唱えると、悠禾を中心に邪気が祓われた。青鬼と牛鬼が動きを止め距離を取る。鉾を持った青鬼が悠禾を狙って構える。


 『天(あめ)切る、地(つち)切る、八方(はっぽう)切る、天に八違(やちがい)、地に十の文字(ふみ)、秘音、一も十々、二も十々、三も十々、四も十々、五も十々、六も十々、ふっ切って放つ、さんびらり』


 続けて唱え終わるのと同時に鉾が飛んできた。鉾が届く前に咒文により青鬼と牛鬼が断末魔を上げながら祓われる。けれど、鉾は消えなかった。体力の限界を迎えていた悠禾は体を動かす気力が残っていない。例え避けても、鉾は簡易結界を破り和貴を貫くだろう。判断した悠禾が取った行動は一つ。


 『幽世の大伸、憐み給い恵み給え、幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)守り給い幸い給え……』


 「何やってんだよ、兄ちゃん!」


 悠禾が唱えたのは自分ではなく、和貴を護るためのもの。鉾に体を貫かれた悠禾は自分が死んだあとも弟を守れるように幽冥神語を唱えた。鉾が消えるのと同時に悠禾が膝を付く。彼の状態と連動するように結界が解け、心臓を貫かれた悠禾の体が傾いでいく。


 『にいちゃん!』


 幼い自分と和貴の声が重なる。倒れる兄を受け止めようと和貴が手を広げた。成長した和貴は触れることが出来ず、すり抜け、幼い体が兄を受け止めきれずに共に倒れ込む。


 『にいちゃん、にいちゃん……! やだ、しんじゃ、やだ!』


 泣きながら訴える幼い自分を和貴は見ていることしか出来ない。


 「泣くなよ……。泣いたって状況は変わらないんだよ……」


 『……、っ、……』


 泣きじゃくる自分に混ざって微かに声が聞こえた。悠禾が何かを言っている。和貴は身を屈めて兄の声に耳を傾けた。


 『か、ず……、生き……。だい……す、……だ、よ……』


 「……っ、うっ……。兄ちゃん……、俺も大好きだよ……」


 兄の最後の言葉を受け取った和貴は泣き崩れた。あの時聞き取れなかった言葉をようやく聞けた。告げ終わった悠禾は和貴に覆い被さり死んでも護ろうとしてくれていた。落ち着きを取り戻した和貴が涙を拭い立ち上がったのと同時、遠くから妖怪の気配が近づいてきた。幼い和貴以外は全員死んでいる。


 (ちょっと待て。妖怪の群れが迫っている状況で俺だけしかここにいない。なら、何故今生きているんだ……?)


 唯一生き残っているのは陰陽術の使えない子供だけ。当然百鬼夜行に対抗する手段なんて持ち合わせていない。幼い自分は動かなくなった兄の名を泣きながら呼んでおり、妖怪の接近に気付く様子はない。このままでは兄も自分も妖怪の餌食になってしまう。和貴は何も出来ないのは分かっていても動かずにはいられなかった。兄たちを護るように前に立った和貴は目を丸くした。


 「え……?」


 和貴の前に一人の少女が舞い降りた。アイスシルバー色でセミロングの髪、白拍子のような服装を身に纏う少女は佩いていた刀を抜いて向かってくる妖怪を一掃した。纏う神気は学校で出会った時とは比べ物にならないほど強い。


 「智景、先輩……?」


 後姿だけでは不安があったが、少女が振り向き顔が見えたことで確定した。自分を助けてくれたのは智景だ。神気以外に異なる点は顔に隈取りが浮かんでいるところ。


 『……人の縄張りに土足で踏み込んで。許さない。あの子との時間を奪う妖は全部斬る』


 刀を納めた智景は倒れている悠禾に視線を落とすと、表情を曇らせた。近づいて膝を折った彼女は悠禾に触れて『頑張ったね……』と零しながら悠禾の瞼に手をかざした。そこでようやく言葉を失っている幼い和貴に気付く。


 『……生きてる』


 幼い子供には神気は強すぎるようで、感謝よりも恐怖の方が強いようだった。成長した和貴には味方だと認識できても、当時の自分は智景のことを妖怪の仲間だと認識していたのだろう。恐怖で声の出ない和貴に気を悪くした様子もなく智景は『良かった。あの子と同じくらいの年、かな?』と言いながら微笑み、優しく和貴の頭を撫でた。


 (あれ、どこかで……)


 既視感がある。和貴は記憶を辿った。


 (あ。あの時だ。渚杜たちと化け物を倒した時の……。智景先輩は気付いてたのか)


 智景と出会った日、彼女が小さく笑って頭を撫でた理由がようやく分かった。和貴が腑に落ちている間にも映像は進んで行く。智景の優しい手に緊張の糸が切れたのか、幼い和貴は気を失ってしまった。それと連動するように映像も途切れ、再び闇に包まれた。


 「そっか。俺が今も生きてるのは兄ちゃんと智景先輩のおかげなんだ」


 和貴は再び目に溜まっていく涙を何度も拭う。兄が死ぬ瞬間は数え切れないほど夢に見た。その度に自分を責めていた。けれど、今見ていたのが記憶を映像化したものであるならば、命を賭してまで護ってくれた兄の想いに応えなければならないと和貴は思った。


 「悠禾兄ちゃん。俺、兄ちゃんみたいに誰かを護れるカッコいい陰陽師になるよ」


 後ろ向きになることはやめよう、自ら死を選ぶような真似はしない。和貴はそう決意するともう一度涙を拭いて暗闇の中を歩き出した。

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