狐井 雪邑(きつねい ゆきむら)

 電車に揺られること数時間、何度かの乗り換えを経て渚杜は茅川町の駅に着いた。黒緋と裏柳は初めて見る電車からの景色に瞳を輝かせていたが、少年もまた同じであった。幼い頃から修業に明け暮れ、陰陽師として活動してからは怨霊、妖退治三昧。電車に乗って遊びに出掛けたことは一度もない。


 「……初めての電車にはしゃいでしまった」


 「主様、楽しそうだったね」


 「うん。電車も楽しかったけど、主の楽しそうな顔が見れて嬉しい!」


 改札口を出て肩を落とす渚杜と彼の足元でニコニコと笑う式神の元に近づく影が一つ。気付いて警戒の色を宿した瞳を向ける少年と式神に近づいてきた銀髪の男性が足を止めて、敵意はないと両手を軽く上げた。


 「いい反応だ。君が渚……じゃなくて、卯月渚杜だな? 陰陽寮の入学生」


 「はい。あの、あなたは?」


 「ああ! すまん。俺は狐井 雪邑(きつねい ゆきむら)。陰陽寮で教師をしている。君を寮まで案内するために来た」


 「狐井、先生?」


 「……先生か。あいつの言った通りってことか」


 最後の言葉は小さく、渚杜には聞き取れなかった。


 「まあ、いいか。ここからさらにバスに乗って移動するから俺に付いてきてくれ」


「黒緋、裏柳。警戒しなくても大丈夫だよ」


 雪邑から放たれる神気に警戒を解かない二人の頭に手を乗せて渚杜は優しい声音で言う。神気を纏う相手は古弥煉ほどではないが、彼が人間ではないと判断するには十分だ。渚杜は古弥煉が言っていた四狐のことを思い出した。改めて渚杜は雪邑を見上げた。初めて会ったはずなのに、なぜか相手に対する感情は懐かしさだ。不思議な感情に渚杜は相手を見上げたまま首を傾けた。


 「そんなに委縮しなくてもいいぞ。俺はお前の敵じゃない。それは絶対だ。……なんだ? 俺の顔をジッと見つめて」


 「あ。いえ、すみません。失礼ですよね、ただ、先生とは初めて会ったのになぜか懐かしいと感じたので……」


 「……なんだよ、それ」


 雪邑は一瞬、面食らうと泣きそうな表情を見せた後、満面の笑みを向けて渚杜の頭に手を乗せ、荒めに撫でると歩きだした。

 大きな手が伸びてきて、小さな頭に乗せられる。見上げる相手の顔は思い出せないが、銀色の髪に長身の男性。彼の後ろには他に三人いて渚杜の方を見ている。


 「……?」


 脳裏に浮かんだ記憶の断片に瞬きを繰り返した少年を式神たちが不安そうに見上げる。彼女たちを安心させるように渚杜は微笑んだ。それを見て二人も表情を和らげる。


「ほら、さっさと行くぞ、バス逃すと次は三時間後だからな」


 そう言って再び歩き出した雪邑の後を渚杜は追いかけた。




 バスから降りて陰陽寮までは徒歩でしばらくかかる。道すがら雪邑は渚杜に問いかけた。


 「渚杜は噂の狐憑き陰陽師で実践経験有りと考えていいのか?」


 「はい。こっちにまでその噂届いているんですね。中務省の職員経由で任務が来るのでそれを日々こなしてました」


 ははは、と渚杜は困ったように笑う。聞いていた雪邑の眉が寄せられていたが、渚杜は気付いていない。


 「中務省の職員経由ってことは渚杜は中務省には所属してないってことか?」


 「そうなりますね。向こうは狐憑きのことを快く思わない人多いですから……」


 「狐憑きを快く思わないのに、陰陽師としては利用していたんだな」


 「先生、怒ってます?」


 雪邑の声音から怒りの感情を読み取った渚杜が相手を見上げながら問う。彼は笑みを見せて返答は避けた。元から中務省に所属する人間には好意的な感情は持っていないせいもあり、渚杜の話を聞いてさらに嫌悪を抱く。


 (俺たちから渚杜を奪い、殺そうとしたくせに利用出来ると分かれば利用するのか)


 息を吐きだし、怒りを逃がす雪邑に渚杜が隣で緩く笑いながら言う。


 「俺はたくさん実践経験を積ませてもらったって思ってるので大丈夫ですよ? 呪詛返しから悪霊、怨霊退治まで色々経験したんですけど、やっぱじいちゃんにはまだ敵わないからここでも力を付けたいなって思ってます」


 「……渚杜はどうして力を付けたいんだ?」


 「そ、それは……」


 問いに渚杜は口ごもる。視線を泳がせる少年を雪邑はジッと見つめて返答を待った。


 「笑いませんか?」


 「笑わないよ。それがどんな理由でも。お前が決めたなら」


 真っ直ぐ見つめながらそう言った雪邑に背中を押されるように渚杜は口を開いた。


 「……九尾狐を倒したいからです。俺に呪いを掛けた九尾狐。その呪いから俺を助けてくれた天狐様を救いたい。そのためには力が必要で……それが、この地に来た本当の理由なんです」


 「そうか……。うん、分かった」


 そう言うと雪邑は渚杜の頭を荒く撫でる。わわっ、ちょっと! と抗議の声を上げる少年の頭上で青年は泣きそうな表情をしていたが、渚杜には見えない。手から逃れた少年が見上げた時には雪邑はニッ、と満面の笑みを見せた。


 「陰陽寮に入れば任務はある。まあ、入学して三ヶ月後に期末試験ってのがあって、簡単な怨霊退治が主で、いくつかのチームに分かれて行うのがある。そこで実力を測り、その後の任務が決まるんだ。まあ、お前の力なら上級任務に付けそうだけどな」


 「っ! 頑張ります!」


 「ん。っと、話している間に着いたぞ。ようこそ、陰陽寮へ」

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