第38話 衝撃

 ──いったい、どんな用なのかしら。


 リュシアンの美しい姿を真っ向から捉えながら、メリザンドは不安と期待に胸を焦がしていた。ただ、かつて彼から言われたとおり、動揺は決してあらわにせず、努めて平然とした素振りで彼の言葉を待つ。


 リュシアンはしばらく視線をさまよわせていたが、やがて決然とした様子でメリザンドを正視し、口を開いた。


「さっそくだが……お前が不在の今、王宮でなにが起きていると思う?」

「……さぁ?」


 メリザンドは素直に首を傾げる。離宮へやって来てからは、宮廷関連の話は意図的に遮断していた。唯一望むのは、『王妃出産』の吉報だけである。


「やはりな……」


 と、リュシアンは難しい顔で嘆息した。その態度から、メリザンドは己の迂闊さを悟る。

 公式寵姫の役目を解かれているとはいえ、その間も王宮内のことはつぶさに耳に入れておくべきだったのだ。なんでもペラペラと話してくれるような『お友達』がたくさんいるのだから、その中の誰か──たとえばサンカン夫人と手紙のやり取りでもしておけばよかった。


 あるいはプルヴェ夫人を傍に留め置くのではなく、宮廷に戻していれば……。

 メリザンドは手に汗握りながら、リュシアンの次声を待つ。


「お前の不在をこれ幸いと、廷臣たちは陛下に心変わりさせようと躍起になっている」

「なんっ」


 あまりの驚きに、声が詰まった。軽く咳払いして、言葉を取り戻す。


「それは、ええと、どうやって……」


「自らの娘や姪が陛下のお目に留まるよう、次々と宮中へ上げているのだ」


 それを聞いた瞬間、メリザンドの心はカッと沸き立った。


「王妃殿下の出産が間近だというのに、不謹慎なっ!」


 まなじりを吊り上げ叫ぶと、リュシアンは目を真ん丸にした。


「お前の怒りは、そちらへ向くのか……」

「当たり前です。今はそれ以上に大切なことなどないでしょう」

「いいや……落ち着いて聞け」


 リュシアンにたしなめられ、メリザンドは渋々うなずく。たしかに王妃の出産も大事だが、メリザンドのライバルが増えるのもすこぶる困る。宮廷へ戻ったら面倒なことになりそうだ、とぼんやり考えていたら……。


「陛下は、オルドリッジ卿から紹介された娘をいたく気に入ったという話だ」

「──えっ」


 メリザンドの心を暗雲が覆う。一瞬だけ呼吸が止まり、次いで嫌な汗が噴き出してくる。この感情に名前を与えるのなら、『絶望』が当たらずといえども遠からず、といったところか。


 王が心変わりした瞬間にお役御免となるのが公式寵姫のさだめ。いつかこんな日が来ることはわかっていたが、あまりに早すぎる。

 王から囁かれた数々の愛の言葉が、脳裏に浮かんでは消えていった。


 ──陛下のお側を離れて喜んでいたわたしに、悲嘆に暮れる権利なんてない……。


 だがまさか、たった数週間の不在がこのような事態を招くなんて。


 ──そうだわ……わたしは慢心していた。おごっていた。あの御方からの愛を、おいそれと失うことなどないと。せめて手紙の一つでもしたためておけば、防げたかも……。


 会えなくて寂しい、枕を涙で濡らしている、浮気は許さない、などの男心を煽る文句を並べ立てた手紙を送るべきだった。

 宮廷暮らしは息が詰まる、公式寵姫なんて身分は不相応。そんなことを考えながらも、いざなにもかもを失うとなると、信じられないくらい心が沈む。


 ──たった半年ほどで、わたしは慣れ切ってしまったのね。とびきりの贅沢や、大勢の人々からかしずかれる生活に。そして、この国の頂点に立つ御方から寵愛されるというこの上ない愉悦に、とっぷりと浸っていた……。


 内省しながらも、ふつふつと湧き上がるのは、王の心を射止めた女への嫉妬。敗北者としての屈辱。宮廷を去るとき、いかにみじめな思いをすることになるか、想像するだけで涙がこぼれそうだ。


「オルドリッジ卿の紹介なら、陛下もさぞ乗り気だったのでしょうね……」


 うなだれ、悄然とつぶやく。

 オルドリッジ卿は、先々代国王の時代からガッリア王宮に出入りしている初老の王国アルバス人だ。ダークブロンドの巻き毛の偉丈夫で、外国人でありながらガッリア王家に絶大な影響を及ぼしている傑物。先のエスパナ帝国との戦争の際は、莫大な資金援助をしてくれたと聞く。


 かの御仁は、初対面のときからメリザンドには冷淡な態度だった。派手好きの彼にとって、メリザンドのような地味な娘が公式寵姫になるなんて甚だ気に食わなかったに違いない。

 それでも、彼から礼を欠いたような態度を取られたことはなかったため、決して嫌いではなかった。


「早まるな。ただの火遊びに過ぎないかもしれない」


 なだめるようなリュシアンの言葉に、メリザンドは力なくうなずく。


「そう……ですわね。ですが、その可能性が低いからこそ、わざわざこうしてお越しくださったのでは?」

「それは……」


 口ごもるリュシアンに対し、メリザンドは皮肉げに口元を歪めた。


「近々公式寵姫の座から引きずり降ろされる女を慰めに来てくださったのですか? あるいは、『他の男の手垢にまみれた妻などいらぬ、修道院へ入れ』とでも宣告するために……」

「──違う!」


 リュシアンが声を荒らげる。驚いて目を丸くしていると、彼は首をゆっくり左右に振った。


「そうではない……メリザンド」

「では……なぜわざわざ……?」


 言伝や手紙で済ますのではなく、リュシアン自らが訪ねてくるくらいなのだから、よほどの理由があるのだろう。

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