第33話 破滅の匂い

 その晩、六日ぶりに王の訪問があった。

 このタイミングでやって来たということは、王妃との件を尋ねられるに違いないと思ったのだが、王はただの一言もその話題を口にしなかった。


 だから仕方なく、メリザンドから報告する。


「ユージェーヌさま、今日、畏れ多いことに王妃殿下から茶席へお誘いいただきましたわ」

「ああ、その話は知っている。宮廷人どもがえらく騒ぎ立てていたからな」


 ソファに敷かれたクッションに身を預けながら、王はなんとも気のない様子で言った。


「なにか問題でもあったか?」

「い、いえ……王妃殿下には大変良くしていただいて。素晴らしいお人だと感服いたしました」

「そうか」


 返答は相変わらず素っ気ない。王妃の人柄などどうでもいいと言わんばかり。

 政略結婚とはいえ、自分の子を六人も産んでくれた女性のことなのだから、もう少し気にかけてもいいのではないだろうか。


 あるいは、寵姫であるメリザンドが悋気りんきを起こさないよう、あえて冷淡に構えているのだろうか。釈然としないまま、話を続ける。


「けれど代わりに、ヴィクトワールさまの不興を買ってしまいました。もう仲良くしてはくださらないかもしれません」


 だからと言って王に仲を取り持ってもらおうとはこれっぽっちも思わないので、悲観的になりすぎないよう、苦笑交じりに告げておく。


あれ・・のことは気にするな」


 またもや王は冷ややかに言い放った。さすがに妹のこととなれば、もっと心を砕くだろうと思ったのだが。

 困惑に目をまたたかせていると、王が勢いよく身を起こした。


「メリザンド!」


 大きく名を呼ばれ、メリザンドはびくりと肩を震わせる。すかさず伸びてきた腕に捕らえられ、気付いたときには王の厚い胸にいだかれていた。


そんなこと・・・・・よりも、わたしは多忙と疲労ゆえに、六日もお前の元に来ることができなかった。六日もお前を放置してしまった。六日も耐え忍ばざるを得なかった。

 この辛苦を、早々に晴らしたいのだ!」

「は、はい……」

「お前は寂しくなかったか、辛くなかったか。わたしの温もりを忘れてはいなかったか?」


 甘えるように頬を寄せられ、切々と耳元に囁きかけられる。年上の男が見せる弱みにほんの少しドキリとしたけれど、同時に戸惑いもした。


 ──むしろ……陛下がいらっしゃらない間、ゆっくりと眠れて楽だったわ。


 その決して漏らしてはならない想いを、慌てて心の奥へと封印する。


「せっかくわたしのことで頭をいっぱいにしてくださっているのに、余計なことばかりお聞かせして申し訳ありませんでした。久方ぶりの逢瀬、どうか思う存分かわいがってくださいませ」


 艶めいた声と共に王の背へ腕を回す。ときに奔放な女を演じ、男としての王を愉しませるのも公式寵姫の仕事の一つだ。

 王妃やヴィクトワールへの冷然としたそぶりは気にかかるが、今は彼を慰めることだけに尽力しよう。


***


 公式寵姫と王妹の衝突と断交の噂は、瞬く間に宮廷中へ広まった。


 今までのメリザンドの交友関係は、ヴィクトワールあってのものだと言ってもよかったから、これを機に王宮内で孤立することになるだろうと覚悟をしていた。

 今後、ヴィクトワールはこれ見よがしに悪意を向けてくるだろう。聞こえよがしに悪口を触れ回るだろう。


 反対に、これを好機とみてメリザンドへおもねらんとする者も多数現れることだろう。

 さまざまな面倒事が起こるに違いないと、メリザンドはほんの少し胃を痛めていたのだが……。


 なんと、孤立することになったのはヴィクトワールの方だった。

 あろうことか、サンカン夫人をはじめとするヴィクトワールの取り巻きだった女たちが、メリザンドのがわについたのだ。


 これは一体どういうことだろう、と首をかしげるまでもなかった。

 宮廷人ほど、破滅の匂いに敏感な者たちはいない。沈みかけた船から逃げ出すネズミと同じ。


 つまり誰もが、ヴィクトワールよりもメリザンドの側についた方が得策だと確信したのだ。

 いずれ王宮を去るヴィクトワールよりも、王妃を味方につけたメリザンドの方に。


 今まで王宮の女主人として振る舞ってきたヴィクトワールにとっては、この上ない屈辱だろう。平然とおおやけの場に出ることなどできるはずもなく、自室へ引きこもるようになってしまった。


 それでもメリザンドは、ヴィクトワールを見放したわけではなかった。彼女が王妃にしてきたように、笑いものにするつもりなど毛頭ない。

 いずれ落ち着いて話をしよう。王妃の素晴らしい人柄をわかってもらおう。


 恐らくそれは困難を極めるだろうが、いつかまたかつてのように仲良くできたらいいなと呑気のんきに思っていた。

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