第21話 お披露目式
お披露目式の日。
王宮にて、メリザンドは大勢の侍女に囲まれ、全身を懇切丁寧に手入れされ、これでもかと着飾らされることとなった。
しかも、その指揮を執っているのはヴィクトワールである。
「んもう、淡い色のドレスに真珠のネックレスを合わせてどうするのよ! 選んだのだぁれ?」
「すべて、国王陛下の選定でございます」
「まぁまぁ、お兄さまったら! ほら、責任は取るから、わたしの部屋から宝石箱を持っていらっしゃい!」
恐れ知らずの王妹に、メリザンドは目をしばたたかせる。傍に控えているプルヴェ夫人の笑顔も、心なしか引きつっているように思えた。
「とても素敵よ、メリザンド。わたしの侍女にしたいくらいだわ!」
好き勝手にメリザンドのコーディネートをいじり倒したヴィクトワールが歓声を上げる。
たしかに、鏡の中のメリザンドは、未だかつてないほどに美しかった。化粧や宝飾品の力と、メリザンドが元から持つ瑞々しさが相まって、晴れ舞台に相応しい仕上がりになっている。
「光栄です、ヴィクトワールさま」
「堅苦しいのはよして。これからお友達としてたくさん遊びましょうね」
「ええ、陛下のお許しになる範囲内で、楽しいことをたくさんご教授ください」
「お兄さまはきっと、なんでも許してくださるわ!」
王妹のはしゃぎっぷりに、メリザンドは圧倒されて言葉を失う。気さくに接してくれるのは嬉しいが、あまり奔放すぎるのもいただけない。
ヴィクトワールにとってのメリザンドは、『新しく手に入れたおもちゃ』か、はたまた『嫁いでしまった姉たちの代わり』か、どちらかだろう、とぼんやり思う。今の王宮は、彼女には退屈なのだろう。
化粧室を出てからは、ヴィクトワールに先導されて廊下を歩く。背後にプルヴェ夫人、その他数人の侍女を引きつれて。
──王妃にでもなった気分だわ……。
堂々としているのが正解だろうが、あまりに身分不相応で、なんだかくすぐったい。壁に飾られた肖像画や胸像も威圧的で、意思を持ってこちらを値踏みしてきているようだった。
大広間の手前で、近衛を連れた国王と合流する。
「おお、月の女神のように美しい!」
盛装のメリザンドを見て、王は漆黒の瞳を輝かせる。喜々とした様子で手を差し出してきた。
「首を長くしてこの日を待っていた。お前はいよいよ、公私共にわたしのものとなるのだ」
「は、はい……」
手を重ねながらも、照れて王から視線を外してしまった。だが王にとっては、その
「緊張しているのか?」
と耳元で囁かれ、メリザンドは目を見開いた。
結婚式の日、リュシアンにも同じことを言われた。それを思い出した瞬間、頭の中いっぱいに、彼の端正な容貌が浮かぶ。歌劇場で友人らと談笑している姿、結婚式の日の壮麗な礼服姿……そして、メリザンドを見つめる冷たい瞳……。
──あの人のことばかり考えていてはダメ。
帰宅した夜に言葉を交わして以来、顔を合わせていない。今頃、あの手紙を読んで、呆れ果てて火にくべているかもしれない。そうだ、そうに違いない。
リュシアンの姿を頭から振り払い、王へ向けて婉然と微笑む。
「少し、胸が高鳴っております」
「今回も、先日と似たような舞踏会に過ぎない。多少は周囲が騒がしくなるかもしれないが、いざとなったらわたしがシッシと追い払ってやる」
言葉は冗談めいていても、王の黒瞳の中には真剣な光が宿っていた。『わたしが守ってやるから、安心しろ』と告げてくれているよう。
メリザンドは頼もしげに王を見上げ、王もメリザンドに向けて目を細めた。
「ああ、愛しいメリザンド。このわたしの心をこんなにも掻き立てて。まったくお前は罪深い女だ」
「陛下の
緊張がほぐれたメリザンドの口からは、芝居がかった台詞がすらりと飛び出す。王は愉快そうに口元を歪めた。
「言うではないか」
「こういった物言いがご不快でしたら、おっしゃってください」
「いや、構わない。劇の一節のような
王は上機嫌そのもの、といった調子で歩を進め、メリザンドも胸を張って床を踏みしめた。
やがて大広間の扉が開けられ、大勢の人間の喧騒と視線に出迎えられる。みな、メリザンドを認めた瞬間、一斉に囁き合いを始めた。
──みんな、ひそひそ話が
己を奮起させるためにあえて余裕ぶったことを思いながら、王の隣の席へ腰を下ろした。
──でも本当に、これでは王妃みたいな扱いだわ……。
現王妃はメリザンドのことを容認しているらしいが、歴代の王妃にとっては、別の女が王の隣に座るなんて、さぞかし屈辱的だったのではないだろうか。
王が淡々と口上を述べたあとは、ダンスが始まる。最初に踊るのは主催者と女主人、つまりは王とメリザンド。こういった流れは、どこの舞踏会でも同じだ。
しかし、今日の催しはあくまでメリザンドの『お披露目式』のはずだ。
ゆえに、『彼女が公式寵姫のメリザンドだ、以後よろしく』といったような廷臣向けの紹介があるのかと思いきや、それに近いことさえもなかった。
先日の『紹介』の場で、メリザンドは大勢の廷臣に顔を知られているし、このお披露目式はさしたる意味もない、形式的なものに過ぎないということなのだろう。
宮廷のしきたりとは、まことに難解なものだ。
ダンスを終えて席に戻った途端、大勢の人間が挨拶に押し寄せた。廷臣や主だった貴族だけでなく、諸外国の大使まで。
恭しく頭を下げる者、あからさまなおべっかを使う者、
ほとんどは王が相手をしてくれたため、メリザンドは笑顔の仮面をかぶり続けているだけで済んだ。
メリザンドへ直接向けられた言葉さえ、王が拾って答えてしまうのだ。
恐らくそれは王が故意に行ったことだろう。
寵姫に対する過保護さをこれでもかとアピールし、『わたしの目がばっちり光っているから、意地悪するんじゃないぞ』と暗に下々へ通達しているのだ。
そういった気遣いが、とても心強かった。
──ああ、わたしは今、この国でもっとも偉大な御方に庇護されているのだわ……。
その実感に伴い湧いてきたのは、眼前に居並ぶ者たちを見下す心。メリザンドの心に在った謙虚さがゆっくりと溶け消えていく……。
しかし、視界の端にプルヴェ夫人の姿を認めた瞬間、はっと我に返ることができた。敬愛する夫人に、ほんのわずかでも失望されたくない。
笑みに混ざりかけていた傲慢さをさっと隠し、メリザンドは静かに人間観察をすることに努めた。
今後のため、人々の顔と名前、第一印象をしっかりと記憶に残しておかねばなるまい。
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