第18話 国王とのダンス

 大広間にやって来たメリザンドは、荘厳華麗な内装よりも、そこに集う貴人の群れに圧倒された。メリザンドが身分を明らかにした瞬間、彼らからの視線が一斉に突き刺さるのかと思うと、胃がきゅっとなる。


「通してちょうだい」


 ヴィクトワールが軽く声をかけただけで、人垣が割れる。遅れて、みながメリザンドを見る。王妹に付き従っているというだけで、すでにメリザンドは衆目を集めていた。


 プルヴェ夫人がそうしているように、そしてリュシアンから言われたように、澄ました笑みの仮面を顔に貼りつかせる。背筋を伸ばし、一歩一歩を堂々と踏み出す。

 王に選ばれた女として、そしてバルテ侯爵夫人として、王にもリュシアンにも恥をかかせたくない。


 特にリュシアンは、『妻を寝取られた夫』だなんていわれのないそしりを受けてしまっている。これ以上、彼を貶められたくない。

 夫としての価値なんてない、ひどい男だけれど、それでも赤の他人にリュシアンを悪く言われると、なぜかすごく腹が立つ。


 だからせめて、『陛下とバルテ侯爵は、あんな小娘を取り合ったのか』なんて、呆れられないようにしなくては。


 しかし、肝心の国王の姿が見当たらない。奥に用意されている席は空っぽ。かといって誰かと踊っているわけでもないようだ。


 今流れているのは軽快な円舞曲で、踊っているのは仮装した者たちだった。

 仮面舞踏会でもないのにあえて仮装をするのはここ何年かの流行りだ。白い仮面に、南国の鳥のように派手な装いは、人々の目を楽しませる。


 やがて曲が止み、仮装人たちが会場中へ散っていく。

 と、そのうちの一人がこちらへ歩み寄ってくるのが見えた。


 羽飾りのついた大きな帽子、カールヘアのかつら、亡霊を想わせる白い仮面、豪勢なレースの襟締めに袖飾り、派手な刺繍の施されたハイウエストコート、キュロットにハイソックスという、レトロスタイルの仮装をしている。

 もちろん顔は仮面で隠れており、何者なのかはまったくわからない。辛うじてわかるのは、長身の男性だということくらい。


 その者はなんの遠慮もなくヴィクトワールの前に立つと、彼女の耳元になにかを囁いた。そういうふるまいが許される身分の者らしいが……。

 口元に笑みをたたえたヴィクトワールが数歩横へと移動し、謎の人物がメリザンドとプルヴェ夫人の正面に立ちはだかる。


「瑞々しい若草色のドレスのご婦人。春の女神がロッサの絵画から抜け出してきたのかと見まがい、つい足を向けてしまった」


 声はくぐもっていたが、たしかに聞き覚えがあった。仮面の奥に見える瞳の色は漆黒。そして、この芝居がかった物言い。

 まさか、とメリザンドは息を呑む。


「美しいあなたを見つめるのに、仮面越しではあまりにもったいない」


 男が仮面に手をかけ、かつらと共に一息に剥ぎ取った。

 途端、シルクのようになめらかな黒髪がふわりと広がり、はらはらと肩や胸元に落ちていく。

 その光景は、神話の一節のように美しかった。


 国王陛下、と場がどよめいた。

 陛下が声をおかけになったあの女は、と誰もがメリザンドに注目した。


「プルヴェ夫人、こちらの美しい婦人はどこのどなたかな。ぜひわたしに紹介してくれないだろうか」


 群衆のざわめきの中にあっても、非常によく通る声で、王は夫人へと言葉を向けた。だがその間も、彼の視線は真っ直ぐメリザンドを捉えている。


「こちらは、バルテ侯爵夫人・メリザンドでございます」


 プルヴェ夫人の静かな声もまた、会場中によく響いた。彼女が口を開く瞬間、誰もが固唾かたずを飲んでいたからだろう。


「お初にお目にかかる、バルテ夫人。わたしはこの古い宮殿の主であり、今宵の会の主催者だ」


 遠回しな口上に戸惑いながらも、メリザンドはプルヴェ夫人から厳しく教えられた通りに深く膝を曲げ、最高位の礼を披露する。


「お目もじつかまつりまして、光栄の極みに存じます」

道化どうけに扮した男に対し、そのような堅い挨拶は不要だ。それよりも、二人の出会いを記念して、一曲踊ってはくれまいか」

「はい、喜んで」


 差し出された尊き手のひらの上に、メリザンドは己の手を重ねた。


 ──ああ、始まった・・・・


 メリザンドの新しい人生は、今ここから始まったのだと思った。大勢の人々がメリザンドを認識した。もう絶対に後戻りできない。ならば進むしかない。


 王に愛され、王を愛する寵姫として、強く、優雅に、堂々と、一歩を踏み出す。


 王の指が、メリザンド手をしっかりと捕らえ、広間の中央へと導く。

 群衆が退しりぞき、若き王と寵姫のための道を作った。かつて哀れな民のために海を割ったという、古の預言者になったような気分だった。


「今宵はまことに良い夜だ」


 踊りながら、王が囁く。彼の熱い視線にのぼせたメリザンドは、頬を紅潮させながら微笑みを返す。

 決意を固めていたおかげか、はたまた王のリードが秀逸だったおかげか、緊張せずのびのびと踊ることができた。大勢の人々の視線にさらされていることなど忘れて、ただ二人だけの世界に没頭する。


 曲が終わると、王はメリザンドの前に跪いて、手の甲にキスを落とした。


 その光景は、招かれていた有名画家によって絵画の中に記録され、名画として後世に残ることとなる。

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