第17話 王妹ヴィクトワール

 ヴィクトワールに連れてこられたのは、小ぢんまりとした談話室だった。いや、それでも調度品の豪華さはメリザンドの目をチカチカさせる。


「あなたが『メリザンド』ね」


 挙げ句、ヴィクトワールにずばりと言い当てられ、口から心臓が飛び出すかと思った。


「安心して。今日のことはお兄さまから聞いているわ。さっきのはいわゆる『助け舟』よ」

「まぁ、そうでしたか。本当に助かりました、ヴィクトワールさま」


 プルヴェ夫人が頭を下げると、王妹は得意げに目を細めた。その自信に満ちあふれた態度は、やはり王とよく似ている。


「ところでメリザンド──」

「……はい、殿下」


 緊張をみなぎらせながら返事をすると、ヴィクトワールは口元に手をやってくすりと笑う。


「わたしのことは気安く名前で呼んでちょうだい」

「では、お言葉に甘えて、ヴィクトワールさま。この度は、お目もじ叶って光栄でございます」

「わたしも会いたかったわ、歌劇場の天使さん。お兄さまったら、この三年間ずーっとあなたの話ばかりしていたのよ。ガッリア国王にここまで懸想されるなんて、あなたって本当に果報者ね」

「お、畏れ多いことでございます」

「謙遜しなくていいのよ。わたし、お兄さまとあなたのことをとても羨ましく思うわ。劇場の桟敷さじきで運命的な出会いを果たし、時を経てようやく結ばれる……。なんてロマンティックなんでしょう!」


 陶然とした様子のヴィクトワールに、メリザンドはすっかり気抜けしてしまった。

 公式寵姫が国家公認の身分だとはいえ、しょせんは『愛人』だ。汚らわしいものを見るような目を向けられる覚悟もしていたのだが……。

 改めて、ガッリア貴族の不倫に対する寛容さを思い知ることになった。


「年も近いし、わたしたちは良いお友達になれるわ」


 ──お友達?!


「……身に余る光栄です」


 当惑しつつ慇懃いんぎんに答えておいたが、果たして、この愛嬌あいきょうたっぷりの王妹の言葉をどこまで真に受けていいものか。あとからプルヴェ夫人に確認しなくては。


「これで宮廷ももっと華やかになるでしょう。あのチビでガリガリの帝国女は本当に地味で陰気で、うんざりしていたの」

「!?」


 ヴィクトワールの言葉に、メリザンドは耳を疑った。

 彼女が口にしたのは、まさか王妃のことだろうか。たしか、王妃の出身国はエスパナ帝国だったはず。

 王妃の悪口を言いたい連中がいるとプルヴェ夫人から聞いていたが、まさかその筆頭が王妹だったとは……。


「ヴィクトワールさま、お口が過ぎます」


 プルヴェ夫人がたしなめるが、ヴィクトワールは挑発的に口角をつり上げただけ。


「だって、本当のことよ。メリザンドだって、あの女に会えばそう思うわ。甥や姪は可愛いけれどね」

「…………」


 メリザンドは笑顔のまま固まる。王宮内で、王妃と王妹の対立が起こっているなんて露ほども思っていなかった。いずれどちらかの側につかなくてはならないのだろうか。日和見ひよりみ主義は一番良くないだろうし……。


 ──ああ、今すぐプルヴェ夫人にすがりつきたい!


 こぼれそうになったため息を肺へと押し戻したとき、メリザンドの耳に届いたのは、優美な響きの音楽。どこか遠くから聞こえてくるそのかすかな音色は、あまりに聞き覚えがある。覚えがありすぎて、身体がソワソワしてしまうほど。


 しかし、このすっかり聞き飽きた音楽が流れているということは……。

 ぽかんとするメリザンドの隣で、プルヴェ夫人が焦りをあらわにする。


「これは……!」

「あらあら、始まってしまったわ。お兄さまったらせっかちなんだから」


 ヴィクトワールがあっけらかんとした調子で言う。口元には、なにか含みのある笑みを浮かべているように思えた。


「大丈夫よ、行きましょう。わたしの後ろについてきて」


 今はただ、この姫君の言葉を信じるしかない。

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