第16話 噂話
「わたくし、『紹介人』にはダルトワ夫人がなるんじゃないかと踏んでいるのですが、まだ姿を見ておりませんの」
「公式寵姫の件、噂では聞いておりますわ。ダルトワ夫人ほどの方が紹介人になるのなら、陛下のお傍に
クーベルタン夫人とプルヴェ夫人の会話が続く。もちろんプルヴェ夫人の声は落ち着いていて、動揺など微塵も感じられない。
と、クーベルタン夫人の目が糸のように細くなり、目尻にたっぷりと
「それがね、ここだけの話……公式寵姫に選ばれたのは、あのバルテ侯爵のご夫人なんですって」
「まぁ、そんな、まさか!」
『ここだけの話』なんて真っ赤な嘘だということは、疑うべくもない。そしてその噂は、まごうことなき『真実』だ。
そして、大げさに驚いてみせたプルヴェ夫人もなかなかの役者だ。
──というか、もうわたしのことは広く知れ渡ってるのね……。
現実逃避を兼ねて、他人事のように考える。まぁ、一人でも口の軽い者が漏らせば、野火のように広がっていくのが『噂』というものだ。
──今ここで名前を尋ねられたら、どうしようかしら。
いっそここで、『秘技・気絶したふり』を発動してしまおうか、なんて冗談半分で考えたとき……。
「あの美しいバルテ侯爵が、陛下に妻を寝取られた、と噂になっているんですのよ」
「!」
クーベルタン夫人のさも愉快そうな言葉に、メリザンドは目を剥かずにいられなかった。声を我慢できたのは、自分でも奇跡だと思う。プルヴェ夫人だって、困惑をあらわにしている。
「ほ、本当ですの?」
「ええ、陛下とバルテ侯爵は幼馴染で、剣も馬も勉学も競い合ってきた仲でしょう。女性関係に関しても、つい対抗心が燃えてしまって……ということではないかしら?」
──無礼極まりないことを、ベラベラと淀みなくしゃべる女! 見苦しい!
事実無根の話に、メリザンドは怒り心頭となった。
リュシアンはなにもかも承知の上でメリザンドと結婚した。それを『妻を寝取られた』だなんて、なんたる
三年もメリザンドを思い続けていた王に対しても、あまりに不敬だ。
しかし、これこそが『宮廷』なのだ、と理解もした。みんな、他人の醜聞が大好き。隙を見せれば、たとえ国王でもその餌食となる。
「ところで、そちらの可憐なお嬢さんはどこのどなた? プルヴェ夫人、紹介してくださるかしら」
クーベルタン夫人に真っ直ぐ見つめられ、メリザンドは息を呑む。たった今メリザンドに気を留めたように装っているが、この女はずーっとこちらをチラチラ窺ってきていた。こうなることは十分予測できていた。
プルヴェ夫人がこちらを振り返って、小さくうなずく。恐らく、『覚悟を決めろ』ということだろう。
ならばメリザンドのすることは、『わたくしがそのバルテ侯爵夫人ですが、なにか?』というような
「こちらのご婦人は……」
「あら~、プルヴェ夫人じゃない!」
プルヴェ夫人が口を開きかけたとき、明るい声と共に何者かが割って入ってきた。
一体どこの無作法者だ、と軽蔑の眼差しを向ける間もなく、メリザンドはその若い娘の正体を察した。
未婚女性の特徴であるハーフアップの髪形、その髪色は艶めく漆黒。太い眉が印象的な容貌は、メリザンドが純潔を捧げた男性と瓜二つ。
「ヴィクトワールさま」
プルヴェ夫人も、クーベルタン夫人とその取り巻きも、膝を曲げて
──この快活そうな女性が、陛下の……。
突然現れた少女は、王妹ヴィクトワール。先王の三女で、メリザンドの一つ下の十七歳。
リュテス宮殿の若き女主人、と言っても過言ではない人物だという。
本来その役目を担うのは王妃なのだが、妊娠出産を繰り返しているため、なかなか
そんな王妃に代わって、王宮の社交界を取り仕切っているのがヴィクトワールだと聞いている。舞踏会においては、王と最初に踊るのも彼女だという。
ヴィクトワールは満面の笑みを浮かべ、プルヴェ夫人の腕を取る。
「プルヴェ夫人ったら、お母さまが亡くなってからあんまり顔を出してくださらないんですもの、寂しかったわぁ。舞踏会が始まるまで、わたしとおしゃべりしましょう!」
「しかし、陛下に挨拶を……」
「今お兄さまのところへ行ったって、すごい列ができてるわよ。あとからわたしが取りなしてあげるから、ね」
「ええ……ではご厚意に甘えて……」
さすがのプルヴェ夫人も、折れるしかないようだった。メリザンドも、まさかの王妹乱入に、唖然とするしかない。
「ねぇ、そちらのあなたも一緒にいらっしゃいよ」
「ま、まことにありがたき幸せ……」
気さくに誘われ、驚きつつもなんとか感謝の意を示す。どのみちメリザンドには、プルヴェ夫人と共に行動する以外の選択肢はない。
「クーベルタン夫人、話を邪魔して悪かったわね。ではまた大広間で会いましょう」
「はい、ヴィクトワールさまの華麗なダンス、楽しみにしております」
優雅に微笑むクーベルタン夫人。しかし内心では、『どんなお話をしていたの?』なんて聞かれなくて、ほっとしているのではないだろうか。
──ひとまずわたしは助かったのかしら?
疑問符を浮かべながら、メリザンドは王妹とプルヴェ夫人のあとに続いた。
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