第15話 初めての王宮

 いよいよメリザンドが国王に『紹介』される日がやってきた。

 着飾ったメリザンドはプルヴェ夫人の所持する馬車に乗り、生涯無縁の場所だと思っていた王宮へと向かう。


 すでに公式寵姫となることが決定している立場だが、あくまでも今日は『プルヴェ夫人の友人・バルテ夫人』として王に挨拶をするだけ。

 ゆえに装いは派手過ぎず、程よく流行を追い、なおかつメリザンドの若く瑞々しい面立ちを際立たせるものになっている。


 身にまとうのは、胸元に大きなリボンのついた若草色のドレス。

 巻いて結い上げた髪にはバラの生花、首元にはベルベットにレース飾りのついたチョーカー、けれど耳飾りは大粒の真珠。

 高級な白粉を薄くはたいた上に、桃色の頬紅を引いて健康的に。流行色の口紅で下唇をふっくら見せて。

 昨年即位したばかりの若き国王に相応しい、うら若き乙女、といった風体だ。


 といっても、多くの者がメリザンドの『正体』を知るのは、今後予定されている『お披露目式』においてだが。


「あなたのことを知るのは、一部の廷臣のみです。そして、わたくしが『紹介人』となることも公言されていません。しかし、あなたが『バルテ侯爵夫人』だと知られた瞬間、大勢の者が目を皿のようにして、あなたを見つめることでしょう」


 プルヴェ夫人の言葉に、メリザンドは深くうなずく。


「リュシアンさまは『銀の貴公子』の二つ名を持つほどの御方ですものね。その妻となった女の、初めての宮廷デビューですもの。

 にもかかわらず、伴っているのはリュシアンさまではないなんて、わたしに関するさまざまなひそひそ話が飛び交うのでしょうね」

「ええ、覚悟はできていますか」

「笑顔の仮面は、決して外しません」


 とは言いつつ、生まれて初めて訪れる王宮で、由緒正しい貴族のお歴々に囲まれれば、未だかつてないほどのプレッシャーを感じることだろう。


「震えて立ち尽くすくらいなら、気分を悪くして倒れたふりをするのですよ」

「承知しております」


 ダンスや礼儀作法の特訓に加え、ふらりと気を失う演技の練習までしたのだから、下手へたを打って夫人の面目を潰すわけにはいかない。


 やがて、王の御所であるリュテス宮殿が見えてきた。メリザンドはわずかに身を乗り出す。


 薄闇の中に威容をさらす広大な王宮は数百年の歴史を持ち、さまざまな詩人に語られ、偉大な画家に描かれ、諸外国の宮殿建築においても多大な影響を与えたという。

 しかし、先代の王によって八年前に建設された国立歌劇場があまりにも荘厳かつ絢爛で、某国の大使に『ガッリア国王はずいぶんと小さな宮殿にお住まいだなぁと思ったら、そこは歌劇場だった!』と揶揄されてしまったとか。


 馬車から下りれば、春先の夜風がドレスのレースを揺らした。緊張を身体の奥底に閉じ込めながら、さりげなく、ゆっくりと視線を巡らせて、周囲の様子を探る。

 冗句で語られている通り、国立歌劇場の方がずっと壮麗だが、重厚感では比べ物にならない。屋根に居並ぶ神々の彫像なんて、今にも動き出しそうだ。


 宮殿内部の作りもまた、メリザンドを圧倒した。

 来客用の玄関から大広間へ続く回廊は、別の世界へ導かれたかと錯覚するほどに見事だった。

 白と黄金に彩られた壁、荘厳な宗教画、天井からぶら下がる大量のシャンデリア。


 そこかしこで談笑する男女の群れも、豪華な内装に負けず劣らずの華美な装いをしていた。聖職者もいれば、仮装をして顔を隠している人までいる。

 彼らはみんな、王宮にお呼ばれするほどの高貴な身分の方々なんだと思うだけで、身がすくむ。


 ただちに回れ右して、家へ逃げ帰りたくなった。

 しかし逃げたところで、メリザンドを温かく出迎えてくれる者は誰もいない。役目を果たせなかった妻を、リュシアンはさぞ冷たい目で見つめることだろう。

 その光景を想像すると、俄然がぜん気力が湧いてきた。つんと澄ました顔をして、プルヴェ夫人と共に歩を進める。


 しばらくして、ふと夫人の横顔を見たとき、ずいぶんと硬い表情をしていることに気が付いた。


「……あまりに人が多すぎます」


 扇で口元を隠しながら、夫人が囁く。


「誕生会などのお祝い事でもないのに、どうしてここまで。……まさか、今日が公式寵姫のはつお目通りの日だと、漏れている……?」

「え……」


 メリザンドが動揺をあらわにしかけたとき……。


「プルヴェ夫人、お久しぶりですね」


 甘ったるい声に、夫人が足を止めた。メリザンドは、はっと表情を引き締める。

 声をかけてきたのは、ふくよかな中年女性。

 その堂々とした佇まいや、胸元で光る宝飾品の見目鮮やかさから、家柄の高貴さがうかがわれた。背後には、いかにも取り巻きです、といった様子の女二人を従えている。


「ご無沙汰しております、クーベルタン夫人」


 しずしずと一礼するプルヴェ夫人。メリザンドは彼女の一歩後ろで気配を消した。


 クーベルタン夫人は象牙の扇で口元を隠しながら、プルヴェ夫人へと身を寄せる。


「プルヴェ夫人、ご存知ですこと? 今日の舞踏会で、公式寵姫となる娘が王に『紹介』されるんですって」


 内緒話にしては大きすぎるその声は、メリザンドの耳にもはっきりと届いた。

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