公式寵姫としての生活

第23話 ヴィクトワールとの茶会

 『新王の寵姫・バルテ侯爵夫人はまことに幸運な女……』


 メリザンドは宮廷でそんな風に囁かれることとなった。


 低い身分の出身でありながら、美しき貴公子リュシアンの妻となり、やがて国王に見初められた。

 身重の王妃からは一も二もなく公式寵姫への就任を許され、王妹からも長年の親友のごとく扱われて。

 なんの苦心もなく宮廷の頂点近くへ登りつめた女。

 さぞかし鼻高々で、歴代の寵姫の例に漏れずワガママし放題、公費を湯水のように使うに違いない……。


 などと言われていたが、メリザンドは決してそのようにふるまわなかった。

 過ぎた欲は必ず身を滅ぼす。

 なにより、『謙虚なあなたが好き』と言ってくれたプルヴェ夫人を失望させたくなかった。公式寵姫になってからも、いつも傍にいて相談に乗ってくれる夫人に。


 それに、メリザンドの悪評が立てば、それは必ずリュシアンの耳に入る。

 そうなればきっとリュシアンは、『あの娘は贅沢への誘惑に耐えきれず、早々に堕落したか』とでも思うだろう。


 あるいは、『わたしには関係のないことだ』と聞き流すかもしれないが、前者のようなことを、少しでも思われたくなかった。


「メリザンド、遠慮なんかせず、もっとお兄さまにおねだりなさいよ。宝石やドレス、馬車にお屋敷……いえ、お城なんかを」


 ある日のお茶の席で、ヴィクトワールからそんなことを言われた。コーヒーに浸したクッキーをかじっていたメリザンドは返事をすることができず、ただ目を見開いた。


「縁起でもないと思うかもしれないけれど、公式寵姫は永遠の地位じゃないの。王の気まぐれ次第で、いつその座を追われてもおかしくはないのよ。凋落ちょうらくに備えて、財産を貯めておくべきだわ」


 メリザンドが公式寵姫となってからまだ二月ふたつきも経たないのに、寵を失ったときのことを語るなんてたしかに縁起でもない。

 だが、王妹直々にそんな助言をしてくるくらい、メリザンドの暮らしぶりは『質素』だということなのだろう。


「父上の寵姫だったイベール夫人なんて、蓄財していたからこそ今は外国で好き放題できているんでしょ」

「ええ、その通りです……」


 答えたのはプルヴェ夫人。


「あの女ったら、本当にちゃっかりしているんだから。父上からもらった財産の一部を返却するのと引き換えに、修道院を出ることを許されたのよ」


 と、王妹は兄そっくりの太眉を不快げに歪めた。それから悩ましそうにメリザンドを見つめる。


「まぁ、万が一お兄さまがあなたを捨てても、わたしが傍に置いてあげるわ。でも、お嫁に行くことが決まったら、連れていけないしぃ……」

「ヴィクトワールさまの縁談には、陛下もずいぶん慎重になっておられるようですねぇ。可愛い末妹を手放したくないのでしょう」


 おっとりした調子でそう言ったのは、サンカン夫人だった。ヴィクトワールのお気に入りで、彼女のピアノ教師役も務めているが、厳しさに欠けるサンカン夫人が十全にその役目を果たせているかは非常に疑わしい。


「近隣諸国に手頃な相手がいないだけでしょ」


 冷ややかな調子で返しつつも、ヴィクトワールはまんざらでもない様子だった。兄王に可愛がられているという事実が、彼女の自信に繋がっているのだから。


 そして、ヴィクトワール以上に王の寵愛を受けているメリザンドには、もっと放縦ほうじゅうにふるまう権利があるのは承知している。

 けれどやはり、そうしたいという気持ちにはなれない。


「ヴィクトワールさまのお心遣いには感謝いたします。ですが、陛下からはすでにたくさんの贈り物を頂いていて、未だ全容を把握できておりませんの。まずはすべてのドレスに袖を通してから、次の『おねだり』を考えますわ」


 控えめに微笑みながら答えると、ヴィクトワールは大きな黒瞳こくどうを輝かせた。


「じゃあ、早くすべてのドレスを着古してしまえるよう、たくさーん遊びに行きましょう」


 童女のように無邪気なヴィクトワールの物言いに、メリザンドだけでなく、茶会の参加者、侍女たちまでもがころころと笑う。

 和やかな空気が室内に満ちて、心がほっと安らいだ。


 笑声が止むと、一瞬だけ場がしんとしたが、すぐにヴィクトワールが話を再開する。


「ねぇメリザンド、お兄さまからもらったものを大切にするのもいいけれど、公式寵姫として、あなた自身が流行を作らなくてはダメよ。今の流行とはちょっと異なる意匠のドレスを作らせて、舞踏会や歌劇場でお披露目するの」


 諭すような、懇願するような口ぶり。理解はできるが、これまた荷が重い話だ。


「皆さまの失笑を買うことにならないでしょうか」


 率直に不安を吐露すると、ヴィクトワールはにこりと笑う。


「わたしも似たような格好をするから大丈夫。寵姫と王妹が揃いの格好をしていたら、みんなこぞって真似し始めるわよ。ねぇメリザンド、二人でファッションリーダーになりましょう」


 ──ああ、この方の真意はこういうことなのね。


 メリザンドはヴィクトワールのしたたかさに感心する。

 彼女はとにかく目立ちたいのだ。目新しいドレスを着用して衆目を集め、立派な馬車に同乗して出掛け、メリザンドに与えられた城で盛大な舞踏会を開催する。

 たかだか・・・・王妹の立場では不可能だったことを、寵姫と共に成し遂げたいというのが、ヴィクトワールの野望ゆめなのだ。


 悪い気分しなかった。それはひとえに、ヴィクトワールの人柄によるもの。宮廷に上がってから、メリザンドは彼女に本当に良くしてもらったし、その明るさに癒された。

 さすがに城をおねだりするのは気が引けるが、新しくお揃いのドレスを作って、ヴィクトワールと『姉妹ごっこ』をするのは悪くない……むしろ、楽しいかもしれない。


「ではヴィクトワールさま、良いデザイナーをご存知でしたら、ぜひ紹介してくださいませ」

「ええ、任せてちょうだい! 目をつけている新進気鋭のデザイナーがいるの。伝統にこだわる、頭の固い連中なんかには依頼しないわ!」


 得意げに胸を張るヴィクトワールがあまりにまぶしくて、メリザンドは目を細めて笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る