第24話 サンカン夫人

 ヴィクトワール開催の茶会が終わり、客室を出た途端、サンカン夫人に話しかけられた。


「バルテ夫人、少しよろしいかしら」

「はい、なんでしょう」

「わたくしのお友達に、ぜひあなたと仲良くしたいと望んでいる方がたくさんいるの。だから近々、わたくしのサロンに来てくださらない?」


 年上の女性の穏やかで優しげな口ぶりに、つい二つ返事で了承してしまいそうになるが、メリザンドは気を引き締めて答えた。


「まぁ、ありがとうございます。わたしもたくさんのご婦人とお知り合いになれるのは嬉しいですわ。

 ですが、その方々の『望むもの』は決してご用意できませんが、問題ないでしょうか」


 サンカン夫人の口元が、ほんのわずかだけ引きつった。それ以外の変化を見せなかったのは、さすが宮廷慣れしていると称賛を送らざるを得ない。


 サンカン夫人の『お友達』が望んでいるのは、つまるところ夫や親族の出世だ。メリザンドを通じ、王へと取り入りたがっている。


 そしてサンカン夫人は、彼らに恩を売り、宮廷内での地位を確固たるものにしたい。

 今は王妹の『お気に入り』として大きな顔ができているが、彼女が嫁いだらすべてがおしまいだ。

 後ろ盾を失った女が、宮廷内でどんな扱いを受けるかは想像に難くない。


 その境遇はメリザンドと似た者同士で、同情を禁じ得ない。

 だからといって、『ねぇ陛下、わたしのお友達の○○夫人の御夫君ごふくんを要職に就けて差し上げて』なんて厚かましいこと、どのつら下げて王へ口利きしろというのか。宝石やドレスをねだるのとは訳が違う。

 他の貴族からだって、非難轟々となること請け合いだ。


 とはいえ、なにもかもを拒絶することも得策ではない。『わたしと仲良くしておけば、良いことがありますよ』と喧伝し、味方を増やすことも宮廷内では必須だろう。


「お役に立てなくて、ごめんなさい……」


 しゅんとした素振そぶりで項垂うなだれると、サンカン夫人は慌てて「いいえ、そんな!」とメリザンドをなだめにかかった。公式寵姫の機嫌を損ねる勇気など、彼女には微塵もありはしないのだ。


 ──こういうわかりやすい性格のひと、好きだわ。


 メリザンドはサンカン夫人の手を取ると、真っ直ぐ目を見つめながら告げる。


「役立たずのわたしがこんなことを言うのもおこがましいですが、わたし、サンカン夫人のピアノが大好きなのです。サロンでその素晴らしい腕前を披露して頂けるのでしたら、喜んで伺いますわ」

「そ、それは光栄ですわ」


 サンカン夫人は戸惑ったように目を泳がせたが、顔面には喜色が浮かび始めている。


 ──もう一押しね。


「ご迷惑でなければ、わたしにもピアノを教えてください。わたしの演奏の腕を陛下にお褒め頂くことがあれば、必ず夫人の名前を陛下のお耳にお入れいたしますわ」

「まぁ、それは……願ってもないことです」 


 サンカン夫人の顔に、ありありと安堵と歓喜の念が現れた。『お友達』を介して地位を固めるよりは、王に直接名を知られた方がずっといいに決まっている。


 だか、メリザンドの演奏がどれほど上達するかはわからないし、王がピアノに興味を示すかもわからない。

 もちろん習う以上は真面目に取り組むし、王から教師の名を尋ねられれば正直に答えるつもりだが、なにもかもが不確定だ。


 ──わたしも、ずいぶんと肝が据わったものね。


 内心で舌を出しながらも、メリザンドは人心掌握がうまくいったことに胸を撫で下ろしていた。

 王宮に上がる前のメリザンドだったら、こんな立ち回りは到底できなかっただろう。これもすべて、宮廷人の言動をつぶさに観察した結果だ。

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