第35話 王妹の結婚 その2

 ヴィクトワールの輿入れの話は、すぐに宮廷中に広がった。いや、とうに国中を駆け回っているのかもしれない。

 めでたいと素直に喜ぶ者、なぜホルミアなのだと首をかしげる者、あの奔放な姫に王妃が務まるのかと不安を口にする者と、さまざまだった。


 もちろん、親子ほどに年齢の離れた婚姻を哀れむ者も多かった。嘲笑う者もいた。リュテス宮殿に女主人然と君臨していた少女が最終的に行き着く場所が、小国の中年王の腕の中だなんて、と。


 ホルミア王の噂は嫌でもメリザンドの耳に入ってきた。若い頃の不摂生がたたって右足がうまく動かないだとか、愛妾あいしょうを何人も抱えているだとか、あと二十年若ければ絶世の美男だったのに、とか、同情を禁じ得ないことばかり。


 メリザンドだって国王に見初められなければ、父に道具のように扱われ、ろくでもない男の元へ嫁がされていたかもしれない。

 ゆえに、我が事のように胸を痛めながら日々を過ごす羽目になり、自室へこもって読書をしたり、己の肖像画を描かせたりしていた。


 ある日のこと、ドレスの採寸をしていたメリザンドの元に、侍女が駆け込んできた。そっと耳打ちされた内容に驚きつつ、人払いをする。


 やがて、侍女に先導されながら一人の少女が歩いてきた。ふらふらとおぼつかない足取りで、まるで病人のよう。メリザンドは慌てて駆け寄り、椅子を勧めた。


「ヴィクトワールさま」

「メリザンド……」


 いつも明るく朗らかだった王妹は、見る影もないほど憔悴しきっていた。顔面は蒼白そのもので、瞼は赤く腫れている。瞳は乾ききっているようだったが、すぐに大粒の涙が浮かび上がってきた。


「メリザンド! わたし、ホルミアなんて北国に行くのは嫌!」


 その叫びはあまりに悲痛で、魂から発せられているかのようだった。


「しかも相手は亡き父上と同年代の男で、わたしと年の近い子供がいるのよ! 宮廷の外にめかけを何人も囲っているとか!」

「ヴィクトワールさま……」


 他国の王の恋愛遍歴を耳にするたび、ガッリアの公式寵姫制度がいかに健全なものかを思い知らされる。

 公式寵姫となるには相応の身分、教養や立ち振る舞いが必要であり、そしてその地位を与えられるのはたった一人だけ。


 一方で『愛妾』は、身分も人数も問われない。娼婦あがりの女が王宮外に屋敷を与えられ、王がそこに通い詰めになることも珍しくはないという。

 女も王の目を盗んで愛人を作り、たねのわからぬ子を産み、何食わぬ顔で爵位を賜る。

 そして王は女から厄介な病をうつされ、王妃を介して子へと感染し、障害や夭折ようせつへと繋がる。

 身の毛もよだつほど、汚らわしい話だ。


「ねぇメリザンド、あなたからお兄さまに言ってちょうだい。わたしの結婚を考え直すようにと……!」 


 ヴィクトワールはメリザンドのドレスにすがりついて、子供のようにわんわんと泣き喚いた。恥も外聞もすっかり投げ捨ててしまうほどに、彼女は追い詰められている。


 ──わたしがお願いすれば、陛下はこの結婚を考え直してくださるのかしら。ヴィクトワールさまは大切なお友達で、離れたくないと懇願すれば……。


 ヴィクトワールの涙を止めてやりたいという同情心と、ここで彼女に恩を売っておけば将来的に役立つだろうという利己心が湧いてくる。

 しかしその結果、このガッリア王国に不利益をもたらす結果になるかもしれない。

 王族の結婚がどれほど政治的に重大な意味を持つか、理解はしているつもりだ。


 そう、ただの『つもり』。王宮に上がって一年未満のメリザンドには十全に理解できることではなく、王からの寵愛を笠に着て外交に口を挟むなんてとんでもないことだ。


 ゆえに、ヴィクトワールへの答えは決まっている。


「わたしは、そのように出過ぎたことを陛下へ言うつもりはありません。王妃殿下がそうなさっているように、ヴィクトワールさまも王族の義務を果たしてください」


 ヴィクトワールが勢いよく顔を上げる。そこにべっとりと貼りついていたのは、まごうことなき『絶望』。

 すでに彼女は、方々ほうぼうへ直訴しに回ったのだろう。あらゆる者に首を横に振られ、諦めろと諭され、最後の最後にメリザンドの元へやってきたに違いない。


 けれどメリザンドもまた、ヴィクトワールに光明を与えてやることはできない。


「王妃殿下に、他国へ嫁ぐ際の心構えをお尋ねされてはいかがですか。あるいは妊娠出産の知識でもよいでしょう。ヴィクトワールさまがそれを望まれるなら、わたしが口利きして差し上げます」


 あえて淡々と、突き放すような物言いをした。ヴィクトワールが一抹の希望さえも抱かないように。すべてを諦めてガッリアを去り、新天地で新たな希望を見つけてくれるように。


「……結構よ」


 低い声と共に、ヴィクトワールがゆらりと立ち上がる。彼女の双眸にぞっとするほどくらい光が宿っていることに気付いた次の瞬間、メリザンドは強く頬を張られていた。


「下賤の女が、すっかり王宮の女主人気取りね! お前なんかがここで大きな顔ができていたのも、わたしが世話を焼いてやったおかげだというのに、犬猫以下の恩知らず! さっさとお兄さまに捨てられて、惨めな思いをすればいいわ!」

「……ええ、おっしゃる通りです……」


 痛む頬をさすりながら、メリザンドは静かに答える。ヴィクトワールの言葉はなに一つ間違っていない。けれどやはり、政治的なことに口出しはできない……。


「申し訳ございません、ヴィクトワールさま……」


 それは心の底からの謝罪。ヴィクトワールもそれを察したらしく、瞳の中で燃え盛っていた怒りの炎の勢いが弱まった。

 苦痛に耐えるように、兄そっくりの顔をくしゃりと歪める。


「もうお前の声を聞くのも、顔を見るのもたくさんよ!」


 絶叫したあと、メリザンドの脇をすり抜けて走り去っていく。部屋の外から侍女の悲鳴が聞こえたのは、ぶつかりそうになったからだろうか。


 ──さようなら、ヴィクトワールさま。


 喪失感を溜息と共に外へ吐き出す。後悔は微塵もなかった。あるとすれば、同情心だけ。


 それから程なくして、ヴィクトワールは王都から遠く離れたセヴラン城へと移っていった。

 集中して王妃教育を受けるためという理由だったが、味方のいない王宮へ留まるのが辛かったのだろう。


 そしてメリザンドもまた、とある理由から王宮を離れることになった。

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