第40話 調子に乗るな
「リュシアンさま、はっきり申し上げます。今のわたしには、心をもてあそばれた疲労感しかありません」
一言一句を明瞭に述べたあと、己の言葉を証明するように深く深く嘆息する。
「わたしの心は、人生は……殿方にもてあそばれてばかり。父にはだまし討ちのような形で嫁がされ、わたしに熱い愛を囁いてくれた陛下には半年ばかりで飽きられて。憧れの侯爵さまには冷ややかに突き放されたかと思えば、本当は気があったのだと告白されて……」
再度、ため息をつく。
「喜びなど、微塵も湧いてこない。むしろ、どっと疲れてしまいました」
「……すまない」
リュシアンの謝罪は、決して上辺だけではないように思えた。美しいかんばせに苦渋の色をたっぷりたたえている。しかし、メリザンドは決して『赦す』とは言えなかった。
──『すまない』じゃないわよ!
喉元まで込み上げてきた憤怒を、必死で飲み下す。
本当なら、激情に身を任せて罵倒し、追い払ってしまいたかった。
だが辛うじて残った理性が、『それは得策ではない』と声高に主張していた。呼吸を整え、努めて平静に告げる。
「リュシアンさまがわたしに冷たく当たった理由は理解できます。わたしの退路を断ち、覚悟を決めさせるため。あるいは、罪悪感や
「感謝しております、リュシアンさま。あなたのおかげで、短い間でしたが、この国の頂点に座す御方から愛されるという、女として最高の経験をすることができました」
「メリザンド……」
リュシアンは心苦しそうに
メリザンドは口元に穏やかな笑みをたたえ、言葉を続ける。
「リュシアンさま、かつて手紙にしたためた想い、すべてが過去になり果てたわけではございません。久方ぶりにあなたの姿を見たとき、わたしの心はかつてのようにときめきました。それに、たとえ形だけだとしても、結婚した以上は死がふたりを分かつまで夫婦です。神がそう定めておられる。ですから、わたしは教義に従い再びあなたの妻になりたい。心からそう望んでおります」
「そうか、よく言ってくれた」
「ですが」
メリザンドはぴしゃりとリュシアンの言葉を遮る。くちびるから笑みを消し、語勢を強めた。
「リュシアンさまに、『今のわたし』を愛する度量がありますか? わたしにはもう三年前の清らかさなど残っていない。この上ない贅沢を知り、夫以外の男性を知った。心身ともに汚れた女を、改めて妻にできると?」
我ながら嫌な物言いをする、と自己嫌悪を覚えながら、さらに辛辣な文言を投げつける。
「わたしを抱くたび、国王陛下のお顔が脳裏にちらつくかもしれませんよ」
「よせ、メリザンド」
鋭い制止の声に、はっと口をつぐむ。リュシアンの覚悟を試すためとはいえ、物言いが下劣すぎたようだ。浅慮を
「わたしはこれまで、数々の夫人を抱いてきた」
「えっ」
予期せぬ言葉に声を失う。リュシアンは涼しい顔をして続けた。
「情を交わす女の貞潔さなど、いちいち気にすると思っているのか」
「で、ですが恋人と妻は違うでしょう」
「妻にだけ貞操観念を求めるほど、身勝手ではない。そもそもお前だって、わたしと陛下を比べてあれやこれやと思うのではないか? まあ、お前の心からも身体からも、陛下の記憶を消してやる自信はある」
得意満面にそんなことを言われ、メリザンドは気恥ずかしさに目線を泳がせた。
「は、はあ……ええと……」
「公式寵姫並みの贅沢はさせてやれないが、ある程度は我が家の財産を好きに使ってもらって構わない。無事に務めを終えた妻への褒美だ」
「い、いえっ、そんなことより……!」
なんとか調子を取り戻し、再び鋭い口調で告げる。
「どうせリュシアンさまも、半年ほどでわたしに飽きるのでしょう。いいえ、もっと短いかも」
「それはわからないが……そうしたらお前も他に愛人を作ればいい」
「なんですって?」
「たとえ心が離れても、夫婦であることは生涯変わらない。子を育みながら、きまぐれに食卓や床を共にする、そんな仲でもいいだろう」
夫の暴論にめまいを覚えたが、すぐにどうでもよくなった。自然と口元に笑みが戻ってくる。
「まあ……そうですわね。妻を口説く言葉としてはどうかと思いますが、どこかの誰かのように、さんざん熱い台詞を吐いておきながら半年で手の平を返されるよりは……ある意味で『誠実』といえるでしょうね」
ふふ、と笑声を立てると、リュシアンはしたり顔をしてみせた。なんだか腹が立ったが、不思議と心地よさも感じた。
ふてくされて黙り込んだり、尻込みせず言い返したり、反対に言い負かされたり、呆れたり笑ったり。リュシアンとの夫婦関係は、きっとこんなふうに続いていくのだろう。疲れたり傷ついたりするかもしれないが、悪い気はしない。
「では、リュシアンさま」
居住まいを正し、改めて真っ向から夫を見据える。彼もまた、神妙な顔つきで妻を正視した。
「わたしが
「もちろんだ」
どちらからともなく立ち上がり、手を取り合う。それは夫婦としての接触ではなく、契約が成った際に交わす握手のようなもの。まだメリザンドの心と身体は国王のものなのだから、
……と思っていたのは、メリザンドだけのようだった。
不意に腰を抱かれ、額にくちびるを押し当てられる。
「この続きは、お前が我が元へ戻って来てからにしよう」
しっとりと耳に囁かれた瞬間、全身がカッと
「調子に乗らないでくださいませ」
動揺を隠し、
──美形って、卑怯!
大きくため息をついてから、再び椅子に腰かける。もう少しだけ夫と話したかったのだ。
憧れの侯爵さまに嫁ぎましたが、新婚早々、「国王の愛人になれ」と言われてしまいました! root-M @root-m
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