第31話 王妃との茶会

 茶会は、身重の王妃のために用意された離れでもよおされた。

 リュテス宮殿の庭園の端にある、小さいが瀟洒しょうしゃな屋敷だ。


 王妃の侍女に案内されてそこへ向かうメリザンドに、多くの宮廷人が好奇の目を向けた。間違いなくそれは帰路きろにこそ増すだろう。

 誰も彼も、公式寵姫と王妃の茶会の『結果』がどうなるかを、一日千秋の思いで待っているはずだ。


 通された応接室はぢんまりとしているうえ、壁から家具まで落ち着いた色合いで統一されていた。華美さはないが、ゆったりとした時間が過ごせそうだと思った。


 飾られている肖像画はどれも幼子おさなごのもの。ほとんどの子が黒髪で、きりりとつり上がった太眉をしており、いかに国王の血を色濃く受け継いでいるか一目瞭然だった。


「はじめまして、バルテ侯爵夫人。急な誘いにもかかわらず、来てくださって嬉しいわ」


 メリザンドを見るなり、王妃は椅子から立ち上がって柔らかく微笑む。

 悪意や害意などまったく見受けられない無垢な笑顔はあまりに魅力的だったが、大きく膨らんでいる腹部にどうしても目が行ってしまう。

 妊婦への物珍しさからではなく、もしそのままバランスを崩して倒れたら……という懸念からだ。

 現に王妃の傍らに控える侍女は、ハラハラした目つきで主人の一挙手一投足をうかがっている。 


「本来ならばもっと早くに会いたかったのだけれど、こんなに待たせてしまってごめんなさいね」


 楚々そそと笑う王妃は、線の細さと小柄さが相まって、メリザンドよりもずっと年下の少女のようだった。


 たとえるならば、子供向けの物語に登場する深窓しんそうのお姫様。そのじつ、七人目の子を妊娠中の立派な成人女性だというのに。


「いえ、とんでもございません。こちらこそ、お招きいただき光栄の極みにございます。」


 いろいろなことに気を取られていたメリザンドは、急いでひざを折る。


「体調の方は問題ございませんか?」

「ええ、大丈夫よ。聞いていた通り、謙虚な人柄のようね。さあ、座ってちょうだい」


 ──謙虚な人柄? 誰がそんなことを言ったのかしら。


 内心で首をかしげつつ、メリザンドは王妃の言葉に甘えて着席した。心臓はやや鼓動を早くしており、己の緊張度合いを如実に示している。


 ちなみに、茶会の出席者はメリザンドただ一人。取り巻きに囲まれてチクチクやられる覚悟をしていたのだが、杞憂きゆうに終わったようだ。

 それでも、周囲にはべるのは王妃の侍女に女官。孤立無援なのは間違いない。


「コーヒーや甘い菓子は妊婦にはよくないらしくて、医者に勧められたハーブティーと果物しかないのだけれど」


 侍女が茶の用意をしてくれるのを待ちながら、王妃はひどく申し訳なさそうに言う。


 ──わたしなんかにすごく気を使ってくださっているわ……。


 もしかすると腹に一物抱えているかもしれないが、そうでないとしたら、なんと慎ましやかな女性だろう。


「ありがたくちょうだいいたします」


 ハーブティーは癖が強いものが多いため、メリザンドはわずかに身構えつつカップを手に取った。紅褐色こうかっしょくの液体を口に含むと、驚くほど癖がなく、飲みやすい。


「気に入ってくれたかしら」

「はい、おいしゅうございます」


 メリザンドが口元をほころばせると、王妃は顔いっぱいに喜色を浮かべた。


「それはよかったわ。果物もどんどん食べてちょうだい」


 ──客人を歓待できることが心の底から嬉しい、といったご様子だわ。離れにこもりっぱなしで、人恋しかったのかしら。だとしたら、本心からわたしと懇意にしてくださろうとしている……?


 戸惑いを隠しながら、メリザンドは勧められるままにスモモの砂糖煮へ手を伸ばす。甘さ控えめで、ちょっと物足りなかった。もちろんそんなことはおくびにも出さない。


「公式寵姫としての生活はどう?」

「宮廷のみなさま方からは、身に余るご厚志を賜っております」


 未だ王妃の本意を掴みきれぬため、角張った答えを返しておく。


「そんなに堅苦しくならなくていいわ。わたしに遠慮しているのね」

「……王妃殿下の御前において、それは当然のことでございます」


 軽くこうべを垂れると、王妃の笑みの質が変わった。いとけなさが消え去り、凛として美しく、かつ身分相応の威厳を備えた面立ちになる。メリザンドは瞬時に気持ちを引き締めた。


「ごめんなさい、性急に距離を縮めようとしてしまって」


 しかし王妃の口調は柔らかいままだ。


「まずは、王妃としてのわたしの気持ちを話しましょうか」

「……はい」


 粛然と目を伏せ、王妃の言葉を待った。


「バルテ夫人、あなたには深く感謝しているわ。わたしはあなたに、王妃の責務の一角を背負わせているのだから」


 その言葉の意味はよくわかる。

 着飾っておおやけの場に出て、社交界を明るく彩る。夜になったら、王の求めに応じて身を捧げる。そのどれも、本来ならば王妃の為すべきことだ。


 しかしそのどれもが、身重の王妃には荷が重い。

 ゆえに、公式寵姫が代わりを務めることで、王妃はゆっくりと身体を休め、腹の中で健やかに子を育むことができている。


 社交界においては悪意を向けられることも多く、それが健全な子の生育を阻むこともあるだろう。

 また、王が手当たり次第に他の女に手を出せば、厄介な問題を招きかねない。

 ことに、性行為で感染する病はしばしば母子感染も引き起こす。王がメリザンド一筋であるうちは、その問題を回避することができるというわけだ。


 王妃はそのことをよく理解している。しょせんは愛人に過ぎないメリザンドのことを汚らわしいとさげすむどころか、代わりに義務を果たしてくれている存在として、恩義を感じてくれている。


 ──なんて篤実とくじつなお人でしょう……。


「身に余るお言葉でございます」


 感極まりつつ、なんとかそれだけを告げる。


「バルテ夫人、わたしはこの子を出産したのちも、当分おおやけの場に出るつもりはありません」


 王妃は愛おしそうに腹を撫でながら言った。


「もともと華やかな場は苦手で……特に奔放なガッリアの気風はどうも肌に合わなくて。王妃としてそんなことは言っていられないでしょうが、この年で七人も子を産めば、ひとまずは十分でしょう」


 その通りだ、とメリザンドは得心してうなずく。王妃となる女性の一番の義務は、王家の血筋を残すことなのだから。


「だから、宮廷の女主人としての役割はあなたにお任せし、わたしは身体を休めながら、子の教育や慈善活動などに力を尽くそうと思っています。

 あなたとは、たまにお茶をしながらお話できたら嬉しいわ」


 最後に放たれた慈愛に満ちた言葉に、メリザンドは思わず席を立ち、王妃の前にひざまずいていた。


「王妃殿下、偉大なるガッリアの国母として、わたしはあなたに魂からの敬意を捧げます。

 月満ち、健やかな緑児みどりごがお生まれになることを、心よりお祈り申し上げます」


 一筋の涙と共に、噓偽りない思いを告げる。


 メリザンドがどれだけ王の寵愛を受けていたとしても、王妃には決して敵わないのだと痛感した。

 懐の深さはもちろんのこと、メリザンドでは絶対に国母になることはできないのだから。


 ゆめゆめ彼女と競おうだなんて思ってはならない。一瞬でも、どちらの立場が上か思い知らせてやろうだなんて考えた己が恥ずかしい。


「ありがとう、バルテ夫人」


 王妃の小さな手が、メリザンドの肩を優しく包んだ。そのまま立ち上がるように促され、メリザンドは彼女の意に従う。

 間近で王妃の表情を窺えば、慈母のように微笑んでいた。


「それで、お互いの気持ちがわかったところで、今後も仲良くしていただけるのかしら」


 もちろん、メリザンドの返事は決まっている。

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