第3話 虚しい結婚生活と、お友達
それからは目まぐるしく日々が過ぎていき、メリザンドはあっという間に『バルテ侯爵夫人』と呼ばれる立場になってしまった。
けれど新婚生活は、メリザンドの予想の斜め上をいっていた。
王都の大聖堂で結婚式を挙げたあと、てっきり侯爵領に戻って暮らすことになるのだと思っていたのに、王都の別宅に留められたまま幾日も放置されているのだ。
しかも結婚式の直後、バルテ侯爵リュシアンはメリザンドの前から黙って姿を消した。
家令いわく、「旦那様は急用のため、単身で領地に戻られました」だそうで。
もちろん『初夜』なんてものは訪れず、メリザンドの身体はきれいなまま。
それでも完全に無視されているわけではない。
毎日のように豪華なドレスや装飾品が贈られてくる。
さらに、何人かの『家庭教師』をつけられて、様々なレッスンを受けることとなった。
もともと礼儀作法は厳しく叩き込まれていたが、侯爵夫人として覚えなければならないことはまだまだたくさんあるようで。
外国語の授業には難儀したけれど、芸術、流行に関しての授業は楽しかった。
一番嬉しかったのは、『お友達』ができたことだ。
いや、お友達なんて呼ぶのはおこがましい。
メリザンドより十歳以上年上のその女性は、プルヴェ伯爵夫人。当初は『家庭教師と生徒』という間柄だったが、すぐに打ち解けた。
プルヴェ夫人からは主に社交界のことを学んだ。彼女の口から流れ出るあらゆる言葉が興味深かった。メリザンドは、己がいかに狭い世界の中で生きてきたかを思い知らされた。
気品に満ちあふれ、物腰柔らかなプルヴェ夫人のことを、メリザンドは母か姉のように慕った。
というよりも、虚しい新婚生活の中、彼女を心の拠り所にするしかなかったのだ。
「バルテ夫人、昨日届いたドレスを試着しませんか?」
「まぁプルヴェ夫人! わたしのことは気安くメリザンドとお呼びくださいとお願いしてあるのに!」
メリザンドが子供っぽく抗議すると、プルヴェ夫人は穏やかに微笑む。
「ええ、メリザンド。さぁ、わたくしがドレスの色に見合う首飾りを選んで差し上げます」
「お任せします」
夫人の見立てに間違いはないだろうし、それ以前に、この女性にコーディネートしてもらえることが嬉しかった。
仲良しの姉妹のごとく寄り添って化粧室へと向かう。
***
レースをふんだんにあしらった薄いブルーのドレスは、メリザンドによく似合っていた。さらに真珠の首飾りを合わせると、メリザンドの凡庸な容貌がぱっと華やぐ。
加えて、流行の化粧を施せば、どこへ出ても恥ずかしくない、立派な貴婦人が出来上がった。
女中たちの、「お似合いですわぁ」という称賛も、おべっかに聞こえない。心からそう言ってくれているような気がして、嬉しかった。
メリザンドははにかみながら姿見に映る己を眺める。
実家にいた折、どれだけ着飾ってもパッとしなかったのは、巧みな着こなしや、年相応の化粧の仕方を知らなかったからだ、と改めて思った。
けれど今、この美装を披露する相手も場所もない。
肝心の夫はずっと留守だし、単身で社交場へ出かけるわけにもいかない。
夫の許可なく、プルヴェ夫人と外出していいものかもわからないし……。
「そういえばメリザンド、ご存じでして? ドレスの肩の膨らみがなくなったのは、先王のご
唐突に始まったプルヴェ夫人の講釈に、メリザンドは頬を赤らめた。
「お恥ずかしながら、そういったことには疎くて……。でも、ご寵姫、つまり国王陛下の愛人が、ドレスの形の流行まで左右なさったのですか?」
「そうですとも。イベール夫人は、ただの愛人ではありませんでした。『
「……公式寵姫」
メリザンドが息を呑むと、プルヴェ夫人は真剣な目をして続けた。
「ええ、『ロイヤル』の称号は伊達ではありません。時には、王妃以上の権勢をふるうこともある、
国王の傍らで、王宮をさらに華美に彩る大輪の花のような存在。力ある公式寵姫が緑色のドレスを着ればそれが流行り、前髪を額の上で結ぶ髪形をすればそれが流行ります。内政や外交に口を出すことさえ許されます」
「王妃様を差し置いて、畏れ多いことです」
遠い遠い世界の話だと思いつつ、メリザンドは素直な感想を漏らした。プルヴェ夫人は硬い表情でうなずく。
「ええ……。もともとは、愛する女性をどうしても傍に置いておきたいと願った、何代も前の国王が作った無茶な制度ですもの。絶大な権力を持つ反面、王が心変わりした瞬間、見捨てられる儚い身分でもあります」
「栄華と盛衰……まさに『花』というわけですね」
感心しながら答えると、プルヴェ夫人は愁いを帯びた瞳で「そうですね」とつぶやく。その様子に、メリザンドはとあることを察した。
「プルヴェ夫人は、イベール夫人をご存じだったのですね?」
「ええ。先代の崩御と同時に王宮を追放され、今は外国で浮名を流しているとか」
「あらまぁ。そこまで
口元に手をやってくすりと笑うと、プルヴェ夫人は静かな微笑みだけを返してくれた。
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