降る星を数え終えたら

海里

降る星を数え終えたら

第1話 出勤

出社をしてメールを開いてから、わたし、須加すが柚羽ゆずはは会社支給のスマホでアドレスの一番上の番号に電話を掛ける。


「おはよう。もう職場着いてる?」


まだ始業の5分前で、念のため確認をする。


どうしたの? とのんびりした声に用件を伝えた。


「派遣の木崎きさきさん、今日は休暇だって連絡来てたからその連絡。真依まいにもメール行ってるはず」


「ありがとう、柚羽。自社メールはあんまり見てないから確認しておく」


その声を聞きたくて、わたしは電話をしたようなものだった。


「木崎さんって最近休み多いよね。大丈夫なの?」


「お子さんがいるから仕方ないんだと思う。また聞いておくけど、柚羽もASSさんと話する機会あったら聞いておいて」


ASSは派遣の木崎さんの所属先の会社になる。わたしは営業だけど、そこまで大きくない会社なので、何だかんだと派遣会社の人ともやりとりをすることが多い。


「わかった。じゃあ、今日も一日頑張って」


柚羽も、という声が返ってきてから通話をオフにする。


その声を聞くだけで一日頑張ろうと思えてしまうから、我ながら現金な性格だと思う。


電話の相手は同期の一瀬いちせ真依。わたしはシステム営業だけど真依はSEで、同じ会社に所属していても仕事内容は大きく違う。


わたしはその真依に3年前に片思いをしてもう失恋している。真依は今はわたしの姉である須加あおいとパートナー的な関係になっていた。


報われなくても真依の傍にいることを選んだわたしは、真依に関われるだけで嬉しくなる。まあ、もう好きというよりも、好きだったにはなっているけど、初恋の相手はいつまでも忘れられないみたいなものだった。


「一瀬さんですか?」


余韻に浸っていると、隣の席の営業事務をしている西下にししたさんに声を掛けられる。


「どうしてわかったんですか?」


西下さんは半年くらい前から派遣で入ってきた女性で、まだ25歳だと聞いていたけれど、手際がよくていつも月初に助けられていた。


「分かりますよ。大抵朝一に電話してるのは一瀬さんですから」


そんなに真依に電話していたかな、と笑って誤魔化す。


朝一なんて、おじさんの声を聞いてもやる気を無くすだけなので、真依の声を聞くのが一番だった。


システム側への連絡メールのCCにわたしが入っていても、自発的に連絡することはほとんどない。真依だけは確認の連絡をしているので、必然と電話が多くなるのは事実だった。


最近で言えば木崎さんは休みが多くて、わたしとしては真依の声を聞く口実ができていいBPさんだった。


「同期でも、営業とシステムで違うのに仲いいですよね」


「営業担当だからですよ?」


真依のいる客先の営業担当はわたしでもあるので、わたしにも責任があるからだと取って付けた理由を伝える。


「そうですね」


真依には告白をして振られた過去がある。つまり、真依はわたしの想いは知っている。


姉嫁になってからは、何だかんだと家族的な心配もしてくれるようになった。そこにつけ込むではないけれど、真依に近い場所からわたしはなかなか離れられそうにはなかった。





一人暮らしの部屋に19時前に帰って、わたしはスーツをトレーニングウェアに着替える。


2年ほど前からわたしはマラソンを始めた。


学生時代にも陸上部にいたので、再開したが正しいのかもしれない。


真依にもらった天使のチャームがついたネックレスは、落としてはいけないからと外して、肩より少し長めに伸びた後ろ髪をゴムで止めれば準備は完了だった。


マラソンを始めて、一人で家で飲むのは精々休みの日くらいになった。


真依の飲み過ぎ発言から生活を改めたにはなるけれど、始めてみると自分のコンディションも分かるし、社会人になって落ちた体力も戻ってきたと感じていた。


偶然にもわたしの住む隣駅に、陸上競技場やサッカー場が併設された大きめの公園があって、そこまで軽く走ってから体調や時間によって、その日のトレーニングコースを決める。


今日は時間がまだ早いから長めのコースを選択した。


夜とはいえ公園にはランナーや犬の散歩をしている人が多い。名前は知らないけれど顔見知りという人は増えた。


自分のペースで走って、時々歩きながら空を見上げる。街中では夜空には数える程しか星は見えないけれど、その時間がわたしは好きだった。


走って、疲れて、軽く夕食を取って寝る。


一人でいると堪っていくストレスが、走ることによって解消できる気がした。


真依に失恋をして、真依を見守るという選択をしてから、わたしは意識的に抑えていることがある。


それは性欲だった。


真依のことを考えて、自分を慰めたことはある。でも、そんな後は虚しくて、楽にはならないことを知った。


今は仕事をして、走って、それで毎日を安定して楽しく過ごせている。


それ以上のものを求める気が今のわたしにはないのが事実だった。

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