第18話 お泊まり

いつものように公園内のコースを走っている内に、定位置のベンチに木崎さんとひびきちゃんが姿を現す。


足を止めて近寄ると、ひびきちゃんが飛びついてくる。


「どうしたの?」


「ゆずはちゃんに会いたいって、この前からご機嫌斜めなんです。先週一緒に帰ってきた時に泊まってくれると思っていたみたいなんです」


「そうなんですね。ひびきちゃん、お泊まりはいい子にしてたら考えようかな」


「ひびき、いいにしてるだもん」


そう言って、ほっぺたを膨らませる姿が可愛い。


「好き嫌いしてない?」


「…………にんじんさん嫌い」


「じゃあお泊まりはできないなぁ」


首を思いっきり横にぶるぶる振るひびきちゃんの仕草は可愛い。


「おとまりしようよ、ゆずはちゃん」


「でも、にんじんさんを食べない悪い子だしな」


「たべる、たべるから、おとまり!!」


腕を引っ張られて、駄々を捏ねられて、失敗したことに気づく。ひびきちゃんは本気らしい。


「じゃあ、ゆずはちゃんにちゃんとお願いしないとね」


木崎さんの声に、何でそんなに乗り気なんだろうと焦る。


「ゆずはちゃん。にんじんさんもちゃんとたべるから、おとまりしてください」


思わず頷きたくなる可愛さだけど、それは流石に自信がなかった。


「えーっと……」


「今晩予定入っていますか?」


それが決定打になって、わたしはお泊まりを承諾してしまった。





木崎さんの家は以前雨に濡れた時に入ったことがあるので初めてではなかったけれど、あの時の何倍も緊張していた。


夕方に木崎さんの家を訪れると、ひびきちゃんが大喜びでリビングに敷いたマットの上で、おもちゃを一つ一つ説明してくれる。


夕食の準備をする木崎さんの邪魔をしてはいけないからと、夕食まではひびきちゃんと遊んだ。


3人でテーブルを囲んでの食事は、夢のようだった。向かいに木崎さんがいて、その隣で食事をするひびきちゃんをサポートしている。普段は温和な木崎さんだけど、ひびきちゃんの前ではちょっと厳しい母親の面もある。


食事の後はひびきちゃんに誘われて、2人でお風呂に入った。


「ひびきちゃん10まで数えられる?」


「ひびき30までかぞえられるもん」


「じゃあ、30まで数えたら出ようか」


怪しいところはあったけど、指を使いながらひびきちゃんは30まで数えて、その後2人でお風呂を出た。


木崎さんが用意してくれた着替えを、ひびきちゃんは自分で着られて、ちょっとずれているところだけ直してあげる。


「すみません、先にお風呂をいただいちゃって」


リビングに戻ると木崎さんは後片付けも終えていて、手伝わずに先に風呂に入ってしまったことを詫びた。


「いえ、いつもひびきもお風呂に入れないといけないし、片付けもしないとってばたばたなんですけど、今日はゆっくり片付けられました。有り難うございます」


入れ替わりで木崎さんはお風呂に入って、わたしとひびきちゃんはテレビでひびきちゃんお勧めの動画を見る。


最近の子供って、大人よりも上手にインターネットを使いこなすなぁなんて思っていると、わたしの隣に座っていたひびきちゃんが寄り掛かってくる。


遊んで、ご飯を食べて、体も温まったから眠くなったのだろう。


動くと起こしてしまうかな、とそのままの体勢をキープして子供向けの動画を見続ける。


わたしはほんの少し会うだけだから可愛いな、で済むけれど、木崎さんはそうはいかないだろう。でも、ひびきちゃんの子供らしい素直な振る舞いは、木崎さんが愛情を持って育てたことがよくわかるものだった。


子供を産んだらわたしもそんな風に考えられるんだろうか、と何となく平べったい自分のお腹を触ってみる。


子供は可愛いけれど、産んだら育てて行く義務がある。人それぞれだろうけど、どうすれば子供を産もうに踏み切れるんだろう。


「ひびき寝ちゃいました?」


お風呂から出て来た木崎さんは、無防備なパジャマ姿でそれだけで胸が鼓動を早める。黒髪がまだ乾ききっていないせいで、いつもと少し違う雰囲気に、こっちもいいなと口元が弛んでしまう。


「動画を再生し始めてわりとすぐに寝ちゃいました」


「じゃあ寝かせてきますね」


木崎さんはひびきちゃんを両腕で抱き上げて、隣の部屋に運び込む。それでもひびきちゃんは起きなかった。


「木崎さんって、細いのに力ありますよね」


4歳児の平均に比べてひびきちゃんが大きいのか小さいのかはわからないけど、女性が持ち上げるには辛い重さには違いがないだろう。


「流石にそろそろ無理かなって思っています」


「腰に気をつけてくださいね」


「そうですね。ワタシも若くないですしね」


「そんなことないですよ」


「須加さん、今日はひびきのわがままにつきあっていただいて有り難うございます」


改まった木崎さんの言葉に、わたしは両手を振って否定をする。


「ただ、ひびきちゃんと遊んでいただけですから」


「いえ、ゆっくり家事ができたのなんて久々でした」


もう少しひびきちゃんが大きくなればそこまで注意は必要なくなるだろう。でも、今はまだ目も離せない子供で、隙を見ながら家事をするしかない。


改めて一人で育てることの大変さを感じていた。


「そう言えば、先週のひびきちゃんが泣き出した原因わかりました?」


「それはわからないままですね。ひびきの父親にもあの後もう一回聞いたんですが、寝る直前まではいつもと変わりがなかったって言うんです」


「もしかしたら、ひびきちゃんも少しずつ成長していて、今まで通りじゃ駄目になっているのかもしれないですね」


「ひびきがですか?」


「はい。子供って親のことを良く見てるって、子供を産んだ友達に聞いたことがあるんです。ひびきちゃんもお父さんの些細な変化を感じ取ったのかもしれないなって思いました」


父親だからと特別な感情を持つにはひびきちゃんは幼い。であれば、月に1回しか会わない存在に懐くか懐かないかは、実際の態度次第だろう。


ひびきちゃんの父親はひびきちゃんのことは可愛いと言ってくれているそうだけど、月1だからこその苦労はあるだろう。

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