第19話 距離
木崎さんの家でのお泊まりは、夢のようだった。
寝室では布団が2つ並べて敷かれていて、いつもはそこに木崎さんとひびきちゃんが寝ているのだろう。わたしのためにと片方を空けてくれて、川の字みたいになって眠った。
なかなか寝つけなかったけど、無防備に寝ている人が嬉しくもあり、辛くもあった。
わたしのことを警戒なんて木崎さんは当然していないだろう。
わたしは親しい友人くらいの位置で、わたしが木崎さんに恋情を抱いているなんて思いもしていないはずだった。
わたしは近づきすぎた。
もう流石に自分の想いを隠し続ける自信はなかった。
少し距離を置こうと、翌週の週末は矢柳さんに聞いたお勧めのコースを走りに足を伸ばした。
平日は夜に走るので、いつものコースでも木崎さんに会う可能性はほぼない。だからそのまま走るでいいとしても、休日は別の場所でしばらく走るつもりだった。
トラックを延々走り続けるのも苦にならないタイプなので、今まで同じコースを走ることにも飽きることはなかった。でも、普段と違うコースはそれはそれで気分転換になった。
2週続けて別の場所に走りに行くと、木崎さんから最近走っていないのかとメッセージが来る。
最近知り合いに教えてもらった別のコースを走っています。気に入っているので、しばらくそっちを走ろうと思っています。
そうだったんですね。また、いつものコースを走られる時は教えてください。ひびきも会いたがっています。
木崎さんからの返信に、会わないという決意がぐらついて、月に1回くらいは公園の外周コースを走ってもいいかもしれないと迷う。
そんな迷いのまま集中もできずに走っていたのだろう。その翌週のランニング中にわたしは足を痛めてしまう。
軽い肉離れで、幸いにも歩くことはできた。
出勤と外回りは少し移動に時間が掛かるだけで何とかなった。ただ、流石に走れるようになるのは時間が掛かりそうだった。
そんな中、木崎さんが急遽元いた現場に戻るという話が舞い込んでくる。
理由は楠元さんの妊娠だった。
つき合っていた彼氏との間のできちゃったで、入籍も近々するらしい。
まだ新人なのに、と言いたくなる気持ちがあるにしても、それは他人がどうこう言う問題じゃない。
まあ、みんな鳩が豆鉄砲食ったような顔をしてたけど。
問題は悪阻が酷くて、医師から出勤を控えるように指示が出ていることだった。
そんな状態で楠元さんが客先で常駐を続けるのは難しい。でも、会社として契約は維持したい。
そんな中で急遽出た案が、木崎さんを戻すだった。
PMの桧山さんが現場とASSの営業担当に直接話をつけて、わたしの元に情報が来たのは、それが確定事項になってからだった。
わたしがしたのは契約変更の手続きだけで、翌週には木崎さんはもう元の現場に戻っていた。
急なことで木崎さんの都合がつかないからと送別会もできないまま、わたしは木崎さんと会社で会うこともなくなった。
近づかないようにしようと避けていたのに、顔を見られないとなると想いは募る。
会いたい。でも、会うのが怖い。
会う勇気もないくせに、どこにも逃げ場のない気持ちは胸の内に留まったまま膨れて行く。
時間を掛ければ、やがてそれが萎むことは経験上知っている。
でも、この想いを消したくはなかった。
同時に木崎さんを傷つけたくもなかった。
走ることもできずに、わたしは家で膝を抱える。
欲深くなれと西下さんには言われた。
欲深くなっても、結局は相手がどう応えてくれるか次第だ。
わたしがもし告白しても、木崎さんなら蔑んだり、罵ったりせずに、すまなさそうな顔で断ってくれるだろう。
でも、会いたい。
わたしに笑いかけて欲しい。
可能性はほぼゼロに近い。
それでも、このまま諦める気がしなくて、わたしはようやく決意をしていた。
久々に木崎さんに連絡をして、週末に2人で会えませんかと誘いを出す。今週は月初なので、ひびきちゃんが父親に会いに行く週だった。
土曜日の昼間ならと返事が来て、わたしはいつもの公園で13時に待っていると返した。
ランチに誘ってということも考えたけれど、公園ならば話を切りたければその場で断ち切れる。
自分がしようとしていることを考えれば、場所は公園しかなかった。
いつものトレーニングウェアじゃなくて、今度もし木崎さんと出掛けるようなことがあればと買った服に袖を通す。
真依に貰った天使のチャームがついたネックレスを、いつもの癖でつけようとして思いとどまる。
真依はわたしのようだと言ってくれたけど、やっぱりわたしはそんな存在じゃなかったみたいだった。
天使になんてわたしはなれない。
だって、木崎さんが欲しい。
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