第20話 告白

「こんにちは、須加さん」


背を伸ばしてベンチに座っていたわたしに声が掛かって、視線を向けると近づいてくる木崎さんが目に入る。


会社で見かけることもなくなったので、久々の木崎さんに胸が溢れ出してしまう。


大好き過ぎて、抱き締めたくて仕方がない。


「お呼び出ししてすみません」


わたしが隣の席を勧めると、木崎さんが隣に腰を下ろす。


今日は少し肌寒いものの天気は良くて、ベンチに座っていると太陽の光が体を温めてくれる。


「ここでお会いするのは久々ですね」


「しばらく別のコースを走りに行ってるってことまではお伝えしましたよね? そこで、ちょっと変なフォームで走ってしまったみたいで肉離れになっちゃんです。歩くことは歩けるんですけど、まだ走るのは恐る恐るです」


「無理しないでくださいね」


「有り難うございます。木崎さんは職場が移動になって、どうですか?」


「以前いた場所なので大丈夫ですよ。楠元さんにはちょっと驚きましたけどね」


肩を竦める木崎さんに、改めて謝りを出す。


「須加さんが謝ることじゃないですよ」


「でも、うちの新人なんで」


足りない人を補うためにBPと契約しているとはいえ、今回の件は流石にうちの会社の勝手な都合過ぎた。


「ワタシより楠元さんのことが気になるんです。子供を産んだ後、彼女はどんな選択をするんだろうってつい考えてしまいます。

ワタシは30を過ぎてから子供を産みました。仕事には慣れていたので、復帰した時も仕事内容に悩むことはありませんでした。

でも、楠元さんはまだこれからというタイミングだったので、復帰となると仕事も覚えないといけないし、家庭のこともしないといけない。

そんな状態で戻れるのかって思ってしまって。余計なお世話ですよね」


「そんなことないですよ。わたしは子供を産んだことがないので考えもしなかったですけど、復職ってそれだけ大変なんですよね」


「子供のことを優先させたい思いと、仕事が今まで通りできない後ろめたさや苛つきがあって、よく自分の中で衝突しました。こんな社会でどうやって子供を育てていけるんだって、いろいろ嫌になりました」


「難しい問題ですね。離婚理由で性格の不一致が一番多いって聞きますけど、状況がそうさせているんじゃないかって思うことがあります。2人で一生懸命働かないといけないし、子供も育てないといけない。

ずっとストレスを掛けられ続ける社会で、どうやって両立するのか難しいですよね」


「そうなんです。ひびきの父親のことを変わったとワタシは感じましたけれど、彼も望んで変わったわけじゃないはずなんです。彼なりに家族の為に精一杯頑張った結果なだけで。それに、ワタシもきっと同じように変わったんだろうなとは思っています」


木崎さんはひびきちゃんを産んだ後に夫婦が折り合わなくなって、離婚という選択をしている。だからこそ、楠元さんを気にしてしまうのだろう。


「木崎さんと楠元さんは周囲の状況も違うので、正解は人それぞれ違うんじゃないでしょうか。楠元さんはバイタリティはあるので、案外上手くこなせるかもしれません」


「そうですね。ワタシと楠元さんは一回り違いますしね。最近の子は考えが全く違うかもしれませんね」


「そういう自虐は良くないですよ」


木崎さんは口元を引いたまま諦めのように息を吐いた。


「須加さんとは、もうこんな風にお会いできない気がしていました。無理矢理泊まらせたのがお嫌だったんですよね?」


木崎さんには意図的にわたしが木崎さんを避けたことは気づかれていたらしい。


「そんなことないですよ。泊まるのも、ひびきちゃんと遊ぶのも楽しかったです」


「それは良かったです」


「でも、ちょっと違うことを考えちゃったので、しばらく会わないようにしようって思っていました」


「違うことですか?」


木崎さんの問いに、下唇を噛みしめて覚悟をしてから言葉を出す。


「木崎さん、驚かれると思うんですけど、わたしは木崎さんが好きです。男女の恋愛と同じ意味での好きです。打ち明けても、木崎さんが嫌な思いをするだけだろうって、言わずに自分の中だけに留めておくつもりでした。

でも、それをもう隠し切れなくなったので、今日はお呼びしました」


「須加さん……」


木崎さんの視線はわたしを見たまま固まっている。


女性が女性に告白するなんて、木崎さんからすると有り得ないことかもしれない。


「木崎さんはひびきちゃんを育てるのに精一杯であることはわかっています。それを少しでも陰から手伝えればなって考えていました。

でも、親しくなればなるほど欲深くなる自分がいるんです。女同士なのに気持ち悪いって思って頂いていいですよ」


子供を抱えながら生きることに悩む木崎さんを支えてあげたいのに、わたしは気持ちを止められなかった。


触れたい。わたしを見て欲しいという欲が溢れて止まらなくなっている。


「ワタシはワタシの全てを掛けてひびきを育てて行く責務があります」


「そのために木崎さんが頑張っているのは知っています」


「自分一人で立つ力をつけないといけないって、離婚をしてから今まで無我夢中でした。

ひびきの病気の時に一人で泣いて、前の会社でみんな残業をしているんだから時短なんて許可できないと言われて泣いて、それから退職を決めて。そう生きることを選んだのは自分だから、自分でどうにかするしかありませんでした」


「一人で働きながら子供を育てるのって、並大抵の苦労じゃないんだろうなとは思っています。わたしの目から見た木崎さんはいいお母さんですよ」


「ありがとうございます。でも、須加さんとここで会うようになってから、ワタシは須加さんの優しさに甘えてばかりです。須加さんがワタシに優しかったのは、ワタシのことが好きだからですか?」


「半分はそうで、半分は元々の性分なんだと思います」


独りで闘っている木崎さんをわたしは支えたかった。ずっと笑って欲しかった。

「ここで須加さんに会えなくなって、淋しいと思う自分に気づきました。何か失礼なことをしてしまったんだろうって落ち込みました」


「すみません。ただのわたしの勝手な事情です」


「ワタシはひびきのことで精一杯で、須加さんに好きだって言ってもらえるようなところがあるようには思えません。どうしてワタシなんでしょうか?」


「優しい木崎さんが好きです。ひびきちゃんだけじゃなくて、周りも含めて、自分ができることならしようって姿が好きになりました。

後は、一人でもひびきちゃんを育てて行こうって頑張ってる姿とか、しっかり自分を持っている所とかですね。

でも、頭で考えるよりも好きだって気持ちが先に出ちゃってるので、理由なんか後付けなのかもしれません」


「ワタシは全然余裕がなくて、毎日生きることに必死なだけですよ?」


「そういう木崎さんに惹かれたんです。ちゃんと距離を取れば、木崎さんを傷つけずにいられるって思っていました。でも、ちょっと近づきすぎちゃったみたいなんです。

木崎さんを好きになりすぎて、これ以上は感情が抑えられそうにないことに気づきました」


「須加さん……」


「無理なことを言っているのは分かってるので、拒否したらわたしを傷つけるとか悩まないでください」


「……ワタシの答えがノーだった場合、須加さんはこんな風にはもう会ってくれなくなるってこと、ですか?」


「仕事で会う以外はですね。わたしは女性だからって安全な存在じゃないですから」


瞼を伏せる木崎さんは、少しはわたしとの時間を惜しんでくれているのかもしれない。


「……もう会えないなんて嫌です」


「木崎さん……」


「須加さんにこんな風に会えないなんて嫌です。この1ヶ月近くの間、何度ここに足を運んでも須加さんの姿がなくて落ち込みました。

一人でひびきを育てて行くつもりだったのに、ワタシはこんなにも須加さんを心の拠り所にするようになっていたんだって気づきました。

ワタシがつき合うという選択をすれば、須加さんは今まで通り会ってくれるということでしょうか?」


「今まで通りじゃないですよ。わたしはおつきあいがしたいので」


木崎さんの真っ直ぐな視線を受け止めきれずに、わたしは視線を落とした。


自分が我慢しきれなくなっていることを、木崎さんに隠しても続かないだけだと分かっているから嘘は言えない。それでも木崎さんの視線が怖かった。


「ひびきが優先でもいいですか?」


「それは木崎さんにとって、一番の優先事項だって分かっています」


木崎さんからの確認に慌てて視線を上げる。


「ワタシは離婚をした時に、これから先ずっとシングルマザーとして生きようと決めました。誰かに頼ってもまた失望するだけだと、希望を持つこともしなくなりました。

それなのに須加さんには甘えてしまうワタシがいて、それがずっと続けばいいと思うようになりました。でも、それはワタシの身勝手な思いで、須加さんをワタシとひびきに縛りつけておく権利なんてワタシにはないから、諦めるしか選択肢がありませんでした」


「木崎さん……」


「今日、須加さんに告白されて、イエスの返事をすればワタシの望みは叶うんじゃないかと欲が出ました。

須加さんが求めるような関係になれるかどうかはまだ自信がないですけど、ワタシは須加さんとならもう一度人と生きることに前向きになれそうな気がしています」

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