第21話 3人の始め方
本当にいいのかという確かめに、木崎さんは頷きを返してくれる。
「抱き締めていいですか? 軽く触れるだけにするので」
「いいですよ」
躓きがちな言葉はそれでも許諾で、わたしは初めて、木崎さんとの距離をゼロまで詰めた。
木崎さんを抱き締めるなんて夢でしかなかった。それが現実になって、もう離せそうになかった。
「須加さんは暖かいですね」
「木崎さんだってそうですよ」
ひびきちゃんを迎えに行く夕方までは時間があるから、もう少し一緒にいたい、という誘いには勿論頷きを返した。
とはいえ、どこかに出かけられる程の準備もしていなくて、家ででお茶でもどうかと誘われる。
木崎さんがわたしとのつき合いに前向きになってくれているので、理性、理性、と頭の中で呟きながら木崎さんの後を追った。
多分木崎さんはわたしという人間は気に入ってくれていて、手放し難い存在にはしてくれている。触れ合うっていうことがどこまで受け入れられるかは、探りながら縮めて行くしかないだろう。
前向きに考えられると思っただけで、嬉しくて手が震えていた。
「最近ひびきちゃんはお泊まりなしで面会に行ってるんですか?」
「そうです。今は様子見で、ひびきが泊まりたいって言ったら泊めてみようと話はしています。こうして、少しずつ父親とは距離が離れて行くのかもしれませんけどね」
「ひびきちゃんって、お父さんのことはちゃんとお父さんって認識してるんですか?」
ひびきちゃんが2歳の時に離婚をしたと言っていたので、父親と一緒に暮らしていた記憶があるかどうかも微妙だろう。
「どこまで分かってるのかわかりませんけど、パパとは呼んでいます。離れて暮らしていることに疑問が沸くのはこれからなんでしょうね」
「そうですね。でも、大丈夫ですよ。ひびきちゃんはお母さんが愛してくれているので、淋しいなんて思わないはずです」
「最近ゆずはちゃんに会えないって淋しがってましたよ?」
「……すみません」
イスに座ったままでわたしは身を縮ませる。
「良かったら、今日もひびきを迎えに一緒に行きませんか? ずっと須加さんに会いたがっていたので喜ぶと思います」
恋人からのその誘いにもちろん拒否なんてできなかった。
木崎さんやひびきちゃんと過ごす時間が増えるのは、理由が何であれ嬉しい。
付き合い始めて、木崎さんとは毎日連絡を取るようになった。
平日も仕事が早く終わる日は、トレーニングの前に少しだけど、木崎さんの家に差し入れを持って寄ることも増えた。
2人の時間はもう少し欲しいけど、2人で会える機会なんて月に1回、ひびきちゃんが父親の元に行く時だけだった。
でも、それを心待ちにはしたくなかった。木崎さんとつき合うということは、ひびきちゃんの母親である木崎さんも含めてであるべきだった。
3人で週末に遊びに行きませんか、と誘って、ひびきちゃんのリクエストでキャラクター系のテーマパークに行くことになった。
駅で木崎さんとひびきちゃんと合流して、ひびきちゃんと手を繋いで電車に乗る。
途中の電車で、ひびきちゃんは今日は何をするかと夢中で話をしてくれて、その聞き役にわたしは徹する。
ひびきちゃんはわたしに懐いてくれていて、どうやら遊んでくれる人とは認識されているらしい。
その日は、ひびきちゃんのリクエストに沿ってテーマパーク内を巡った。子供が移動できる距離なので、そんなに歩いてはいないはずなのに、喜怒哀楽の激しい子供と遊ぶのはそれなりに体力が必要だったりする。
帰り道、テーマパークを出る前に眠ってしまったひびきちゃんを背負って、朝乗ってきた電車とは逆方向の電車に乗りこんだ。
座れなかったけど、ドアの近くを何とか確保する。
「ひびき重いですよね。代わります」
「大丈夫です。でも、こうなるなら車で来れば良かったですね」
電車でも行きやすい場所だから電車でを選んだけど、子供は必ずしも自分で歩いてくれるとは限らない。
「須加さんは車を持ってるんですか?」
「免許は持ってます。実家にいた頃は運転していたので、次に出かける時はレンタカーを借りましょうか」
今日だけではなく、次も3人で行きたいという意思を暗に混ぜて木崎さんに伝える。
「ワタシは免許を持っていないので、それだと須加さん一人に運転をお願いすることになってしまいますよ?」
「大丈夫ですよ。毎日仕事で歩いてるし、走ってもいるので、そういう体力はありますから」
「じゃあ、お願いします」
次も出掛けること自体はノーでない答えに、今日の3人でのお出かけは失敗ではなかったと胸を撫で下ろした。
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