第10話 木崎家
木崎さんに席を勧められるままイスに腰を下ろして、淹れてくれた紅茶を口に運びながら、部屋の中を観察する。
視界に入るのはこのリビングと、奥へ続く引き戸だけなので、1LDKなのだろう。キッチンカウンターにくっつけられたダイニングテーブル以外は、ほぼひびきちゃんの部屋みたいなものだった。
リビング部分にはジョイントマットが敷かれていて、ここでひびきちゃんはいつも遊んでいるのだろう。おもちゃが片隅に纏められている。
「子供のいる家って感じですね」
「ひびきのものばかり増えちゃうんです」
それは母親としての笑みなのに、好きだと自覚をしてしまうと笑顔を見られたことだけでも心が高鳴る。
「木崎さんって、シングルマザーに全然見えないですけど、一人でひびきちゃんを育てていてすごいなって思ってます」
「自分が選んだことですから。子供がいたらその日その日を生きて行くことに必死で、余裕はないですけどね」
木崎さんは穏やかな人だけど、自分の意思はしっかり持っている人な気がしていた。
わたしは迷ってばかりなので、その強さが羨ましくもある。
「再婚は考えてないんですか?」
何となく、今までの木崎さんから一人でひびきちゃんを育てるつもりだということは感じていた。でも木崎さんは美人だから、子供がいても男性が放っておかないだろう。
「仕事と家事と育児のバランスを取れなくて離婚したので、再婚しても同じことにしかならないと思っています」
向かいに座る木崎さんはカップを握ったまま視線を落とす。
「そっか……難しいですよね。独身のわたしが偉そうに言えることじゃないですけど」
今は結婚して子供ができても、働くことが前提の社会になっている。仕事も家事も育児も完璧にできる人なんか稀だろう。
子供を一人で育てることを木崎さんが選んだとしても、我が儘だとは思えなかった。
「ワタシが上手く出来なかっただけなので、須加さんは参考にしないでくださいね」
「……わたしは最近は結婚はもうしないだろうなって、なんとなく思っています」
木崎さんが好きだと気づく以前から、わたしは積極的に婚活をしようという気にはなれなかった。
それは本当に好きにならないと自分が変われないことに気づいていたからで、結婚はその結果でするかもしれないくらいにしか考えていなかった。
「前に言われていた振られた人が忘れられないですか?」
「多少はあるかもしれないですけど、一人でいるのに慣れちゃって、そんな気にならないだけです」
誤魔化すように笑いを混ぜる。
届かないことに慣れて、一人で膝を抱えている内に感覚が麻痺してしまった。そんなわたしが、再び膝を立てることなんてできるのだろうか。
「でも須加さん子供好きですよね?」
「多分知能レベルが一緒なんですよ」
木崎さんの笑顔は美人だからというわけじゃなくて、見ているとわたしまで幸せにしてくれるものだった。
結局雨が止むまでには服は乾ききらずに、木崎さんの服を借りたままでわたしは帰宅をした。
洗濯をしてから借りた服を返す、という理由でわたしは木崎さんの個人的な連絡先を手に入れた。
木崎さんはノーマルな上に、今は恋愛をする気なんてないだろう。
それでも何かあれば力になりたいという思いはある。
嫌になるくらい、またこのパターンだった。
届かないと分かっているのに、わたしは関わりたい。
その日の夜中、木崎さんに触れる夢で目覚めて、自己嫌悪に陥る。
こういうの何年ぶりだろう。
性欲なんてなくても生きて行けるんじゃないかと考えていたのに、そういう欲望が自分の中にまだあったことに驚く。
わたしが木崎さんを守れるくらい力があれば、迷いなく声を掛けられたかもしれない。
でも、木崎さんにとっては、どう考えてもわたしはマイナスにしかならない存在だった。
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