第9話 雨

木崎さんとひびきちゃんとは、ほぼ毎週末に公園で会うようになった。


待ち合わせはしていないものの、わたしのトレーニング時間はほぼ同じなので、ひびきちゃんがその時間になると公園に行こうと木崎さんを誘うのだと聞いていた。


わたしも素直なひびきちゃんが可愛くて、最近親戚のお姉さんくらいには仲良くなれたとは思う。


ひびきちゃんは子供らしい無垢さがあって、木崎さんが一人でもひびきちゃんを大切に育てていることは分かった。


最近、週末になるのが楽しみで、走ることが目的なのか、木崎さんとひびきちゃんに会うことが目的なのか、どっちなのか分からなくなっているくらいだった。


とはいえ、今日は朝から雲が多くて、いつ雨が降ってきてもおかしくなかった。


ハーフの大会も近づいているし、少しは走っておきたくて、早めにわたしは家を出た。いつもの公園の外周コースに入って、すぐにぽつぽつと雨が落ち始める。多少の雨くらいなら気にしないと走り続けていたけど、2周めの途中でそれは大きな雨に変わる。


流石に走るのは諦めて、サッカースタジアムの軒で雨宿りに入った。


どうせ濡れているし、雨の中家まで走って帰るにしても、少し雨脚が収まるのは待ちたい。


秋の雨は少し寒くて、息を吐くと白さを見せる。


走りたいという思いが先に立って、失敗したなぁと空を見上げても雨粒が落ちるだけだった。


いつ止むだろうかとスマートフォンを取り出して、天気アプリで雨雲を確認する。わたしがいる場所は濃い青で、この後黄色くなる予測だった。


はあっと息を吐いたところで、雨音に混じって声が聞こえた。


「須加さん」


それはこの場所でよく聞く声で、視線を上げると思った通りの人物が傘を差して立っている。


「木崎さん、どうしたんですか? こんな雨の中」


「もしかしたら須加さんが走ってるんじゃないかと思って出て来たんです」


「すみません。ランニングバカで」


「須加さん、結構濡れてますよね? うちに来て乾かしませんか?」


そう言いながら木崎さんは手にしていた折りたたみの傘を差し出す。つまり、それはわたしのために持ってきてくれた傘なのだ。


迷ったものの、このままここにいてもという思いもあって、木崎さんに甘えることにした。


普段は人が多い公園も、今は時折傘を差した人が小走りに走り去って行くだけで人気はない。


木崎さんの後を追って公園を出て、交差点を渡って2筋めが木崎さんの住むマンションのようだった。


10階建てくらいだろう白い壁のマンションは、そこまで大きくはない。オートロックを解錠してマンションに入り、エレベータに並んで乗り込む。


「ひびきちゃんは部屋でお留守番ですか?」


「ひびきは今日は父親のところに行ってるので、帰ってくるのは明日なんです」


月に1回は会う約束になっていると聞いていたので、今日がその日だったのだろうと納得がいった。


となると、


「じゃあ今日は一人ですか?」


「そうです。雨が降ってきたので洗濯を入れようとベランダに出て、もしかしたらって外に出たんです」


「すみません、ちゃんと天気を確認すべきでした」


「須加さんは走るの本当に好きですよね」


そんな話をしている内に、木崎さんの部屋らしき扉に辿り着く。


玄関に入ると木崎さんがすぐにタオルを用意してくれる。


タオルを受け取って水滴は拭いたものの、濡れた服までは乾いていない。どうしようかと思っている所にシャワーを浴びませんかと声が掛かった。


それは流石に遠慮しようとしたけれど、体冷えていますよねと言われて断れなくなった。


木崎さんの家のバスルームは、ひびきちゃんのものらしい可愛らしいおもちゃが置かれていて子供がいる家のお風呂だった。綺麗に掃除がされていて、木崎さんの丁寧な性格が覗える。


シャワーを浴び終えると、脱衣所にはメモと一揃えの服が置かれていた。


濡れたわたしの服は乾かしてくれているようで『しばらくこれを着てください』というメモに従って用意されたものを着る。


洗濯をして畳まれたものだとは分かったけど、嗅ぎ慣れない匂いは木崎さんのものなのかもしれない。


背格好は大差がないので、自分のものを用意してくれただけと分かっていても、木崎さんが袖を通したものだと思うと緊張を感じる。


服を着てから奥の部屋に進むと、リビングらしき部屋で木崎さんは座っていた。


「温まりましたか?」


「はい。有り難うございます」


「須加さんの服は干しているので、乾くかどうかは分かりませんけど、雨が止むまでしばらくゆっくりしてください」


柔らかい笑顔に胸が締めつけられた。


木崎さんはただの親切でしてくれたことだと分かっているのに、警戒を解いた笑顔に魅了される。


どうしていつも難しい相手ばかり好きになってしまうのだろう、わたしは。


この人が好きだと自覚した。

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