第16話 面会の日
ひびきちゃんは毎月月初の週末に父親の元で過ごすことになっている、というのは以前木崎さんから聞いた情報だった。
その日に合わせて、先月のお礼がしたいので夜ご飯に行きませんか、と木崎さんから誘いがあって、それをわたしが断ることなんてなかった。
土曜日の夜に木崎さんの最寄り駅で待ち合わせをして、以前から木崎さんが気になっていたという店に入る。
「ひびきちゃんのお父さんは子供は好きなんですか?」
離婚の時の条件として、父親との定期的な面会が盛り込まれるのはよくあることだ。でも、毎月欠かさず会っているということは、父親の方もひびきちゃんが可愛くて会う意思があるからだろう。
「余所の子はともかく、うちの子は可愛いとは言ってますね」
「……ごめんなさい、こういう話嫌ですよね」
離婚をしているのだから、木崎さんにとっては元ダンナの話なんてしたくないかもしれないと謝りを出す。
「大丈夫ですよ。離婚したてならまだしも、今はこの生活にも慣れましたし、過去のことは過去として捉えられています。ひびきが毎月会いに行くのも受け入れられていますから」
「ひびきちゃんが嫌がったりはないんですか?」
「今までは一度もないですね。向こうでおじいちゃんとおばあちゃんと会っていることもあるみたいで、おもちゃを買って貰えるので機嫌よく行ってます。どこまで続くかは分かりませんけどね」
「そうですね。でも無理しないでくださいね。会わせたくないなら嫌だって言ってもいいと思います」
「有り難うございます。ワタシとの繋がりはもうない人で、ひびきの父親なだけだって割り切れば関われますから」
「そっか……そうなっちゃうんですね。離婚すると」
「ひびきができるまでは、上手く行っていたんです。共働きで、家事もシェアして、休みの日はよく2人で出かけました。崩れたのは、ひびきが産まれて、ワタシが仕事に復帰してからなんです」
「育児に参加してくれなかったんですか?」
「彼も仕事で大変な時期だったとは思ってるんです。でも、お願いしても仕事だから仕方がないとか、疲れてるって家のことをほとんどしてくれませんでした。それはわたしも同じで、でも子育てに待ったはないので一人で背負うしかありませんでした。そのくせ、夜遅くに帰ってきて、寝ついたばかりのひびきを起こそうとするので、あの頃は喧嘩ばかりしてましたね」
喧嘩をする木崎さんなんて、わたしには想像もつかない。
「この人なら大丈夫だって思っていても、いざそうなってみないと上手く行く、行かないは分かりませんよね」
「……決定的になったのはワタシが彼を受け入れられなくなったことなんです。手を握るのも嫌で、最後には顔を見るのも嫌になって、ワタシから離婚を切り出しました」
「拒否はされなかったんですか?」
「心を入れ替えるって言われたんですけど、頷けませんでした」
「心が離れたからですか?」
「家事と育児をもっと手伝うって言われたんです。精一杯の協力をすると言ったつもりなのかもしれません。でも、わたしからすれば家事も育児も共同責任のはずなのに、どうしてそんなに無責任なことが言えるんだって腹が立つだけでした」
「それで離婚をして、ひびきちゃんを一人で育ててるなんですね」
「そうです。ワタシの実家はSEで職が見つかるような場所じゃないので、そのままこの街で一人でひびきを育てて行こうって決めました」
「木崎さんって強いですよね」
「我が儘なだけですよ? 共働きなんて多くの人ができていることなのに、我慢ができませんでしたから」
わたしは子育てなんてしたことがないから想像することしかできない。でも、ちょっと我慢をするレベルじゃないのは感じていた。
多分木崎さんなりに改善をしようとしたけれど、報われることはなくて、限界ぎりぎりで離婚を切り出したのだろう。
木崎さんは責任感が強くて、真っ直ぐで、だからこそ自分を誤魔化すなんてできない人だから。
「我慢して心が病むよりはいいですよ」
「そうですね」
「じゃあ、今日は普段中々飲めない分飲みましょうか」
木崎さんのスマホに着信があったのは、そろそろ帰ろうと話をしたすぐ後だった。
相手は分からなかったけど、最後の『迎えに行きます』の言葉で、その相手がひびきちゃんの父親であることは分かった。
ひびきちゃんを迎えに行くことになったと告げた木崎さんに、心配だからわたしも同行させて欲しいと願い出る。
「荷物持ちくらいに思っておいてください」
そのまま一緒に電車に乗って、5つ先の駅で降りる。木崎さんに先導されるまま見知らぬ街を歩いて、目的らしいマンションに辿り着く。
分譲マンションっぽいので、もしかして木崎さんは以前ここで住んでいたのかもしれない。
マンションの入口前で待っていると木崎さんと別れて、入口付近で時間を潰す。
ひびきちゃんの父親からの連絡は、ひびきちゃんが突然泣き出して木崎さんを呼んでいるというものだった。ひびきちゃんは、今までに何度も一人で泊まっているはずで、何かあったのかと心配になる。
しばらくしてひびきちゃんを抱いた木崎さんがマンションから出てくる。ひびきちゃんは拗ねているのだろう、木崎さんの胸に顔を埋めたままだ。
ひびきちゃんに声を掛けると、顔をちらっとだけわたしに向けてくれる。
「ご機嫌斜めみたいです」
「ですね。タクシー捕まえますね」
ひびきちゃんを抱いたままで電車移動は辛いだろうと、少し広い通りまで戻ってタクシーを捕まえる。
タクシーに乗ってもひびきちゃんは木崎さんに抱きついたままで言葉はない、余程淋しかったのだろう。
3人で木崎さんの家の前でタクシーを降りて、家に向かった。
「じゃあ、わたしは帰りますね」
家の前で預かっていた木崎さんのバックを渡してから、わたしは帰ることを告げる。
「もう、遅いので泊まって行きませんか?」
「今日はひびきちゃんはお母さんと2人の方がいいかなって思うので、遠慮しておきます。お休みなさい」
そう言って木崎さんの家を辞して、いつものランニングコースを歩きながら家に帰った。
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