第5話 トラブル

※第4話と第5話が重複しておりましたので修正しました。

 第4話の方をミスっております。申し訳ありません。



真依から会社携帯に連絡が入ったのが、火曜日の午後だった。


外回りからの帰社中のことで、駅から会社に向かって歩きながら電話に出る。


「柚羽、ごめん。ちょっと本番トラブルがあって、顛末報告をしないといけなさそうなの。お客さんとの日程調整お願いできる?」


システムトラブルの発生はないのが一番だけど、現実的にはゼロにはなかなかなり得ない。そういう場合のお客さんへのアポ取りは窓口である営業がするのが普通だった。


「分かった。復旧はもうできてるの?」


「それは大丈夫。楠元さんがリリース中にミスしちゃったんだけど、サポートについてた木崎さんがすぐに気づいてくれて、即時対応して今は正常稼働してる。こっちでお客さんにも説明済みだけど、本番稼働中の環境だから業務影響あるし、正式報告はいるだろうって」


会社に戻ってまず真依の上司に相談をして、候補日と段取りを確認してから、お客さんにアポを取る。


システムダウン時間が短かったので、お客さんも激怒しているわけではなさそうで、大きな問題にならずに終息しそうだった。


動けなくなっていた楠元さんを、木崎さんがフォローしてくれたそうなので、また会ったらお礼を言っておこう。


真依はPLだから全部を見て回れるわけじゃないし、BPさんに助けられることも多いことは知っていた。





西下さんからのビアンバーに行かないかというお誘いに、どんな格好で行くべきかと迷って、結果的にスーツ姿に近い形になる。


おしゃれに自信はないし、最近買った服はほとんどトレーニング用のものだったりする。


待ち合わせ場所で西下さんに仕事に行くんですか? と案の定笑われてしまった。


「ジャージで来るわけにも行かないので」


「普段着ジャージなんですか?」


「毎日軽く走っているので、自然とそれに近しい格好ばかりになっちゃうんですよね」


「ランニングが趣味なんですか?」


「はい。ほんと走ってるだけで、別に速くもないですけどね」


頷いた西下さんは口元を引っ張って、ちょっとだけ違和感があった。


何か引っかかることがあったんだろうか。


「一緒に走りましょうって言いませんよ?」


「マラソンってMの人しかできないって思っていますから」


「えっ……」


さらっと言われて、確かにちょっとそういうことはあるかもしれないと思いながら、西下さんの後を追った。


メインの通りから少し暗い脇道に逸れた先にその店はあった。店の名前が書かれた小さな看板が明かりに照らされていて、古びた扉を開けて西下さんは中に入って行く。


迷いもなく入って行くので、初めての店ではないのだろう。


照明の抑えられた店内には数人の客がいて、西下さんにくっついてカウンターに座る。


バー自体もわたしはほとんど行かなくて、時々飲み会の3次会で行ったことがあるくらいだった。この店だけなのかもしれないけど、店内は大きな違いはないように映る。


こういう場所でビールは流石になと、さっぱり系のカクテルをお任せでとオーダーする。お酒は何でも拘りなくなので、何が来ても飲めるだろう。


テーブルに置かれたグラスを手にして、西下さんとグラスを掲げるだけで乾杯をする。


「西下さんって、いつからこういうお店に来始めたんですか?」


「内緒です」


会社で見るよりも西下さんは色っぽく見えて、この店に馴染んでいる。経験の差なんだろうな、と思いながらグラスに口を付ける。


「自分がビアンだってことを周りに打ち明けることもできなくて、悩んで悩んでこういう所に出入りするようになったんです」


「マイノリティを受け入れようって社会になってますけど、いざ目の前にすると人って綺麗事じゃなくなりますからね」


「そうなんですよね。でも、須加さんって、優しいから恋人いないのもったいないですよ。ここで探してみません? 絶対もてますよ。どういうタイプが好みですか?」


そう言って西下さんは視線を店内に向ける。


「女性の好みと言われても……」


こういう場所で人を選ぶのは見た目なんだろうか。わたしも店内に視線を向けた所で声が掛かる。


雪菜ゆきな?」


その声は店に入ってきたばかりの女性からのものだった。確か西下さんの下の名前は雪菜だったはずで、知り合いだろうか。


その人は見た目30代くらい。雰囲気的にわたしよりも年上には見えた。


聡子さとこさん……お久しぶりです」


一回り上と聞いていた別れた恋人と見た感じの年齢は一致する。穏やかだけど自立した女性にも見えた。


「西下さん、わたしのことはいいので、話してきてください」


「いえ。今はもう関係ない人ですから」


カウンターに振り返った西下さんに、やっぱり別れた恋人だと確信した。


その人は西下さんに追い縋ることはなくて、離れたカウンター席に一人で座る。


そこからは話も弾まずに1杯だけでわたしたちは店を出た。


「すみません。誘っておいて」


「雰囲気を知りたかっただけなので、わたしは十分ですよ。でも、一人で大丈夫ですか?」


それに西下さんが頷いたので、わたしは一人自分の家へ続く路線に乗り込んだ。


西下さんが取り乱すなんて初めて見た。


別れた理由は知らないけど、まだ西下さんの中で整理はついていないように見えた。


去年別れたと言っていたので、そんなものなのかもしれないけど。

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