第26話 エピローグ

睦生からの一緒に住んでもいいんじゃない? という誘惑は甘美すぎて、思わず頷いてしまいそうになった。


それでも睦生とひびきちゃんの生活にいきなり割り込むのは気が引けて、今は夜に行く回数を増やすになっている。


平日の残業をしなくてもいい日は寄ることにしていて、睦生から合鍵ももらった。


わたしの方が帰宅が早ければ、わたしが夕食を用意するようにもなった。でも、わたしのレパートリーにはおつまみみたいなものしかなくて、ひびきちゃんの喜びそうなメニューをスマホで探すのが昼休みの過ごし方になった。


平日に泊まるのは、ひびきちゃんから強請られた時だけにしている。最近強請られるのが毎回になっていて、ひびきちゃんはその仕組みに気づいた気がしていた。


子供の成長って侮れない。


ひびきちゃんにとってわたしはどんな存在なんだろうって思うけど、川の字では寝てくれるので家族に近い扱いはしてくれているのかもしれない。




仕事の方はと言えば、睦生は真依と同じ現場で保守を継続して担当することに決まった。残念ながら社内には当分戻って来そうになくて、一緒に出勤はまだ夢のままだった。


そのおかげでではないけど、最近ひびきちゃんが体調を崩して休む時は、わたしがテレワークをしたり、休暇を取って看ていることもある。


上司にはバツイチ子持ちの人とつき合っていて、子供の看病で有休を使うことがあるとだけは打ち明けている。相手が女性だとは言ってないだけで間違ったことは言ってない。



楠元さんは、最近体調が落ち着いてきたようで休む回数が減ってきている。でも、自社とはいえ状況が状況なだけに居心地がいいわけがなくて、1回泣いているのを見てしまった。


今は体を優先させればいいよと伝えたけど、負けたくはないと言っていたので、彼女なりに必死に戦っているのだろう。辛かったら泣き言くらいなら聞くよとは伝えた。


子供を産んだ先のことは、その時になってみないと分からないことも多いだろうけど、楠元さんには頑張って欲しかった。



西下さんは、残念ながら年度末で契約終了することになった。


理由は、正社員としての再就職先を探したいという西下さんからの申し入れなので、引き留めることもできない。


縒りを戻すかどうかを矢柳さんと納得行くまで話し合って決めた結論らしい。


でも、最近の西下さんは、矢柳さんと一緒に暮らし始めたらしくて、幸せオーラが出ている。


普段自分にも他人にも厳しい人だから、余計にそれが感じられて、そのことを西下さんに告げると、どの口で言ってるんですか? と呆れられた。


わたしもそうだってことは分かってます。





「おはよう、柚羽」


「ごめん、起こしちゃった?」


わたしは最近は早朝に走るようになって、睦生とひびきちゃんを起こさないように注意して準備したつもりだったけど、睦生は起こしてしまったらしい。


起き上がってきた存在に謝りを出す。


「そんなことないよ。お弁当作らないといけないから、もう起きる時間。気をつけて」


触れるだけのキスをして、わたしは一人で外に出た。


走る前なのに心臓が高鳴っていて、朝から睦生は可愛すぎると煩悩を振り切れないまま軽く走る。


家に帰って、さっとシャワーだけ浴びてリビングに戻ると、空腹には堪らない匂いが漂っていた。


「お帰りなさい。ひびきを起こしてきてくれる?」


睦生の言葉に寝室に視線を向けると、まだひびきちゃんは布団の中だった。


ひびきちゃんを起こしてから、服を着替えるまでを見守る。ひびきちゃんは自分でほとんどできるけど、大抵髪をくくってとリクエストされる。


ひびきちゃんって美人の睦生に似ている上に子供の可愛さもあるので、変な虫がついたりしないかと気が気じゃない。


ってこの前睦生に言ったら、まだ5歳だって溜息を吐かれた。


3人で朝ご飯を食べて、片付けをするのは出勤時間の遅いわたしが担当だった。


睦生はひびきちゃんを保育園に預けに行く分だけ、家を出る時間が早い。


「行ってらっしゃい」


今度はわたしが2人を送り出してから、自分の支度をしてお弁当を持って家を出た。


お弁当は睦生が2人分も3人分も一緒だからと言って作ってくれるからなだけだよ?


来年になればひびきちゃんは小学生になる。今の家は1LDKで、ひびきちゃんの部屋もそろそろ必要だから、もう少し広い家に引っ越した方がいいんじゃないかと睦生と話はしている。


それを機に一緒に住むかを、今わたしは悩んでいる。


睦生は何とかなるよ。って言ってくれてるけど、そう簡単に答えは出せない。


でも、矢柳さんには誘われているなら応えるべきだって、この前西下さんと3人で飲んだ時に力説された。矢柳さんは西下さんと一緒に暮らしたくて、ずっと粘っていた人だからだろう。


わたしの不安は、ひびきちゃんを傷つけるんじゃないかっていう怯えだ。



睦生とひびきちゃんと歩いて行きたい。



それが今のわたしの望みなのだから、あとは腹を括るだけなのかもしれなかった。




end


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最後までお読み頂き有り難うございます。


もう少し番外編を続けて更新予定です。

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