18. 入部

「ダメですよ。アレックスさん。一度、始めた戦いです。勝負が決まるまで終わってはなりません」


 ――こんなところで終わったら、オレのぽっこりお腹が凹まねーじゃねーか! ぽっこりお腹舐めんなよ。ぽこぽこって出てんだからな! オレはまだまだダイエットしたいんじゃ! 終わらせてなるものか。


 フローラは一体何と戦っているのだろうか?

 きっと彼女は自分のお腹と戦っているんだ。

 フローラにとってダイエットとは壮絶な戦いなのだ!


 一日、ダイエットをサボればまた明日もサボってしまいかねない。

 今日ぐらいはいいや、という気の緩みが積み重なり、リバウンドするのだ。

 考えていることは間違っていないが、それは今の状況で考えることではないだろう。


 しかし、周囲の者はフローラの腹のうちを知らない。

 加えて、ぽっこりでかかっているフローラの腹の現状も知らない。


 何度も何度も地面に転がされるフローラは砂まみれだ。

 そこには精霊のような神秘的な美しさはない。

 だが勇敢に立ち上がり、戦いを挑む少女は、砂の汚れを知らぬ者より断然美しい。

 始めた勝負を投げ出さず、最後まで戦い続けるフローラの姿に、剣術部の生徒は感動した。


 そして、アレックスもフローラを認めていた。


「嬢ちゃん……いや、フローラ嬢。あんたを馬鹿にして悪かった。今からは一人の剣士として見よう」


 アレックスの中では、すでにフローラは一人の尊敬する剣士であった。

 圧倒的な実力差にも関わらず、自分に挑んでくる少女はどこまでも気高い。


 そこにいる誰もが、二人の戦いを固唾を呑んで見守っていた。

 神聖な戦いに横槍は無用。


 フローラはアレックスを見据えた。

 お互い、相手の動きを見る。


 フローラが動き出した。


「ハァ――!」


 気合の籠もった一撃。

 踏み込み、アレックスに向かって剣を振った。

 それは今までのどの動きよりも力を込めたひと振りであり……。

 しかし、力を込め過ぎたせいで。


 スポポンッ!


 なんと!

 フローラの握っていた剣が彼女の手から離れたのだ。


 ここまでの戦いでフローラの握力はなくなっていた。

 それも当然だ。

 アレックスの攻撃を何度も受け止めていたからだ。

 その状態で、全力のひと振りをすれば剣が飛んでいくのも無理ない。


「な……!?」


 アレックスは予想外の事態に、一瞬だけ慌てる。

 だが、さすがは学院最強の剣士。


 飛んできた剣を間一髪のところで避けた。

 しかし、


「ンッ……!」


 フローラがアレックスに突進していった。

 それは一切の迷いがない動き。

 アレックスは目を丸くした。


 何もかもかなぐり捨てた特攻。

 麗しの令嬢、フローラ・メイ・フォーブズが猪のような突進をしかけてくると、誰が思うだろうか。


 ドンッと、アレックスに衝撃が来た。

 それは小さな衝撃だった。

 フローラの体躯で突進されたところで、アレックスからしたら痛くも痒くもない。


 が、しかし。


「俺の負けだ」


 アレックスが呟く。


「はて……?」


 フローラはよくわからないような顔をしていた。

 というのも、


 ――え、何が起こったんだ? ちょ、お前、抱きつくなよ!


 と、アレックスを見上げていた。

 彼女は剣が両手から離れたことでパニックになっており、その後の突進は頭真っ白で行ったものだ。

 フローラは何が起こったか全く理解していなかった。


 気がついたら、アレックスの腕の中にいた。

 とりあえず、フローラはアレックスから離れる。


 すると次の瞬間。

 彼らの戦いを見ていた者たちが歓声を上げた。


「うおおぉぉぉぉ!」

「我らフローラ様が勝たれたぞッ!」

「女神だ! 女神が降臨なされた!」

戦乙女ヴァルキュリーじゃあぁぁぁ!」


 野太い声で男たちが騒ぎまくる。

 フローラの勝ちは偶然であり、おそらく皆それをわかっている。


 だが、誰もその偶然を馬鹿にする者はいなかった。

 むしろ、その偶然という奇跡を味方につけたフローラを讃えていた。

 さらに言えば、その奇跡にたどり着くまでの過程を称賛していた。


 何度負けても立ち上がり、アレックス相手に勇猛果敢に挑んだフローラ。

 そうして掴んだ彼女の勝利は、見ている者の心を揺さぶったのだ。


 そして、最も感動していたのがエマである。

 エマは、


「フローラさまァァ!」


 と誰よりも大きな歓喜の声を上げて、泣いていた。

 大げさである。

 だが、エマはフローラの吹き飛ばされる姿を、じっと我慢して見ていたのである。


 貴族令嬢が幾度も土の上を転がされるのだ。

 エマの心中は穏やかではなかった。

 しかし、それを最後まで耐え、そしてフローラが勝ったのだから。

 エマの喜びは計り知れないものだった。


 アレックスがフローラをまっすぐ見据える。


「フローラ嬢、あんたを剣術部に認める」


 ぽかんとしていたフローラだが、


 ――よくわからんが、オレは勝ったんだよな?


 と、自分がアレックスに勝利したのだと知った。


「ありがとうございます。これからも、よろしくお願い致します」


 フローラは淑女の礼をした。

 アレックスはそれを見て微笑んだ。


 いつものアレックスなら、貴族の礼を小馬鹿にしていた。

 だが、今のアレックスはフローラを馬鹿にする気は毛頭なかった。


 貴族令嬢とは思えない剣捌き。

 圧倒的な実力差にも関わらず、飛び込む果敢な姿勢。

 そして、何度倒れても立ち上がる屈強な精神力。


 そんな人物をどうして馬鹿にできようか?

 フローラを馬鹿にすることは、剣士として人として在るまじき行為である。

 アレックスは未だに貴族のことを好きになれない。

 たが、彼はフローラのことを人として好きになった。


 フローラはアレックスの態度の変わりようを見て、


 ――う……。なんか、裏がありそうで怖い。


 寒気が走っていた。

 もう少し人の好意を素直に受け取れないものか?

 まあ、フローラだから仕方ない。


 こうして、フローラは剣術部に入部することになった。

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