26. 自由主義の母

「果たして、無能と言って他人を決めつけるのは、いかがなものでしょうか?」


 と、フローラがビクビクしながら言う。

 すると、ハリーは眉を上げた。


「どういうことだ?」


 ハリーは無意識に威圧を強めていた。

 そしてフローラは、


 ――ひゃあッ……。王子、怖い。


 と慄く。

 しかし、その状態でも彼女は凛として見えた。

 ピンと伸びた背と、精霊のような美貌のおかげである。


「殿下が無能と決めつけている方にも、もしかしたらその人なりの魅力があるかもしれません」


 ――オレにだって良い部分があるんだよ?


「過去に大きな過ちを犯した人がいたとして、それを寛大な心で許すことも大切ではないですか?」


 ――誕生日会でやらかしたけど……水に流してくれよな?


 完全に保身に走っているフローラだ。

 それに対して第一王子は、


「フローラ嬢らしい考えだ」


 と頷く。


 ――先日のフレディの件もそうだが、彼女はとても寛容な考えを持っているようだ。


 ハリーは今まで許すことをしてこなかった。

 罪を犯したら、それ相応の罰を与える。

 相手が貴族であっても平民であっても。

 逆に言えば、成果を上げればそれに相応しいだけの報酬を与えてきた。

 これがハリーの言う平等であり、貴族と平民の軋轢をなくすための策であった。


 しかし、それによって取りこぼしてきたモノがあるかもしれない。

 と、先日の一件でハリーは感じたのだ。

 もしも、これまで断罪してきた相手を許すことができたのなら……。

 裁くこと以外の、もっと良い選択肢があったかもしれない。

 彼は自分の中にある正しさに疑問を覚える。


「公平公正に裁くことが全てではない……と。そう言いたいのだな? しかし、それなら、フローラ嬢の望む社会とはなんだ?」

「お肉を一杯に食べられる……」


 フローラは欲望ダダ漏れの回答をしかけるが、ふと思い直す。

 ここで、その回答はダメだと!


「……ような、みんなが幸せになれる社会です!」


 なんとか、途中で軌道修正した!

 危なかった!

 彼女のポンコツ具合がバレるところだった。

 第一王子との真剣な話し合いの中で、お肉のことを考えていたフローラは、ある意味大物である。


「皆が幸せな社会だと? まさに理想論だ。言うのは簡単だが、実現は難しいだろう。それよりも、大多数が幸せになる社会を目指すべきではないか?」

「それはですね……」


 と、言ってフローラは顎に手を置いた。

 そもそも、社会の正しいあり方を問われても、フローラには答えようがない。

 そこまでの高度な知識はないのだ。


 フローラの脳はパンク状態だった。

 しかし、彼女は必死に頭を働かせる。


「そう、例えば自由です。誰もが自由で、伸び伸びとして生きられたら、それは皆にとって凄く幸せなことだと思いませんか?」


 と、フローラは言った。

 もはや、彼女には自分が何を言っているのか、わかっていなかった。

 ただ、早く帰りたかった。

 自由になりたかったのだ!

 彼女の潜在意識が言葉になっただけである。


 ハリーはじーっとフローラを見た後に、ふっと笑った。


「なるほど。それがフローラ嬢の目指す学院、ひいては社会のあり方か。やはり、実現不可能な話にも思えるが、とても参考になる内容だった」


 ハリーはフローラとの会話に満足感を覚えた。


 ――幸福を最大化すると言った機械的な社会よりも、各個人が自由で幸せな社会を望む、か。その発想はなかった。現在の政治体制では難しいだろうが、素晴らしい考えであることに間違いない。さすがはフローラ・メイ・フォーブズだ。


 まさかハリーもここまで深い議論ができるとは思ってもいなかった。

 彼は議論のできる貴重な友人を得たことを、嬉しく思った。


「とても有意義な時間であった」

「はい……。では、私はこれで失礼いたします」


 早く解放されたいフローラは、さっと立ち上がる。

 これ以上会話をすると、彼女のポンコツがバレる恐れがある。

 そしてなにより、誕生日会のことを咎められる前に退散したかったのだ。


「待ってくれ。フローラ嬢に一つ頼みがある」

「なんでしょうか?」

「生徒会に入って、共にこの学院を良くしていかないか?」


 と、ハリーは言った。

 ハリーの目にはフローラが聡明な少女に見えている。

 それは大きな勘違いであるが……。

 ハリーはフローラが生徒会にいれば、学院がもっと良くなると考えていた。


 対してフローラは、


 ――え? 待って。よくわかんないんだけど。今の会話から、どうしてそういう話になるの?


 と困惑していた。

 そして彼女は、はたとハリーの意図に気づいた。


 ――これはあれだな。オレを生徒会に入れて、仕事ができないことをネチネチ言うやつだな。くっそぉ! いつまで誕生日会のことを引きずるんだよ!


 フローラは誕生日会でやらかしたことを咎められると考えていた。


 もちろん、ハリーはそんな些細なことを気にしていない。

 というか、誕生日会でのフローラの失態など、彼にとってはどうでも良いことだったため、記憶にも残っていなかった。


「しかし、私には剣術部の活動がありまして……」


 と、フローラは断ろうとする。

 だが、ハリーはそれも承知の上で頼み込んでいた。


「毎日でなくとも、手が空いているときに来てくれれば問題ない」


 生徒会の仕事は多岐に渡る。

 そして、もちろん忙しい。

 それなのに役員の枠を一つ埋めてまでフローラを獲得しようと思うのは、それだけフローラの能力をハリーが認めているからだ。


「回答はまた今度で良いから、一度考えてはくれないか?」

「……わかりました。それでは、じっくり考えてからお返事いたします」


 フローラは軽く頭を下げながら、


 ――ああ、面倒なことになった。どうやって断るか考えなきゃならんよ。


 そう、内心で思っていた。

 彼女は「失礼いたしました」と言ってから生徒会室を出る。


 フローラの去った後をハリーはじっと見つめていた。


「さすがに即答ではないか……」


 彼は独りごちる。


 生徒会役員とは、周囲から畏敬の念を抱かれる存在だ。

 伝統あるシューベルト学院の中でも、生徒会に入る者は特別なのだ。

 加えて、今季は第一王子であるハリーが生徒会長を務めている。

 そのハリーからスカウトされたのなら、ほとんどの生徒は二つ返事で誘いに乗るだろう。

 しかし、フローラは「考えてさせて欲しい」と言った。


 簡単に手に入らないものほど欲しくなる。


「なおさら、彼女を生徒会に入れたくなった」


 とハリーは呟いた。


◇ ◇ ◇


 フローラ・メイ・フォーブズと言えば、多才な人物として知られている。

 たとえば、剣の才能である。

 のちに騎士団長となるフレディ・K・ハモンドを学生時代に圧倒したという話は有名だ。

 他にも挙げれば切りがないほどに才能溢れる人物であったとされる。


 そんなフローラ・メイ・フォーブズだが、彼女は自由主義の母とも呼ばれている。

 彼女の唱えたとされる『フローラの自由論』は、従来の最大多数の最大幸福という考え方に、個人の自由という観点を加えたものである。

 フローラは当時の王ハリー・エル・シャングリアから、社会のあり方を問われたときに、この理論を提唱したのだ。

 だが『フローラの自由論』は異端であるとされ、聞き入れてもらえなかった。

 しかし時代が進むにつれ、彼女の提唱した理論が多くの人々に受け入れられていく。

『フローラの自由論』は自由主義に多大な影響を与えたとともに、のちの思想家が発表した『幸福論』の礎にもなった。


 そして、今日こんにち

 フローラは最も偉大な思想家の一人として知られている。


 聖女として有名なフローラ・メイ・フォーブズだが、彼女が優しさだけでなく、聡明さを兼ね備えていたことは、もはや語るまでもない事実である。

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