39. セリーヌの怒り

 セリーヌは喉の乾きを覚えた。


 エリザベスの視線を受けてセリーヌは喉がカラカラ乾く。

 彼女は紅茶を口に含み、喉を潤す。

 そして努めて冷静に振る舞いながら聞き返す。


「それは……どういうことでしょう?」

「フローラ様がパーティに遅れて登場した理由。ご存知ですわね?」

「い、いえ……」

「あら不思議なこと。そちらの従者がフローラ様のドレスを汚したのに、主人であるあなたが知らないとでも?」


 セリーヌは焦りを隠すように、わざと目を見開いて見せた。


「まあ! そんなことがあったのですね。申し訳ありません。従者が勝手にやったことでして……」


 そうセリーヌが言うと従者が顔を真っ青にさせた。

 もちろん、従者はセリーヌの指示で動いていた。

 主人に裏切られたのだ。

 従者は主人に逆らう権利がない。

 黙って罪をかぶるしかないのだ。


 エリザベスの追撃は止まらない。


「まさかそのような言い訳が通用するとでも? 私を馬鹿にしないでいただけます?」


 エリザベスは高らかに笑う。

 それは相手を威嚇する笑みだ。


「たとえあなたの従者が勝手にやったことだとして。それは主人であるセリーヌ様の失敗でもありますのよ。伯爵令嬢のあなたが侯爵令嬢、フローラ・メイ・フォーブズのドレスを台無しにし、恥をかかせようとした。この事実に変わりはありませんわ」

「…………」

「私のお友達を傷つけた。これがどういう意味かわかりまして? 今後の社交界が……いえ、学園生活がとても楽しみですわ」


 セリーヌが口をわなわなと震わせた。

 そして彼女はポツリと呟いた。


「なんで……」


 セリーヌの声が冷たく響く。

 彼女の声には怨嗟がこもっていた。


「なんであんなヤツを!」


 セリーヌがドンッとテーブルを叩き、声を上げた。

 取り巻きたちが小さく悲鳴をあげる。


「あんな豚のどこがいいのよ!? ブクブクに太って醜く。皆の笑い者だった豚の! フローラ・メイ・フォーブズは聖女でもなんでもない。ただのブタよ。ぶひぶひ鳴くだけの醜い豚だわ!」


 セリーヌはまくしたてるように感情を吐露した。

 顔を上気させ、エリザベスを睨む。

 しかし、エリザベスは冷めた表情でセリーヌを見る。


「言いたいことは済んだかしら?」


 恐ろしく冷たい声だ。

 セリーヌは背筋が凍りつくような感覚に襲われた。

 だが彼女は、ここで怯むわけにはいかなかった。


「私が、私だけが悪いって、そういいたいの? エリザベス様だって昔のフローラを見たら、きっと馬鹿にするわ」


 セリーヌはエリザベスに食ってかかるように叫んだ。

 そのあと、彼女は取り巻きたちに目を向ける。


「あなた達だって、フローラを見て笑っていたじゃない! 忘れもしないわ! 第一王子の誕生日会の日、あなたたちがフローラを馬鹿にして笑っていたことを! ふんっ、あなたたちだって同じ穴の狢よ」


 取り巻きたちは、セリーヌに気圧され気まずい顔をする。

 かつて、彼女らはフローラのことを豚令嬢だと罵っていた時期がある。


「私だけじゃないわ。それなのに私だけ悪者扱い? 私だけを断罪するのね」


 セリーヌが勝ち誇った笑みを浮かべ、エリザベスを見据えた。


 エリザベスはセリーヌの言葉に憤りを感じていた。


 ――フローラ様は必死の努力の末、今の美しい姿を手に入れられたの。その努力は褒められるべきであり、貶して良いはずありません。過去の姿が醜かったと言うのなら、なおさら今の美しさを褒め称えるべきよ。


 美しいものが好きなエリザベスは、美しく変身を遂げたフローラを賞賛している。

 フローラを貶されたことで、エリザベスは憤っていた。


「あんな豚、いなくなっちゃえばいいのよ。そうだわ! 廃棄処分しましょう。高貴な者が集う学院に豚が紛れ込んだとあれば、大変なことだわ。ここは養豚場ではないものね。なんていいアイデアなのかしら!」


 セリーヌはストッパーをなくした暴走列車のごとく、口から負の感情がダダ漏れになる。

 その一言一言がエリザベスの神経をとがらせるとも知らずに。

 エリザベスは感情を爆発させるセリーヌとは反対に、静かだった。

 しかし、彼女は憤りを覚えている。

 それは例えるなら冷たい火のよう。


「セリーヌ様。あなたは大勢の人を敵に回しました。覚悟はおありで?」

「敵?」

「公爵令嬢である私、第一王子であるハリー様、剣鬼アレックス様、貴公子ノーマン様。その他フローラ・メイ・フォーブズを慕う大勢の学院生徒」

「みんな騙されているの。豚が人間に化けて……」

「その汚い口を閉じなさい!」


 エリザベスが一喝した。

 とうとう、彼女の怒りが沸点を超えたのだ。

 セリーヌが言葉を止める。


「この件は兄上に報告しておきます。生徒会で然るべき処置が取られるでしょう」

「な!? ……私は何も悪くないわ! 私は……何も……」


 セリーヌは絶望する。

 みなから見放されたら、彼女に学院での居場所はない。

 しかし、それでも自身の罪を認められなかった。

 フローラに対する憎悪が増すばかりだった。

 悪いのは全てフローラ。

 刷り込まれたような激しい憎悪がセリーヌに纏わりつく。


 と、そんなときだ。

 コンコンと扉をノックする音が室内に響く。


 こんな時間に誰が?

 室内にいる皆が疑問を抱いた。

 無視するわけにもいかない。

 従者がささっと動き、ドアを開けた。


 次の瞬間、彼女らの表情が驚愕に染まった。


「夜分遅くに申し訳ありません。フローラ・メイ・フォーブズです」


 そこにはなんとフローラがいたのだった。

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