42. 独白

 もうセリーヌは止まらない。

 どうしてもフローラを認められなかった。


「フローラ様の昔の姿は、私も存じております」


 そういったのはエリザベスだ。

 エリザベスが続ける。


「しかしそれは恥ずかしいことではなく、むしろ誇るべき過去だと思います。フローラ様は昔の自分を変えたく、努力を重ね、今の美しい姿と慈悲深い心を得たのです。それは素晴らしいことだと思いませんか?」


 取り巻きたちが頷く。

 エマもエリザベスの言葉に同意した。


 もちろん、フローラは自分を変えようと思ったわけではなく。

 前世の記憶が蘇り、勝手に性格が変わっただけだ。

 努力をしたとは思っていもいない。

 フローラはぽかーっんとなりながら、エリザベスの話を聞いていた。


 セリーヌはエリザベスの言葉に苛立ちを覚える。


「努力? 笑わせないでよね。私だって努力したわ。なのになぜ! フローラだけが目立つのよ!」

「呆れたこと。目立ちたいためにフローラ様を汚したのね。くだらない理由だわ」


 エリザベスがそう言ったことで、フローラはハッと気づいた。


 ――もしかして、インクをぶっかけてきた犯人ってセリーヌなのか?


 正確には裏で手を引いていた人物がセリーヌだが、フローラの認識は大体合っている。

 ようやく真実に気づいたフローラは驚愕する。


 ――え? そうなの? まじかよ。それなら謝る必要なんてなかったじゃねーか。謝り損だぜ。オレの謝りストックが一個減っちまったよ。


 謝りストックとはなんだろうか?

 フローラの心の狭さが垣間見える。

 と、まあ……それは置いといて。

 フローラは自分が悪くないと知るやいなや、急に態度が大きくなった。


「セリーヌ様。私はあなたを許しませんわ」


 とフローラは言ったのだ。

 なんて心が狭い女なのだろうか!

 フローラとは元来、チキンで怠惰で狭量な人間なのだ!


「許さないね。それで、私にどうしようというの?」

「その前に、このハンカチをお返ししますね」


 フローラは汚れたハンカチをセリーヌに渡そうとする。


 ――ふんっ! 頑張って作ったハンカチを真っ黒にされて返される。セリーヌからしたら屈辱だろーな!


 これはフローラの嫌がらせであった。

 心が狭く……小さい女だ。

 その上でフローラの嫌がらせは続く。


「これの代わりに、もっと良いハンカチを作ってください。そしてそれを私にください」


 セリーヌの刺繍の腕前は抜群だ。

 フローラはそこに目を付けた。

 将来、高く売れるかもしれない。

 フローラの目がかね色に輝いた。

 セリーヌ作のハンカチが無料で手に入り、それを売ったら大儲けができる。

 ……なんてことをフローラは考えていた。


 ――汚れたハンカチを返された上に、新しいハンカチを作らせる。どうだ! 屈辱だろ?


 フローラからしたら、これが精一杯の嫌がらせだった。

 嫌がらせの規模まで小さい女、それがフローラ・メイ・フォーブズ!


「私のハンカチ? そんなもの貰っても仕方ないでしょ」

「いえ、そんなことありません。セリーヌ様。あなたは気づいておられないようですが、セリーヌ様の腕は誰もが認めるものです」


 フローラの言葉にエリザベスが頷く。


 セリーヌは勘違いしているようだが、エリザベスがセリーヌを取り巻きにしたのは、セリーヌのおべっかが上手だったからではない。

 エリザベスはセリーヌの刺繍の腕を見込んだのだ。

 そもそもエリザベスは美しいものなら、なんでも好きだ。

 刺繍であろうとドレスであろう外見であろう内面であろうと、それが美しいものであれば賞賛する。

 エリザベスはセリーヌの刺繍を美しいと思い、取り巻きにしたのだ。


 フローラは続けて言う。


「セリーヌ様の腕は誰かを悲しませるものではなく、喜ばせるためのものです」


 ――オレの懐を満たし、オレを喜ばせるものだ。


 フローラは頭は金まみれだった。


「私はインクをかけておりませんわ。やったのは従者よ」


 フローラは「それは……」と言いよどむ。

 そして、すぐに頭を回転させた。

 きっとセリーヌの指示で従者が動いたのだ。

 そうに違いない。

 珍しくフローラの頭が正解を導き出した!


「そういうことを言いたいのではありません。指示したのはセリーヌ様でしょう? 私を傷つけて楽しかったですか?」

「ええ、楽しかったわよ。せいせいしたわ!」


 セリーヌが小馬鹿にするようにフローラを見た。


「それは刺繍をあしらうことよりもですか?」


 セリーヌが言葉を止めた。

 フローラは言葉を続ける。


「私は思うのです。快楽には様々な形があるものの、本当に人を満足させる快楽は相手を喜ばせたときだ、と」


 ――だからオレを喜ばせてくれ。オレに金を恵んでくれ!


 フローラは自分本位の考えを持っていた!

 これのどこが聖女だろうか?

 金の亡者の間違いではないだろうか?


「説教を垂れるつもり?」

「いいえ、私の反省です。かつての私は満腹になるまで暴食し、豚のように太っておりました。豚令嬢と呼ばれたのも私の怠惰が原因です。私は食べるのは好きです。今でもスキあらば、たくさん食べてしまいます。ですが、感情にまかせて暴飲暴食を続けた結果、あとに残ったのは罪悪感です。ああ今日も食べてしまった。また太ってしまった。そんな罪悪感に蝕まれます」

「それとこれと、どういう関係があるのよ」


 フローラは慌てる。


 ――オレは何の話をしているのだろうか?


 しかし、彼女の口は止まらない。


「もう一つ、反省があります。昔の私は傲慢であったと自覚しております。自分のためなら他人が傷ついても構わないと考える愚か者でした。しかし、そんな私のもとからは当然、人は離れていくものです。他人を馬鹿にし、優越感に浸ったときの快楽は虚しいものです」


 フローラは内心で困惑していた。


 ――オレは何を言っているんだ?


 フローラオレの意志とは関係なく、フローラが言葉を紡ぐ。

 フローラはゆっくりと息を吸ってエマを見た。


「私はエマに聞いたことがあります。なぜ、このような私のために尽くしてくれるのか、と。彼女はこう答えました。『フローラ様に仕え、フローラ様が喜んでくださるときが、私にとって一番の幸福です』。昔の私には理解できない言葉でした」


 みながフローラの話に耳を傾けていた。

 エリザベスはフローラの顔を凝視しながら。

 エマは一字一句聞き逃すまいと集中しながら。

 セリーヌは自分の愚かな行動と照らし合わせながら。

 それぞれがそれぞれの感情をもって、フローラの話を聞いていた。


 そして、フローラオレ自身も自分の言葉に耳を傾けていた。

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