第参骨 薔薇の木の下⑤

    ■肆


貴方あなたはどうやら霊との相性がいいようです。せっかくなのでウィジャ・ボードを使って交信する事にしましょう。そっちの方が皆さんにもわかりやすいでしょうし」

 悪戯いたずらの儀式を終えた後、そう霊媒師が言って、アルファベットの書かれたゲーム盤のようなものを持ち出してきた。

「ウィジャ・ボード?」

「日本でもあるだろう、コックリさんとか、そういう子供だましだ」

 櫻子さんが僕に耳打ちした。

「でも、さっきの霊の悪戯は、本物みたいでしたよ?」

「本物だと? 君は本当に頭が悪いな」

「じゃあ……やっぱりトリックって事ですか?」

「当たり前だ。薔子夫人の頼みとはいえ、こんな茶番にはつきあってられんよ、時間の無駄だ」

「そういう訳にもいかないでしょう? もう少し我慢しましょうよ」

「あの男は劇団を主宰しているんだろう? 演技ではないと言える理由は何処どこにある?」

「でも、薔子さんはグルには思えませんよ? さっきのは本当に──」

「だから君は愚かだと言うんだ。あれは全て科学的根拠に基づいた当然の反応だ」

「お静かに」

 ささやきあう僕らに、霊媒師が険しい声をかけてきた。

「騒ぐと、霊が去ってしまいます」

「霊だと?」

「そうです、既にこの方の身体に、魂が降りてきているのです」

「感じますね」

「ええ! なんだか、不思議と身体が、内側から暖かい気がするんですよ」

 小橋さんが、まるで舞台の上に居るようなオーバーアクションで、興奮気味に答えると、櫻子さんが「は!」と笑い飛ばした。霊媒師が小さくためいきを洩らす。

「全く、くだらんな」

「……そうおつしやるのは貴方だけではないのでご安心下さい。この世には、そういう目に見える物しか信じられない、可哀想な人間が沢山いるものです」

「私が可哀想な人間だと?」

「ええ、科学という側面の世界からでしか物事を量る事が出来ない、本当に哀れな人ですよ」

「…………」

 櫻子さんは、ムッとしたように霊媒師をにらみ付け──けれど、突然フッと笑った。

「知っているか? 脳内のセロトニンが不足すると、人は感情の抑制ができなくなるそうだ。だが私は、さほどセロトニンの分泌の悪い人間ではない。だからここで貴方の茶番に心を荒げたりはしないよ。好きに続けたまえ。君のこつけいな姿をここで拝見させていただこう」

 そう言って、櫻子さんは悠然と椅子に座り直した。一瞬霊媒師の表情がこわったようにみえたけれど、彼はすぐにまた、櫻子さんを哀れむような顔で、いんぎんに頷いた。そのわざとらしい仕草と表情に、僕はイラッとした。もしかしたら、櫻子さんが馬鹿にされた事に腹が立っているのかもしれない。

 そんなギスギスした雰囲気の中でも、何はともあれ降霊会は再開され、僕は霊媒師と櫻子さんの間で、なんだかとても居心地が悪くなった。

 ウィジャ・ボードとは、櫻子さんの言うとおりコックリさんのようなもので、質問すると、霊が勝手に動いてボードのアルファベットを示すらしい。木製のボードで、ガイコツの顔を模した月と太陽が左右に、周辺に悪魔と星がいくつも描かれている。アルファベットA~Zと数字、YESとNO、そしてHelloとGoodbyeの上に、中心に穴のあいた小さなプレート(後で調べたら、プランシェットというものらしい)を滑らせて、霊から話を聞くんだそうだ。

「では始めましょう」

 霊媒師はそう言って、プランシェットの上に手をのせた。小橋さんもそれに倣う。霊媒師がまた聞き慣れない言葉を静かに唱える。

「……貴方は水木たえさんですね?」

 やがてズー、ズー、と木をこするような音をたてて、二人が手を添えたプランシェットが答えた。

 ──NO

「ノー?」

 その答えに、霊媒師が、不思議そうな声を上げた。

「おかしいですね……どうやら騒いでいる間に別の霊が入ってしまったようです」

「別の霊とは?」

「改めて名前を聞いてみましょう。貴方の名前は?」

 ズー、ズー、ズー、またボードの上をプランシェットが滑り、アルファベットを一文字ずつ示していく。

 ──A──K──I──H──I──T──O──

《AKIHITO》

「明人さん……?」

 一瞬の沈黙の後、薔子さんが震える声でつぶやいた。

「悪趣味な! まだ彼は亡くなって間もないんだぞ!」

 それを聞いて、険しい口調で大原会長が立ち上がる。そして薔子さんを案じるように「気にしないでいい、こんなのは冗談にしても度が過ぎている」と言って、霊媒師と小橋さん、そして霊媒師を紹介したという水木さんを睨んだ。

「……本当に、明人さんなんですか?」

 けれど薔子さんは震えた口調でボードと霊媒師を交互に見て、そう問うた。

 ──YES。

 プランシェットが答える。

「何か……そうだ、何かご質問されてはいかがでしょうか? たとえば貴方しかご存じないような事を」

 霊媒師が言った。

「千代田さん、こんな事に無理につきあうことなんて無い、やめるんだ」

 大原会長が、怒気を含んだ口調で言う。僕も同感だ。ワンマンだけど、人情味のある人という、昨日の放送は噓ではないらしい。けれど薔子さんは会長に向かって首をふり、手で顔を覆った。

「……ほくろが」

 指の隙間から、くぐもった声が洩れる。

「ほくろ?」

「主人には──貴方には、変わったほくろが御座いましたわね」

 薔子夫人が、ボードに向かうようにして問うた。またズー、ズーとこすれる音が響き、アルファベットを示していく。

 ──TRIANGLE

「……三角形?」

 思わず僕は繰り返した。みんなの視線が僕に集まる中、薔子夫人が泣きそうな顔で微笑んだ。

「……明人さんのおしりには、三角形に三つならんだほくろがあったんですわ……私しか存じませんわね、こんな事」

「まさか……」

 薔子さんはふふふ、と少し笑った後、深く息を吐いた。

「ずっと……お会いして、お話ししたかったんですよ、明人さ──」

「やめたまえ! こんな事は死者のぼうとくだ!」

 突然大原氏が叫ぶように言った。

 その瞬間、ガシャン!と大きな音を立てて、サロンの窓ガラスが一枚落ちた。

「…………」

 しーんと、辺りが静まりかえった。ろうそくの炎で温められていた部屋に外気が入り込んできて、サロンが一気に寒くなる。

「大きな声はおやめください。霊が、怒っています」

 霊媒師が低い声で言った。

「霊が怒るだと?」

「ええ。それに何かを、大事なことを伝えたがっているようです」

「大事なこと?」

「ええそうです。伺ってみましょう」

「私も聞きたいわ」

 霊媒師が言うと、薔子さんもうなずいた。小橋さんが困ったように、ウィジャ・ボードにまた手を添えると、プランシェットが動き始めた。今までよりもスムーズに。

 ──M──U──R──D──E──R

 《MURDER》

「……殺された? 殺した?」

 僕とほとんど同時に、水木さんが繰り返した。

貴方あなたは、誰かに殺されたというのですか?」

 ──YES

「そんな…………」

「馬鹿馬鹿しい!」

 ばん! と大原さんがテーブルをたたいた。

「でも本当だったら、大変なことですよ、こりゃあエライことだ……」

 小橋さんがぼうぜんとした表情で言った。

「薔子さんのだんさんが、殺された……?」

「おい、少年。君まで何を言っているんだ?」

 僕が呟くと、櫻子さんがあきれ声をらした。櫻子さんはあくまでこの降霊会を信じていないらしい。でも僕は段々、これが噓には思えなくなっていた。

「けれど、千代田さんが亡くなったのは、事故、ですわよね?」

 かつぷくの良いご婦人が、おびえた声で薔子さんに問う。

「ええ……酔って階段から落ちたせいだと……仕事や、自分の時間を持ちたいときの為に、主人はマンションを一部屋借りていました。仕事をしながら、お酒を召し上がっていたのでしょう。メゾネットタイプで……その階段から落ちて、主人は亡くなりました」

 ──NO

 小橋さんは薔子夫人を見ていたらしい。なのにプランシェットが勝手に動いて、彼は「ひィッ」と悲鳴を上げた。

「なんですか!? これ! 勝手に! ひイイッ!! 外れない!」

「そんな……」

 薔子さんの言葉を否定するように、プランシェットは何度もNOという文字の上を行ったり来たりし始めた。自分の手にほんろうされる小橋さんは、今にも泣きそうな声をあげ、霊媒師に助けを求めたけれど、霊媒師も困ったように短く息を吐き、それを見つめるだけだった。

「霊が……明人さんが、本当に来ているのか……?」

 何度も、何度もNOと刻むプランシェットを前に、水木さんが呆然と呟く。

「くだらん!」

 大原さんの声だけが、サロンにむなしく響いた。櫻子さんはともかくとして、既にこのサロンで、霊の存在を否定するのは、もはや彼一人なんだろう。

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