第弐骨 頭《こうべ》⑦

    ■伍


 山路さんが勧めてくれた店は、そこそこどころか、かなり美味おいしかった。

 僕は生きた甘エビをそのまましように漬けた活刺身や、ホウ酸やミョウバンに漬けていない、新鮮とれたての甘い塩水ウニと、コリコリの活タコの沢山載った海鮮丼を、櫻子さんはお寿司を気ままに頼んだ。支払いをしようとすると、山路さんから貰うことになっているので……と断られてしまって恐縮した。それならもっと遠慮して食べるんだった。

「なんだか、結局骨探しとはいかなくなりましたね」

「そうだな」

「どうしましょうか、甘エビを買って帰りますか」

「興ががれたな。そうするしか無さそうだ」

 そんな訳で、遅い昼食の後はばあやさんの指令通りくにまれ酒造の側のお店で、まだ透明で生きた生の甘エビを発泡スチロール一杯に買った。これで三千円というのだから、格安にも程がある。

 我慢しきれずに宝石みたいにれいな一匹を取り出すと、ぴしっと尻尾しつぽで指をはじかれた。生きたまま殻をくのは少し残酷な気がしたし、何より殻がしっかりと身に張り付くように締まっていて、とても剝きにくかったけれど、透き通った身を口に放り込むと世界が変わるようだった。醬油なんか付けなくても、塩水だけで十分に美味しい。甘エビ特有のあの身の甘さは無いけれど、その分香りがとても良く、プリプリを通り越してブリブリとした確かな弾力がとても小気味良い。

 あんまり美味しくてそのまま数匹つまみ食いしていると、「もう食べているのか」と最初はあきれ声だった櫻子さんの分まで、結局二十匹以上剝くハメになってしまった。透明なエビは殻から本当に身ががれにくく、気をつけなければしっぽごと身が半分に千切れてしまうのだ。剝くのに失敗したエビは全て自分の口に放り込んだ。そうやって食後だって言うのに、更に甘エビをこれでもかと胃袋に詰め込んでしまったお陰で、満腹感と妙な疲労感にどっぷりとかりながら、僕はぐったりと流れる景色を見ていた。さっきの騒ぎが無ければ、幸福な満腹感だったろうに、残念ながら僕の心は苦い。

「それにしても櫻子さん、なんでこういう曲ばっかり聞くんですか?」

 眠りたくなったけど、眠れそうに無い。その要因の一つ、iPod を接続したカーステレオから、がんがんメタルが響いているのが耳障りで、僕は思わずそう問うてしまった。

「何故と言われても、ディアベル閣下の歌声に優る美声はないし、聖鬼Mk-IIを越えるバンドはこの世に存在しないからに決まってるじゃないか」

「はぁ……」

 お嬢様の定番といえば、クラシックじゃないのか? 櫻子さんの相変わらず理解しがたい感性にさじを投げ、僕はあきらめて車のシートを少し倒し気味にした。車は海岸線沿いの、情緒ある漁場町の古い街並みを走っている。そういえば確か映画のロケ地になっていたんだっけ……なんて考えながら、信号で停止した車内から、僕は何となしにすぐ横のバス停を見た。

「──あ」

「どうした?」

「ちょっと待ってください、そこの、屋根の上に!」

「なんだ?」

「見てください、あれ……」

 慌てて車を止めるようにお願いすると、櫻子さんは怪訝そうに近くのパーキングエリアに車を停車した。櫻子さんがのんびり後をついてくるのを確認しながら、僕はバス停に駆け寄る。

 冬場の寒さよけなのか、番屋を模したような木製の味のあるたたずまいのバス停の屋根に、何か白い毛玉の様な塊が載っていた。近づくと僕の想像は確信に変わった。それはやっぱり毛玉ではなく、何か小動物のがいのようだった。

「ほう!」

 櫻子さんはそれを見ると、フクロウみたいに一声上げて、僕にしゃがむように手で合図した。

「何ですか?」

「肩車だ」

「ええ~」

 櫻子さんはスタイルがいい分、けっしてせている感じじゃない。腰は細いし、おしりなんかもきゅっと締まってるみたいだけれど、身長も高いし、それに「私は骨密度が高い。非常に健康かつ頑強な骨をしている」なんて自慢(?)してる人だ。だから言っちゃ悪いけど重そうだ。

「早くしたまえ」

「仕方ないなぁ……」

 そんな僕の憂慮なんて何処どこ吹く風、櫻子さんはいらったように足を踏みならしている。いくら繊細にはほど遠い櫻子さん相手だからって、女の人に重いから嫌だなんてはっきり言えない僕は、しぶしぶといった調子で地面にひざをついた。

「じゃあ……どうぞ」

 にょっきりと、櫻子さんの長い足が、僕の首をまたぐ。

「よし、上げて良いぞ」

 櫻子さんはやっぱり重かった。良いぞ、と言われても、僕は全然良くない。とはいえ今更無理だとは言えないし、僕だって男だ。片手と片膝を地面について、ゆっくり腰を上げようとすると、櫻子さんがバランスを崩しそうになった。

「危ないじゃないか」

 頭上からぜんとした声が降ってくる。だからって、彼女のふとももつかんで支えるというのにも、ちょっと恥ずかしくてちゆうちよがある。でも今日ばかりは仕方がない。これは別に下心なんかじゃないんだと自分に言い聞かせ、僕は櫻子さんのひだりももを摑んだ。

「うぎぎぎぎ……」

 こんしんの力で立ち上がる。

「キミは非力だな」

「言わないでくださいよ……ッ」

 やっぱり櫻子さんは重い。首が折れるか肩がだつきゆうしそうだ。だけど櫻子さんの形良いお尻が僕の肩に乗っているかと思うと、それはそれでちょっと悪くないかもしれない。

「よし、下ろして良いぞ」

「取れましたか?」

「ああ、問題ない」

 こっちは色々問題があるんですが……と思いつつ、バス停の壁にしがみつくようにして櫻子さんを地面に下ろすと、本日二度目の腐敗臭が僕の鼻に飛び込んできた。

「……うっぷ」

「小型犬だな」

 車のボンネットの上に、白い毛玉を広げ、櫻子さんがフン、と満足げに鼻を鳴らす。

「やっぱり動物の死骸でしたか……」

 それはどうやらマルチーズの死骸のようだった。羊のように縮れた白い毛が、にじみ出した体液で粘ついている。完全に事切れている証拠に虫が付き、眼球は完全に光を失い、口から力なく変色した舌がはみ出ていた。小犬は今日の好天も相まってか、着々と腐敗が進んでいるようだ。鼻を刺すような強烈なひどい臭いがし始めていて、僕は危うく甘エビをリバースしてしまいそうになった。

「なんでこんな所に……?」

「下肢が片方無い」

「そうですね……ああ、首輪してますよ」

 首輪をしていて、いかにも飼い犬だったような、その小さな塊を見て僕がつぶやくのを尻目に、櫻子さんがかばんから大きな密封用の袋を取り出す。

「うむ。ぎりぎり入りそうだ」

「櫻子さん!?」

「なんだ? まさかまた私の物にしてはいけないと言うんじゃないだろうな!」

 いそいそと袋に小犬をしまい始めた櫻子さんにきようがくしながら、僕は思わずばん!とボンネットをたたいてしまった。

「当たり前です! 飼い主がいるなら、捜してるかもしれないじゃないですか!」

「知ったことか」

「見つけたのは僕ですよ」

「なんだと?」

「僕が見つけたからには、僕の自由にして良いはずです。じゃないとあのアザラシの骨だって、僕が持って帰ってしまいますからね!」

「…………」

 ぷいっと顔を背けた櫻子さんだったけど、僕が険しい表情で反論すると、大きなためいきを一つらし、袋に入れた小犬の死骸を僕に突き出した。

「まったく! 君というヤツは!」

 ぶつぶつ文句を言っている櫻子さんを無視して、僕は息を止めながら小犬の首に手を伸ばした。触りたくないけど仕方ない、慎重に首輪を外すと、裏側に『ナナ』と書かれた横に0164から始まる、じつけたのかすれた数字が並んでいる。旭川の市外局番は0166だ、そんなに遠くない増毛町なら、きっと市外局番も近い数字だろう。

「やっぱりだ。首輪の裏……これ、多分電話番号です」

「そうか、それは良かったな」

 興味なさそうに、櫻子さんがぶっきらぼうに言った。僕は苦笑しながら、書かれている番号にスマホをタッチすると、電話は無事つながった。

 ナナはやっぱり迷い犬だった。不満そうな櫻子さんをどうにかなだすかして、僕らは小犬の飼い主の家に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る