第弐骨 頭《こうべ》②

    ■弐


 北海道北西部、旭川から車で二時間程の位置にある、もい管内南部の増毛町。

 人口は五千人ほどで、漁業に加えて果物の産地としても有名な町だ。

 そのキャッチーな名前で時々話題になるけれど、町名の由来はアイヌ語で「カモメの多い所」という意味の「マシュキニ」、もしくは「マシュケ」らしい。昔は海がカモメでいっぱいになるぐらい、ニシンが沢山れたんだそうだ。今は増毛といえば、ニシンよりもエビという印象が強い。ボタンエビの漁獲量が日本一らしいし、ぷりっぷりの美味おいしい甘エビといえば、パッケージを見れば増毛産である事が多い。

 日本国民一人当たり、年間三kgのエビを食べるというけれど、多分僕はそれ以上食べている。子供味覚だと言われようと、僕の大好物はエビフライだし、うどんや蕎麦そばの上に大きなエビ天がのっていたりすると、それだけで機嫌が良くなる。

 まぁつまり何が言いたいかと言えば、エビが大好きな僕が「昼食は甘エビとウニのたっぷり載ったどんぶりを食べさせてやろう。だから、昼食まで一時間ほど私の手伝いをしたまえ」という、櫻子さんの申し出をうっかり快諾してしまったとしても、せん無きことじゃないだろうか?

「……今日は、納車祝いのドライブじゃなかったんですか」

「ドライブならしたじゃないか、二時間も」

「そうですけど……」

「新緑の道路、海、青い空……君は何が不満なんだ?」

 しよかん海水浴場の砂浜に立ち、ぜんとした表情の僕を見て、櫻子さんがけんしわを寄せた。

「で、僕らはここでいったい何をしているんですか?」

「骨拾いだ」

「…………」

「海は沢山の骨が流れ着くんだ。運が良ければ鯨の骨なんて物にもお目にかかれるぞ」

「鯨の骨……」

 そんな大きなものを拾ってどうするんだと思うと同時に、それにまだ肉がついていたりしたら……と僕は怯えを隠せなかった。

「そんな顔をするな。どうせまた、夕食を食べていくつもりなんだろう? 今の増毛は甘エビ漁の盛んな時季だ。ばあやから沢山買ってくるように指令が出ている。今夜はまだ生きて透明で新鮮な甘エビを、たらふく食べさせてもらえるだろうよ」

「……それは確かにちょっと魅力的ですけど」

「だったら大人しく手伝いたまえ」

 そんな事言われても、嫌なものは嫌です……と思いながらも、口に出せなかったのは『言ってもこの人には通じない』というあきらめと、『でもやっぱり美味しいエビは食べたい』という、複雑な思いが入り乱れていたからだ。でもどうしよう、そんな腐りかけた鯨を車に運ばされ、あまつさえ帰りの道中、一緒に車に乗らなければならないとしたら?

「ちなみに……鯨の骨ってどのくらいの確率で落ちている物なんですか?」

「確率は知らない。だが私もお目にかかったのは数回だよ、そうそうあるものじゃない」

「そうですか……」

 そりゃそうか。そんな大きな骨が砂浜に頻繁に落ちていたら、ちょっと怖いよな。ほっとした僕は、しばらく考えた末、結局大きなためいきと共にうなずいた。

「じゃあ、ほんと一時間だけですよ?」

 まぁいいさ、今日はこんなにも天気がいい。食事前に軽い運動に付き合うのもやぶさかではないさ。あとはどの骨も、完全に骨だけの状態になっていてくれたらいいと、願うばかりだ。そう諦めて僕はさつそうと砂浜を歩く櫻子さんの、引き締まったデニムのおしりを追いかけた。今日はスキニージーンズらしく、ぴっちりとしたふともものラインがはっきりして、よりいっそうその美脚が強調されている。

「海の匂いがしますね」

 気を取り直すように僕は深呼吸を一つした。釣り以外で海に来るなんて本当に久しぶりだ。胸いっぱいに潮風を吸い込むと、磯の香りに軽い空腹感を覚えた。

「海にいるから当たり前だ」

「それはそうですけど」

「海洋プランクトンの作り出す、ジメチルスルフィドの臭いだろう? 腐ったキャベツや人間の口臭と同じ臭いじゃないか」

「口臭……」

 まったくこの人と来たら、情緒のカケラも無い。

「でも、骨なんてそんなに落ちているものですかね?」

「骨はいたる所にある。みんな気がついていないだけだ」

「はぁ……」

 気がついていない、なんて言われても。実際にそんなそこかしこに骨なんて転がってたら、大変なことになると思うんだけど……。

「ほら、そこにも」

「え?」

 そう独りごちていた僕の足下を指さし、櫻子さんがにっと笑った。

「こ、これですか!?」

「ああ」

「…………」

 足下を見ると、確かに褐色になった所謂いわゆる『骨』という形の骨が、一本落ちていた。

「どうした?」

「いえ……本物ですよね」

「偽物の骨があるのか?」

 変な事を聞くな、と櫻子さんがげんそうな顔をして僕を見た。だけど僕の反応こそが、多分一般的なのではないかと思う。

 だって、他でも無く『骨』だ。『死』というものを濃厚に体現した、と嫌悪を覚える『ソレ』が、そんな無造作に落ちているなんて到底思えないじゃないか。

「ま、まさか、人間のじゃないですよね……?」

「これが人間?」

 おそるおそる僕が聞くと、櫻子さんが声を上げて大笑いした。

「そ、そんなに笑わなくたって……」

「まあ、ほ乳類という点では一緒だな」

「ほ乳類? じゃあ、イルカとか?」

「イルカか。イルカの骨なら私もうれしいが、大きさから見て、おそらくキツネのだいたいこつじゃないだろうかね」

「キツネの大腿骨?」

「そうだ、ココだな。ほ乳類の体では最も長い、頑丈な骨だ」

 そう言って櫻子さんは自分のふとももを上から下へで下ろして見せた。なまめかしい仕草だったけれど、それ以上に目の前の骨が下心を感じさせる前に僕を冷静に、もとい、アンニュイな気分にさせた。だって骨と聞くと真っ白なイメージがあるのに、それは肉こそついていなかったものの、黄ばんでいて、所々赤褐色のシミがあって、みるからに『生きていたキツネの骨』というのをほう彿ふつとさせる。

「うへえ……」

 一気に食欲が無くなりそうだ。生きているとあんなにキツネはふわふわで可愛いのに、一片の骨になると、なんでこんなにも生理的な嫌悪感を抱いてしまうんだろうと、複雑な気持ちになる。

「それで……持っていきますか?」

「いや、キツネはもうすでに数体家にあるから結構だよ」

 彼女がそう言ってくれたのでほっとしつつ、気が進まないまでも彼女が言うとおりに砂浜で骨拾いを手伝うことにした。正直あったとしても、見つけたくないけれど。

 素手ではなんとも嫌なので、櫻子さんからニトリル製のビニール手袋を貰う。合成ゴムなので天然のラテックスよりも伸びが悪いと聞いていたけれど、確かに普通のゴム手袋よりも指にみにくかった。それでもわきわきと指を動かしていると、すぐにぴったりとゴムが手を覆ってくれて、なんだか妙にほっとした。こんな薄いゴム一枚でも、あるのと無いのでは、安心感が湧くというか、抵抗感がずいぶんと和らぐから不思議なものだ。

 のっしのしと白い砂浜に足跡を残していく櫻子さんを追いかけながら、僕は砂の粒に目をこらした。気は進まないとはいえ、隠れた何かを捜すということ自体は、まるで宝探しをしているようで楽しいと思えなくもない──そんな風に自分を奮い立たせ(あるいはまんして)僕はつまさきで砂をかき分けるように歩いた。

 砂目は粗く、砂利混じりの硬い砂で、中にはこぶし大を超える石も転がっている。そのせいか、空は青いのに、この海を見た時の印象は灰色だ。歩いていると割れた貝やら、のうのようなれいな石、波で洗われて丸くなったガラス片なんかが、僕の爪先の下に次々顔をのぞかせる。海には釣り以外で来ることがないし、そう言えば海水浴にだって小学生以来だ。目的は骨とはいえ、こんな風に砂浜を探検するのが、段々本当に楽しくなってきた。もちろん宝石なんかが転がってる訳じゃないし、見つかるのは他愛ない物ばかりだろうけれど。

 よし、僕の今日の目標は、割れていない綺麗な貝殻を見つける事にしよう──なんて考えていた時、爪先に白い塊がぶつかった。拾いあげると、それは薄く、白く、ねじれていて、パッと見は魚や小動物の骨の様だった。なんていうか、骨盤とか、魚の頭とか、そんなイメージがある。

「これは? 骨の欠片かけらですか?」

 早速僕は、戦利品を櫻子さんに見せた。

「いいや、おそらく貝だな。ツブなどの大型の巻き貝の内部だろう」

「なんだ、残念」

 櫻子さんはゆっくりと首を振ったものの、その顔に微笑を浮かべていた。多分、結局僕が骨探しを楽しみ始めていることに気がついたんだ。僕は少し恥ずかしくて、貝のカケラをポイッと海に向かって投げた。きっと悔しくて、ねたような変な顔になってしまっているだろう。そんな僕の表情を見て、彼女は更ににっこりと笑った。

「少年。君は人間の身体にも貝があるのを知っているか?」

「貝、ですか?」

「貝殻骨と呼ばれる部分があるんだ。俗称だがね」

「貝殻骨?」

 いいえ、知りません──そう言って今度は僕が首を振ると、彼女は僕の肩をつかみ、上肢の根本、肩の辺りを撫でて「ここだ」と笑った。

「肩が?」

けんこうこつの俗称なんだ。平たく、前面がゆるくくぼんでいて、二枚貝の貝殻のような曲面なのでそう呼ばれている」

 足下に落ちている、割れた平貝を拾いあげ、櫻子さんは僕のてのひらに載せる。

「へぇ……それは知りませんでした」

「だが、今日私が欲しいのは貝では無くて、骨だ。人間の貝殻骨なら大歓迎だがね」

 人差し指を立てて、横に軽く振って『NO』のジェスチャーをしてみせてから、櫻子さんは僕に背を向けてまた骨探しを始めた。ご冗談を、櫻子さん。人間の肩胛骨なんて、僕は絶対に拾いたくないですよ……。

 貝殻探しをしようなんて、雑念を抱いていたのがバレていたんだろうか? 僕は更にムッとして、平貝を海に投げた。さっきよりも遠くに投げたつもりだったのに、空気抵抗のせいか、或いは力が入りすぎた為か、貝はさっきよりも近い所に落ちた。なんだか貝にまで馬鹿にされている気分だ。

 そんな櫻子さんからの骨講座を受けてしまった為に、なんだか貝殻すら薄気味悪くて拾えなくなった僕は、早くも今日の個人的な目標をあきらめて、仕方なく彼女の指令に専念することにした。いいんだ、食べられない貝なんて大っきらいさ。

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