第弐骨 頭《こうべ》③

 それにしても、やっぱりそんな骨がホイホイと落ちているんだろうか? 海水浴シーズンなら、砂浜で焼き肉をするのが道民の定番なので、もしかしたらスペアリブや鶏の骨なんていうのが落ちているかもしれないけど。

 とはいえ今は他にやることは無い。僕は大人しくざっざと爪先や靴の裏で砂をかき分けながら歩いた。まだ夏は遠いと思ったので、今日はトップスにロンTを選んだことも、僕の不機嫌さに拍車をかけた。太陽が高くなるにつれ、陽射しがじわっと暑い。

 次第に額に浮かび始めた汗をぬぐっていると、不意に爪先に硬い物に触れる感触があった。

「……あ」

 のぞき込むと、砂に埋もれたソレは白くて、きやしやな感じで、直感的に石や貝殻ではないとわかった。

「あああ!」

 無意識に興奮した声がれた。慌ててしゃがみ込んで、手で砂をかき分ける。

「うわ……本当に見つかるものなんだ……」

 そうつぶやきながら、僕は更に砂を掘った。そこには小さな骨のような物が、原形をとどめるように塊になって砂に埋もれていたからだ。

「どうした?」

 僕に気がついた櫻子さんが、珍しく少し早足でこっちに歩いてきた。僕は可能な限り骨の位置を変えないように、慎重に、そっと砂を払っていった。

「これは素晴らしい。大収穫だ」

 やがて櫻子さんが僕の横に立って、しりがりの口笛を洩らす。

「これは?」

「ああ。そうだな、おそらくアザラシだろう。非常に状態がいい。君は強運の持ち主だな」

 興奮したような、本当に嬉しそうな声が返ってきて、僕は気分が良くなった。こんな風に櫻子さんに褒めてもらえる機会なんて、そう多くない。

 まるで考古学者にでもなったような気分で、僕は骨の周りの砂を更にどけていった。櫻子さんは組み立てる時の為にとデジカメを取り出し、骨の位置を写真に納めてから、密封式の袋をかばんから取り出し、油性マジックで小さな袋に『頭部』『胸部』等と書き入れて、部分ごとにしまっていった。

「これで全部でしょうか? ここら辺を掘ってみたら、他にも見つかりますかね」

「かもしれない」

 大体の骨は掘り起こせたらしい。一応かき分けた砂をもう一度探りながら言うと、そんな答えが返ってきたので、僕はまた新たに周辺の探索を始めた。案の定、またすぐに白くて、少し黄ばんだ塊が僕の手に触れる。

「これは、頭ですかね?」

 周りを掘り起こしたものの、今度はどうやらそれだけらしくて、妙に残念な気持ちで僕はその骨を拾いあげた。それは拳大で、歯列が並んでいて、どうやらあごの部分のように見える。櫻子さんに「アザラシのですか?」と言って見せると、彼女は返事をする代わりにまばたきを一つ僕に返して来た。

「櫻子さん?」

「…………君、それはどこで拾った?」

「え? ここですけど?」

 掘り起こしたアザラシのすぐ横を指さして、僕は首を傾げた。

「見せてみたまえ」

「何か珍しい生き物なんですか?」

「いや……そうでもない。ありふれた生き物の骨だ」

 なんだ。てっきり特別な骨を掘り出したのかと思ったのに。僕はなんだか落胆した。

「ふむ……」

 でも櫻子さんは、しげしげとその骨を見て、ふんふんとうなずいている。

「じゃ、いらない骨ですね」

「いや、非常にうれしい物だよ」

「あれ? 本当ですか?」

 櫻子さんがニコッと笑ったので、僕はほっとした。ありふれた生き物だって言うから、てっきり何個も持っていると思ったのに。けれど、彼女がその骨を比較するように、僕の顔の横にかかげて見せたので、急速に僕の胃のが冷えていった。

「な、なんですか……?」

「女か、子供か…」

「え!?」

 嫌な予感がした。

「ちょ、ちょっと待ってください! これ! いったいなんの骨なんですか!?」

「人だ」

「ひ……」

「人間のとうがいこつの一部だ。正確に言うなら上・下がつこつと右きようこつだな。よく見つけた」

「と、とうがい、こつ……って……」

 頭蓋骨片手に、櫻子さんが僕の頭をよしよしとでてくれた。でも、全く嬉しくない。っていうか、むしろそんな骨を触った手で、僕の頭に触れるのは止めて欲しい。

「だ、ダメですよ! 早く! 捨てて!」

「何をわめくことがある? ただの骨じゃないか。肉もれいに落ちている」

 ここで叫かない櫻子さんの方がおかしい──そうのどもとまででかかった言葉をなんとか飲み込んで、僕は逃げるように櫻子さんと人骨から距離を取った。おびえきっている僕を尻目に、結局櫻子さんは、砂の中からもうひと欠片かけら、頭蓋骨のいわゆるふたの部分、頭頂骨の一部を掘り出した。

「う、う、う、海で事故に遭った人とか、そういうものでしょうか」

「かもしれない。だが頭部を殴られた事による、のうしようの可能性もある」

「──え?」

 なんで? と、僕はまた絶句した。

 だって、櫻子さんの手の中にあるのは、頭蓋骨の一部、それも頭の蓋と下あごの辺りだけだ。そんなわずかな骨の欠片から、いくら櫻子さんだって死因を割り出せるとは思えない。

「何か堅い物で、したたかに頭を殴られたらしい」

 だけど、櫻子さんは妙に自信ありげに、そう断言した。

「こ……こんな、頭蓋骨の一部だけでわかるんですか?」

「こっちへ」

 直視する事もできずに、骨と彼女から顔を背けていると、櫻子さんが手招きした。近寄るのは嫌だけど、断ったところで彼女の方から近づいてくるだろう。それなら自分のリズムで行く方がいい。僕は渋々といった調子で櫻子さんに近づいた。櫻子さんは更に僕を自分の横まで来るように言うと、僕の顔の前にずい、と頭頂骨の一部を突き出した。

「うううっ!」

「見てみたまえ。ここに陥没箇所があるだろう?」

「陥没、ですか……そ、そうですね……」

 すぐに目を閉じてしまったので、本当は陥没を確認することなんて出来なかったけれど、僕はすぐにそう答えた。櫻子さんは、見ていないな? というように、フン、と不満げに鼻を鳴らしたけれど、幸いにしてそれ以上しつこく僕に見るようには言わなかった。

「で……その陥没が、なんなんですか?」

「陥没部分の周囲が膨隆しているのがわかるか?、これは、作用面が比較的狭い鈍体──たとえば棒などだな。そういった物で強く殴られた事により、打撲部位が陥没、その代償として周囲が膨隆したものだ。性別はおそらく女。アジア人だろう。年齢ははっきりしないが、歯の傷み具合からして、そう若くはなかったんじゃないかね」

「そんな事までわかるんですか?」

「わかるさ」

 驚く僕に、櫻子さんはしたり顔でにっこり笑った。

「こと、頭蓋骨というのはね、非常に雄弁な骨の一つなんだよ。まずは、頭頂骨だ。これは一般的に男性の方が後方の傾斜がきついと言われている。そして歯だな。このU字の歯列は黄色人種によく見られる特徴だ。白人はV字が多いんだよ。黄色人種は口蓋の深さも浅い。経済状況や生活習慣にもよるが、歯の状態というのは年齢を割り出す為の指針にもなる」

 そう言って櫻子さんは顎の骨をしげしげと眺めてから、やがて密封用のビニール袋を鞄から取り出した。

「えええ!? ちょ、ちょっと待ってください!」

「なんだ?」

「まさか、持って帰るつもりじゃないですよね!?」

「持って帰るに決まってるだろう? 人骨はそう滅多に拾えるものじゃないからな」

「当たり前です! 滅多にって……そもそも拾っちゃ駄目に決まってるじゃ無いですか! これはここに置いて、すぐに警察を呼びましょう」

「何故だ。落ちていたんだから、これは私の物だ!」

「私の物だって……何を馬鹿な事を言ってるんですか!」

 本当に、本当に、なんて人だ! さすがの僕も、声が険しくなってしまう。

「絶対にダメですよ! それは犯罪です!」

「いいじゃないか、黙っていればきっとバレやしない」

「そういう問題じゃないですよ! これはモラルの問題です! それに、ばあやさんや在原さんに迷惑でもかかったらどうするつもりなんですか!」

「…………」

 櫻子さんは生きている人間が好きじゃない。そんな彼女が心を許している僅かな人間は、おさなみで許嫁いいなずけの在原さんと、肉親同然のばあやさんだけだ(今はそこに、僕も数えられていればいいな、とこっそり思ってる)。

 だから、ばあやさんや在原さんの名前を出すのは、櫻子さんに何かを訴える時の最終手段だ。こういう言い方をするのは好きじゃないし、あまり乱用したくないけれど、でも今回ばかりはさすがにヤバい。

「撲殺って事は、犯罪の被害者の骨ですよ。家に持ち帰るのがどんな罪になるかは知りませんけど、櫻子さんだけの問題じゃなくなりますよ? いいんですか? それに、櫻子さんに何かあったら、二人がどんなに心を痛めるかわかってるんですか!?」

「…………」

 そう矢継ぎ早にまくし立てると、櫻子さんはねたように唇をとがらせ、おもちゃを奪われそうな子供みたいに、大事そうに頭蓋骨を胸に抱いた。

「そんな顔したってダメです」

「嫌だ、私はこれが欲しいんだ!」

「駄目だって言ってるでしょうが! 今すぐ地面に置かないと、ばあやさんに電話しちゃいますからね!」

「……君は本当に融通の利かない男だな」

「なんて言ったって聞きませんよ。その骨はここに置いて、通報しなきゃダメです」

「警察は面倒だから嫌いだ!」

「仕方ないでしょ、見つけちゃったんですから!」

 僕だって面倒事は大嫌いだ。だけど拾っちゃったんだから仕方ないじゃないか。櫻子さんはどうしても頭蓋骨を手放すのが嫌らしく、骨を抱いたまますっかりいじけて砂浜に座り込んだ。

「まったく、なんでいつもこうなるんだよ……」

 そんな彼女をしりに僕は警察に電話をかけながら、このスマホから110番するのは、いったい何回目だろうなって、そう思った。

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