第弐骨 頭《こうべ》④

    ■参


 警察は予想外にも僅か数分という早さで僕らの前に現れた。

 驚いている僕らに、『やまです』と名乗った巡査さんは、年齢は三十代のまだ若々しい青年で、まゆの濃い、所謂いわゆる『昔風のイケメン』だった。せいかんさを感じさせる日に焼けた肌と、人好きのするような笑顔をしている。

「死体を見つけたっていうのは、おたくさん達ですかね」

「えっと……はい」

 余計ややこしくなりそうなので、櫻子さんに黙ってるようにアイコンタクトしてから、僕は山路巡査の質問に応じた。

「死体って言うか、骨だけなんですが」

「骨?」

「ええ、多分頭蓋骨の一部じゃないかって」

「これなんですけど」と、僕はおそるおそる山路さんに頭蓋骨を差し出した。もちろん素手で触るのは嫌なので、ハンカチと手袋越しだ。それでも布とビニールをすり抜けて、毒のような、おんねんのような、得体の知れない『何か』が染みこんできそうな気がして恐ろしい。

「……これ、本当に人間のなんですかねえ?」

 山路巡査が、いぶかしげに眉をひそめた。早く受け取って欲しいのに、山路さんはすぐに手は出してくれなかった。僕は直視するのも嫌で、ほとんどエビぞりのような格好で顔を背け、とにかく彼が骨を受け取ってくれるのを待った。

「あの……そうらしいです」

「へえ? 犬とかアザラシとか、そんなんじゃないの?」

 確かにこれだけじゃ、人骨とはわかりにくいだろう。どう説明しようか一瞬僕がちゆうちよした隙に、櫻子さんが口を挟んできた。

あごの骨に歯がしっかり固定されているのは、ほ乳類の特徴だ。この丸みを帯びた形からして、鼻の尖った生き物の顎でないことは貴方あなたもわかるだろう。そして歯だ。例えばサルにしよう。サルと人間は歯の本数が同じだが、犬歯など、歯の種類が人のものとは違うんだ。そこから判断するに、これは人間のとうがいこつの一部ではないかと思う。そう最近の骨では無さそうだ──まだ説明が必要か?」

「……おたくさん、随分詳しいね」

 例の如く、人をいらたせる口調で櫻子さんが言ったので、途端に山路巡査の表情が険しくなる。

「君が無知なだけだ」

「櫻子さん!」

 このままではまずい。途端に悪くなった空気を払うために、僕は慌てて二人の間に入った。

「あの、櫻子さんは、大好きだった叔父おじさんが検死に携わっていた人で、そういうつながりから、人間とか、動物の骨にとても詳しいって言うか、それで、骨格標本を作るお仕事をしている人なんです」

「検死に?」

 露骨に「さん臭い」というようなまなしで僕らをにらんでいた山路さんが、更にけんしわを深めた。

「ええ。正確には、大学の法医学教室の先生らしいんですけど、警察の依頼で遺体の解剖をしていたそうです。今はもう、ご病気で引退されているんですが」

 言ってもいいかと、櫻子さんの表情をうかがったけれど、既に彼女は山路巡査への興味を失ったように、また見つけた頭蓋骨をいとおしげに眺めていたので、僕はおずおずと櫻子さんの叔父さんの名前を山路巡査に告げた。警察の人なら、もしかしたら名前ぐらいは聞いたことがあるんじゃないかと思ったからだ。

 すると、みるみるうちに山路巡査の表情が変わった。

「へぇ! 先生の!?」

「あ、やっぱりご存じなんですか?」

「ご存じって……そりゃあキミ、有名な先生でしたから!」

 どうやら、僕の想像以上に叔父さんの神通力は強力らしい。山路巡査は「そうですか、めいごさんがねえ。こりゃ驚いた」と、そうつぶやくように言ってから、改めて僕らに(というか、櫻子さんに)向かって頭を下げ直してくれた。僕としてはそんな事よりも早く、この頭蓋骨を受け取って欲しかった。

「そういう訳で、多分、櫻子さんがいうのに間違いはないと思うんですよ」

「はぁ……じゃあ、そうおつしやるなら、こちらで対処させていただきたいんですが、今はちょっとすぐ近くで別の事件が起きて、バタバタしていましてね」

「事件、ですか?」

 やっと受け取る気になってくれたらしい山路さんが、僕に手を伸ばしてきたので、やや乱暴なぐらいに急いで頭蓋骨を押しつけると、山路さんは頭蓋骨を受け取り損ねてしまった。

「ひぃッ」

 ほとんど同時に僕と山路さんは悲鳴を上げて、二人でお手玉のように頭蓋骨を空で転がす。二人ともキャッチしようと阿波踊りしたのも空しく、結局僕らは骨を砂の上に落としてしまった。ヤバい。こんな事をしたら、絶対にたたられる……。

「それで、事件とは?」

 そんな僕らのこつけいな姿すら興味無いように、櫻子さんが優しく頭蓋骨を拾い上げ、丁寧に砂を払い落としながら、山路さんに問うた。

「え、ええ、すぐ近くで、ホトケさんが見つかりましてね」

「すぐ近くって……海でですか?」

「そうですよ。ここから五kmも離れていない所で。水死体なんですけどね」

 お手玉騒ぎの冷や汗が乾く間もなく、そんな近くで……と、僕は背筋がぞっとした。下手をしたら、その死体を僕らが見つけていたかもしれない。

「だから、てっきり見つかったホトケさんに関係あるかと思って、飛んできたんですけどね。一晩やそこらじゃ、こんなにれいに骨にはなりませんよねえ」

 苦笑いを浮かべながら、山路さんは櫻子さんの腕の中の頭蓋骨に、もう手は伸ばさなかった。平静を装ってはいるものの、どうやら彼もこの骨に触るのが嫌らしい。

「それで、すぐここにいらしたんですね? 随分早いものだから、ちょっとびっくりしてたんですよ」

「ははは、じゃあ内緒にしておいたら、仕事熱心だと思われたんですね。言うんじゃ無かったかな」

 山路さんはさわやかに笑うと、やっぱり頭蓋骨はそのままに、一度パトカーに戻っていった。水死体とはどうやら別件らしいとはいえ、人骨が見つかったとあれば、さすがに無視するわけにもいかないんだろう。山路巡査はそのまま無線で同僚の人たちと連絡を取り、しばらくして現場検証が始まった。

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