第弐骨 頭《こうべ》⑤

 僕らは一度警察署で話を聞かれることになり、山路さんの車で署まで向かうことになった。パトカーに乗るのは人生これで三度目だけど(僕は勿論、何も悪いことをしていない)、妙に心拍数が上がるというか、緊張するというか、「ごめんなさい」の気持ちになるのは何でなんだろう? そんなこわった表情の僕をバックミラー越しに見て、山路さんがニヤッと笑った。

「サイレン、鳴らしますか?」

「いいですよ! だいたい緊急以外で鳴らしちゃ駄目なんじゃないですか?」

「無意味にサイレン鳴らしてスピード違反や信号無視をしない限り、危険予知予防行為って事になるから問題ないですよ」

 パトカーが近くにいるとわかることで、犯罪抑止効果もありますからと、山路さんは言った。とはいえ、今僕たちを乗せて緊急走行する必要はないんだろう。回転灯こそつけてはいたものの、山路さんは静かにパトカーを走らせ始めた。

 最初、山路さんは僕らに色々な質問をしてきた。世間話を装いつつも、一応僕らの素性を調べているんだろう。これも捜査協力と、素直に答える僕とは違い、櫻子さんは質問の大部分をスルーした。彼女は面倒くさくて仕方ないというオーラを全身から醸し出している。

 そんな何を言っても無愛想な櫻子さんとの会話の糸口が欲しかったのか、それとも実際に興味があったのか、少しの沈黙の後、唐突に「標本士、ねぇ……」と、山路さんが口を開いた。

「骨格標本って、あの、小学校とかにある、ぶら下がったガイコツとかですか?」

「……あれは本物の人骨じゃないだろう。だが、学校や博物館に寄贈をする事も少なくはないよ」

 櫻子さんが、フッと笑いをらした。けれど、骨の話題なら、櫻子さんはじようぜつになるのだ。ミラーに映る山路さんの口元が、したり顔のようにかすかにゆがんだ。どうやらこの山路巡査という人は、見かけによらず頭の切れる人らしい。

「ああ、そういえば、地元の資料館でキツネの骨格標本というのを見た事があります」

「大型の物は、骨に小さな穴を開けて組み立てなければならないので、時間がかかるし大変なので好かないが、なべで煮込めるぐらいの大きさの動物は、よく骨にして学校なんかに譲っているよ。大学などから、骨の取り出しを頼まれることもある」

「鍋に!?」

 山路さんが素っとんきような声を上げた。でもその気持ちはよくわかった。僕も鍋で煮込んで骨をとるという作業は、櫻子さんに会うまで知らなかった。

「肉が邪魔だろう? 鍋でよく煮れば、大きさにもよるが数日で綺麗に肉が落ちるんだ」

「へ……へぇ、てっきりそういうのは、薬品で溶かしたり、土に埋めて作るんだと思ってましたよ」

「土に埋めたり、にくを好む虫に食べさせるという方法もあるが、時間がかかる。それに……例えばカツオブシムシだが、彼らは筋肉は食べるがじんたいは食べないので、骨の繫がった標本を作ることが出来るが、だがそれでは骨の中の脂を抜くことは出来ない」

「脂を抜かないと、何か問題があるんですか?」

「一番は見た目が悪いことかな。やはり骨は真っ白な方が美しいだろう。それに脂が残っていると、有機物等の特有の匂いが出る」

 つまり、腐敗臭がするって事なんだろう。「へぇええ……」と、山路さんはさも感心したように言った。演技なのか、それとも本心なのかはわからないけれど、少なくとも櫻子さんは随分気を良くしたらしい。

「標本を作る上では入れ歯の洗浄液等、色々な薬品は使うが、通常は薬品で肉そのものを溶かすことはしないよ。それに土に埋めるのは、鍋で煮られない大物だけだ。骨になるまでに時間がかかりすぎるし、なにより骨がバラバラになると組み立てる時に困る。だから鍋に入る大きさならば、毛や皮をぎ適度に脂肪を落としてから、ブロックごとに分け、ガーゼ袋に入れて、欠片かけらをなくさないようにして煮るのが一番だよ」

「ブロックごとに分けて、ですか……」

 最初は勉強になるとでも言うように、熱心に耳を傾けていた山路さんも、そろそろ閉口して来たのがわかった。なのに興の乗った櫻子さんが、そのまま饒舌に話し続けたので、山路さんの表情もすっかり曇ってしまった。そりゃそうだ、死んでいるとはいえ、動物をバラバラにして袋に詰めて、鍋で煮るなんて話、普通の人には受け入れがたい。

 櫻子さんが生きている動物を殺したりしないとは知っているけれど、動物のがいを切り刻むという行為は、なんだか禁忌のように感じてしまう──もつとも、彼女に言わせれば、「料理と大差ない」んだろうけど。

「まあいい、とにかく例の骨は頼んだよ。おそらく撲殺体だ」

「撲殺と、あれだけでわかるんですか?」

 山路さんがまた驚いたような声を上げたので、櫻子さんは僕にしたのと同じ説明を彼にした。聞き終わると、山路さんはまた「へえええ」と言ってから、そして話題を変えるように窓の外を指さした。

「ああ、そこですよ。もう一つの現場は。心中遺体が上がったんです」

「心中?」

「ええ、男と女なんですけどね、きっちりお互いの片手を縛り合ってるんですよ」

 そう山路さんが言うと、突然櫻子さんが「車を止めたまえ」と言った。

「はい?」

 と、僕と山路さんの声が重なった。

「まだ遺体があるなら、見たい」

「さすがにそういう訳には……」

「邪魔はしない、見るだけだ」

 櫻子さんが子供のように、ロックされたドアをガタガタと揺すってアピールした。

「ダメですよ櫻子さん」

 慌てて僕が制すると、櫻子さんはぜんとした表情で僕をにらむ。

「こんな田舎ですし事件じゃあないですよ。もちろん調べはしますけどね、でも一目で心中とわかる遺体なんで、上の方もあんまり事件性は感じてないみたいで」

 ホトケさんはすぐに片付けたいんですけどね、でも鑑識が来るのも少し時間がかかるらしいですし……と山路さんが続けて言った。

「一目見て心中とわかったのは何故だ?」

「そりゃ、わかりますよ。だって男女がお互いの手をしっかり縛ってるんですからね」

「……成る程。だがそこに人間がいるかぎり、都会だろうと田舎だろうと、事件は起きるだろう? 何処どこであろうとそこに人が二人いれば殺人は犯せるんだ」

「そりゃそうですけど……」

「見るだけでいい。触りはしないし、邪魔はしない」

「はぁ……」

 山路さんは、まいったなぁ……とつぶやいて、心底困った顔をした。そりゃそうだ、幾らなんだって、この提案は常軌を逸している。それでも驚いたことに、櫻子さんの熱意に押されたのか、山路さんは結局車を止めてしまった。

「……じゃあ、一分だけですよ?」

 ためいきと共に彼が吐き出した言葉を聞いて、櫻子さんがぱぁッと笑うと、山路さんが満更でも無さそうな顔をした。櫻子さんの笑顔は、反則すぎるくらい本当に可愛いんだ。

「だ、大丈夫なんですか?」

「大丈夫では無いですが、まぁ……こっちの事件との関連性を、一応確認してもらうという事で……」

 その殺人的な可愛らしさにほだされて、とうとう山路さんはドアのロックを外してしまった。警察がこんなんでいいんだろうか? と僕は不安になったけれど、田舎だし、僕らが何か直接罪を犯したわけではなさそうなので、油断しているのかもしれない。

 僕はと言えば、心中遺体なんて絶対に見たくなかったけれど、櫻子さんを野放しにするのにも気が引けたので、仕方なく車を降りて櫻子さんを追った。現場にたどり着くと、苦虫をつぶしたような顔をした中年の警察官が、黄色いテープの外側に立って、僕らを睨んだ。

「どうかしたか?」

 中年警察官が、山路さんにいぶかしげに問うた。

「いや~、一応さ、関係あるかもしれないから、確認してもらおうと思って」

「もう一件の? だって骨だけなんだろ?」

「いや、だから一応って」

 そんな二人のやり取りを無視し、櫻子さんはテープの中に勝手に入っていった。

「あ、ちょっと、入っちゃだめだよ! 君たち!」

 仕方なく後を追いかけようとした僕を、慌てて中年警察官が制する。中年警察官に止められたお陰で、僕は遺体を直接見ないで済んだ。けれど、その場所でも既に異臭を放ち始めた二つの遺体を見下ろし、櫻子さんは死体を覆うブルーシートを剝がすなり、不謹慎にもしりがりの口笛を吹いた。

「状態はいいな。まだあまり膨らんでいない。長時間水にかったわけではなさそうだ」

「九条さん!」

「どうして連れてきたんだ!」と中年警察官に怒鳴られてしまった山路さんが、悲鳴のように櫻子さんを呼ぶと、例の如くゴム手袋をはめ、手首の所でパチンと鳴らした櫻子さんが、ねたように唇をとがらせた。

「触ったらダメですってば! もういいでしょう! 行きましょうよ、いくらなんでも非常識ですよ!」

 慌てて僕も険しい声を投げかけると、彼女は鼻の頭にしわを寄せ、不服をあらわにした。僕はといえば、腐った魚のような死臭に、こみ上げてくる胃液を飲み下すのに必死になってるっていうのに。

「まったく、頭の硬い男だな、君は」

「櫻子さんがちや苦茶過ぎるんですよ!」

 ブツブツ言いながら、それでもあきらめてくれたらしい櫻子さんが、強烈な死臭を連れて戻ってきた。ああほら、だから嫌なんだ。死臭は離れても体に残る。

 ほっとした表情で山路さんが中年警察官に頭を下げている──可哀想に、きっと後で叱られてしまうだろう。彼らを横目に、僕は櫻子さんに向き直った。まったく、ひどい臭いだ。

「まったくもう! お昼食べれなくなるじゃないですか!」

 慌てて僕はかばんから携帯用のスプレーボトルを取り出す。すっかり僕の必需品の消臭スプレーを、プシュプシュ何度も櫻子さんに振りまいたので、櫻子さんは顔をしかめた。でも嫌がられた所で僕にスプレーをやめる気は毛頭無い。こんなんじゃ気休め程度だとわかっていても、この後食事に行くことや、車という密閉された場所へ戻るという事を考えると、少しでも臭いを無くしておかなければ。

「さ、車に戻りましょう」

 彼女の全身にたっぷりスプレーをし、櫻子さんがくちゅん、と小さなくしゃみをしているのを見ながら僕がそう促すと、彼女はふと思い出したように足を止め、はなをすすりながら「ところで……」と声を上げた。

「一つだけ聞かせてくれないか?」

「はい?」

 中年警察官から、語尾の上がった思い切り不機嫌そうなあいづちが返ってきた。

「手の中は?」

「はぁ? 手の中?」

「あの遺体だ。何か握っているか? 海草とか、砂とか」

「なんも持ってませんが、何か?」

 なんも=何も、と、北海道弁特有のイントネーションで中年警察官が答えた。

「それは本当だな?」

「あんた、しつこいね」

 これ以上は、本当に山路さんに迷惑がかかってしまいそうなので、僕は櫻子さんの背中をポン、と軽くたたいた。

「櫻子さん、いい加減にして下さい」

「もういい、大体わかった」

「は?」

「じゃあ行こう、早く済ませて、昼食をりたいしな」

 自分で車を止めさせたにもかかわらず、櫻子さんはまたずんずんと先を歩いて、一人でパトカーに戻った。後ろを追いかける僕と山路さんは、目を白黒させてその後を追ったのだった。

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