第弐骨 頭《こうべ》⑨

    ■漆


 旭川までの帰り道は、なんだか奇妙なけんたいかんあふれていた。

「この鮭トバ、美味しいですね」

「うむ」

 空腹だった訳ではないけれど、なんとなく退屈しのぎのように、ナナちゃんの飼い主さんの家でもらった鮭トバをかじりながらのドライブだ。

「なーんか、すっかり予定外な一日ですね」

「そうだな」

「妙に疲れちゃいました」

 シートに寄りかかり、僕は伸びをした。砂浜の頭蓋骨と心中遺体、そして小犬──なんだかちや苦茶な一日になってしまったし、山路さんの事やナナちゃんの飼い主さんの事が、胸にチクリととげを刺しているけれど、それでも今日一日に対する後悔は、不思議と無い気がしてきた。

「無意味な一日になってしまった」

「そんな事言わないでくださいよ、アザラシの骨、見つけてあげたじゃないですか」

「……ああ、そういえばそれがあったんだな!」

 そこで櫻子さんは、海水浴場で僕が見つけたアザラシの骨の事を思い出して、にこっと花が咲くように笑った。ぴっかぴかの笑顔だ。

「また今度付き合いたまえ。次は森に行こう、君はどうやら骨に好かれているようだ」

「えええ!? そんな! 嫌ですよ!」

れいな状態の兎なんかが見つかるといいな。君もそろそろ骨の取り出し方や組み立て方を覚えた方がいい。君は手先が器用なようだし、きっと上達するよ」

「結構です」

「なに、遠慮するな」

「遠慮じゃなくて、本当に嫌なんですってば!」

「何故嫌なんだ!」

「何故って──ちょ! それよりちゃんと前見て運転してくださいよ! 櫻子さん!!」

 運転中だというのに、僕の方に余所よそ見していた櫻子さんに慌てつつ、僕は正面を指さしてそう叫んだ。

「とにかく、なんて言われようと本当に、本当に、絶対に次は付き合いませんからね!」

 骨に好かれているなんて、そんな恐ろしい事は嫌だ。僕は骨格標本になんて興味無い。森で動物のがい探しなんてまっぴら御免だ!

──でも、結局付き合わされることになるんだろうな。櫻子さんはいつだって自分だけのペースなんだから。


 それから数日後、心中遺体の見つかった場所から、数km離れた所に住む漁師の男性が、殺人の罪で起訴された。

 スピード逮捕だった。

 手を縛ったひもが、漁師さんの使う『もやい結び』だった事や、遺体に残ったはんあとが犯人の軽トラックの荷台の跡と一致した事、彼が殺した二人と金銭トラブルがあった事など、様々な証拠があっさりみつかったそうだ。

 そんな事件から半年経って、増毛でのすったもんだをすっかり忘れてしまっていた頃、櫻子さんのお屋敷に、僕らの応対をしてくれたおまわりさんから随分大きな荷物が届いた。箱の中に入っていたのが、なんとトドの骨一体分まるごとで更に驚いた。

 添えられた手紙には、こう書かれていた。


 半年前は本当にお世話になりました、山路です。

 ご報告が遅れて申し訳ありません。おそらく既にご承知の通り、心中の件は無事犯人逮捕となりました。捜査は至って順調に運びましたが、それはすべて九条さんのお陰と言っても過言ではないと、私は今でも感謝しています。

 話は変わりますが、お二人が見つけた頭蓋骨は、鑑定の結果江戸末期から明治頃の骨だとわかりました。

 九条さんのおつしやるとおり、おそらく女性で、頭部に外傷のこんせきがみられるという事ですが、事件だとしても残念ながら既に時効が成立してしまっているので、こちらの犯人逮捕は難しそうです。


 お礼と言ってはなんですが、知り合いに代々の鹿撃ちがおりまして、昔からトドを撃つ方もやっております(増毛町はトドの被害が大きいんです)。まだどうやら子供ので小さい物ですが、骨を一頭分丸々持っているという事なので、お送りしました。

 増毛は海産物が豊富で、果物の栽培も盛んです。美味しい酒蔵もあります。機会があったら、是非またいらしてください。

 そして何かの時には、どうぞお力添えをよろしくお願いします。


 本当にありがとうございました。

山路輝彦  


「……本当に変な男だ」

 添えられた手紙を見ながら、櫻子さんがフッと笑った。

「そうですか? いい人じゃないですか」

「まぁ……でも確かに甘エビは美味しかったな。いい町だ」

「そうですね」

 僕はなんだか無性にもう一度、山路さんに会いたくなった。もつとも、山路さんが会いたいと思ってるのは、櫻子さんの方だろうけれど。

「トドの骨って持ってるんですか?」

「いや、頼まれて数体の標本を作ったことがあるだけで、私自身はまだ持っていない」

「だったら、良かったですね」

「……そうだな」

 目を細め、白い骨の曲線をいとおしげに指ででながら、櫻子さんがうなずいた。

「また、夏になったらお礼に行きましょうよ」

「君も物好きだな」

 でも駄目と言わないところを見ると、櫻子さんも案外乗り気に違いない。

 結局山路巡査とはこの後すっかり仲良くなって、お陰で櫻子さんのお屋敷には、年に数回タコやら甘エビやら、サクランボといった増毛の美味しい名産品が届くようになり、櫻子さんが受け取れなくなった後は、かわりに僕の元に届けられるようになった。

 僕も毎年彼に会いに行っては、暑寒別の伏流水から作られる北海道最北の酒蔵の美酒を味わいながら、甘エビをつまみに櫻子さんの『武勇伝』に二人で花を咲かせるようになるのだけれど、それはもっと後、また別のお話だ。

 そういえば、ナナちゃんの飼い主さんにも、偶然あの後もう一度会った。

「これでもう、カラスなんかにゃさらえませんよ!」と言っておばさんが顔をほころばせた横には、ふわふわでもっこもこの、大きなサモエド犬がいた。名前は『ハチ』というそうだ(どうやらナナは、この一家では七匹目のペットだったらしい)。

「丁度ね、生まれた日が祖母ばあちゃんの命日と同じでねぇ。しかもね、片足にだけ薄く茶色が混じってるんですよ。だからねぇ、ナナの生まれ変わりみたいな気がしてね」

 にこにこ笑うおばさんの横で、大きな頭をごしごしと撫でてやると、ハチもにっこりと笑った。それは最高のスマイルで、僕も思わずにっこり笑った。

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