櫻子さんの足下には死体が埋まっている

太田紫織/角川文庫 キャラクター文芸

プロローグ

 僕は時間の死んだ街でうまれた。

 良くも悪くもマイペースで強情で、変化を嫌うこの街では、よどんだ時の流れすら平穏だとか、安寧と呼ばれる。変えられない、変われないのでは無く、そもそも変えたいと思わないのだ。まるでだいたいこつのようにきようじんなまでの真一文字さが、この街には絶えず横たわっていて、人々の心までせき止めている気がする。

 僕はこの街が好きだ。だけどこのへいそくかんと停滞した時間に、時々息が詰まりそうだった──『あの女性ひと』に会うまでは。

 街で最も古い神社と言われる、ながやま神社からだいどう寺、てんねい寺、みようぜん寺と、数百メートルに渡ってカエデやハルニレ、ヤチダモといった古木が立ち並ぶ通りを抜けて、所々に残存している、開拓時代からの古い建物を横目に僕は先を急いだ。

 古い通りを歩いていると、やがてこんもりとした緑が僕の目に入った。樹齢百五十年弱といわれるカエデの木だ。その横で同じぐらい長生きのハルニレと、春には見事な花を咲かせる桜の木が、風に揺れている。

 そういった巨木に包まれるようにして、やがて白いお屋敷が現れた。全体的な傷み具合から見て、ゆうに築百年以上は経っている、コロニアルスタイルを基調にした木造建築。白木の壁とコントラストを描く黒い枠組み、一目で手が込んでいるとわかる出窓が印象的だ。玄関を飾るのは、星七宝という円を重ねた和柄のステンドグラスで、おそらく建築当時は相当モダンだったんだろう。和と洋が混在した、情緒ある建物だ。年月と共にどこもかしこも傷んでいるのに、そのお屋敷には不思議な存在感がある。

 ともすれば庭の巨木達に飲み込まれてしまいそうになっているのに、まずその白さは誰しも目を引かれずにはいられない。このお屋敷の主人である、『誰かさん』と一緒だ。強烈な違和感と共に、そこには危うい美しさがある。

 つたの絡んだ緑のアーチを抜け、たんぽぽとはこべが隙間から顔を出す石畳を脇にそれて庭に向かう。外から見れば美しい庭は、手入れがあまり行き届いてはいないようで、中は雑然とした様相をしている。蜘蛛くもの巣や張り出した枝に引っかからないように庭を進むと、丁度生い茂った木々の隙間、緑の影が途切れた場所に、『彼女』が立っていた。真白いシャツが、木漏れ日を映してとてもまぶしい。

 彼女は僕に背を向けて、気がつかない様子で桜の古木の根元を見ていた。女の人にしては少し高めの身長や、本人も自慢のしっかりとした骨格も相まって、彼女はただ立っているだけでも人目を引くし、こういった後ろ姿だけでも絵になる。

「こんにちは」

 彼女が気がつくまで、しばらくその形の良いおしりを眺めていようかとも思ったけれど、僕はせっかちな人間なので、結局我慢できずに声をかけてしまった。

「やあ、来たのか。遅かったじゃないか」

 そう言って振り返り、彼女がにっこりと笑ったので、僕はやっぱり声をかけて良かったと思った。『太陽のような』とか『花が咲くような』と枕ことばにつく笑顔の意味を、僕は彼女の笑顔に教えてもらった。その笑顔はいつも、本当に太陽のように、花のように、ぱあっと輝くようにれいで、無邪気で可愛い。夏のしなんかよりももっと眩しく感じる。

 お嬢様なので僕に駆け寄るなんて事はしないけれど、彼女はその代わりにじれったそうにとんとん、と足を軽く踏みならした。まるでお菓子を待ちきれない子供のように。だから急ぎ足で駆け寄るのはいつも通り僕の方だ。

「お待たせしてしまってすいません」

「まぁいいさ。それより、少年に手伝って欲しいことがあるんだ」

「手伝って欲しいこと?」

「ああ、私の力では、少々難儀していてね」

 そう言って彼女があごを上げて、くいっと地面を指し示した。そこには真っ赤な液体の滴る大きなガーゼ袋が、何か大きな物を内包し、桜の木の根元に積み上げられている。

「これは……」

 踏み込むと同時に襲いかかってきた強烈な香りに、僕は顔を背けた。濃厚な血の臭い、死臭、つまり、タンパク質が腐敗する、この耐えがたいはずのおぞましい香りに、僕はいったいいつから慣れてしまったんだろう?

さくらさん、もしかしてまた──」

「素晴らしいだろう? さあ、手伝ってくれたまえ」

 僕が何かを言う前に、櫻子さんは僕に向かって両手を広げて、またにっこり笑った。相変わらず百点満点の笑顔だ。くやしいけれどその笑顔にほだされて、結局僕はまた、彼女の手を取った。

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