第壱骨 美しい人①
■壱
その日、僕は例の如くの『帰りに寄りたまえ』という、櫻子さんからの一方的、かつ有無も言わせぬ悪魔のようなメールを受け取り、放課後に彼女の住む古い洋館に立ち寄った。
メールを何度読み返そうと、書いてあるのはそれだけだ。
いつだってそれだけ。何で? とか、どうしたんですか? と返信した所で返事が戻ってきた
今日も今日とて、「せめて理由ぐらい書いてくださいよ」と陳情してはみたものの、相変わらずさらっと聞き流された。まぁ、これもいつもの事。
僕らの住む
三百六十度山に囲まれているせいか、旭川は地震が滅多に無い。お陰で美瑛軟石造りの重厚な建物や木造建築といった、開拓時代からの建物もまだ所々に残っている。けれどそれも、小樽のように華やかに街をもり立てたり、
この街には、いたる所に退廃や、停滞といった、鈍重な雰囲気が漂っている。それを打破しようと一生懸命な人達も少なくないし、様々な観光資源も見直されている。やっと市も重い腰を上げて、街中の再開発が進んでいるというのに、それでも一向にそういう空気が晴れないのは、根っこに太い旭川気質が、どーんと鎮座ましましているからだと僕は思う。旭川の人間は、生来変化と異端を嫌うのだ。
そんな旭川でも指折りの古さを誇る、ばぁやさん
だけど、その性格はかなり変わっている。まずもって、櫻子さんはあまり人間が好きじゃない。というか、原則的に人間というものを信用していない。そもそも興味自体そんなに無い。だから現代に必要不可欠なコミュニケーションツールである、『携帯電話』すら持ってない。
そんな彼女が大好きなのは、一に骨、二にも骨、三、四も骨で、五にも骨、だ。とにかく彼女は骨が好きだ。種類を問わず、ありとあらゆる生き物の『骨』に、恋焦がれ、
建築当時はとても立派であったろうお屋敷の周りに広がる、これまた大きな庭の土の下には、何体もの大型動物の死体が埋められているし、以前キッチンから何かの肉を煮込むいい匂いがしてくると思ったら、「なに、道路脇にタヌキの
もっと大きいものや腐敗の進んだものは、櫻子さんの為に庭の離れに設置したという、火力の強い業務用のガス台を使って煮ると言うから、もはやただの趣味という域を越えている。
彼女の手にかかると、どんな動物も丸裸にされて、白いカラカラの骨の塊になる。それを彼女は丁寧に、
そんな変わり者な彼女と僕が出会ったのは、とある事件がきっかけなんだけど、それはまた別のお話だ。とどのつまり、僕はそんな彼女に出会って以来、すっかり彼女の思うがままに振り回されているっていう、そういう事だ。
「それで? 今日はなんの用だったんですか?」
近所の子供達が『砂かけババア』と呼んで親しんでいる(
「喜べ、少年。君に贈り物をしようと思ってね」
そんなガイコツ椅子をゆうらりと揺らしながら、櫻子さんが微笑んだ。
「……また、どうせ何かの骨なんでしょう?」
「どうせ、という言い方はやめたまえ。ネットで売ればそれなりの値が付くんだ」
櫻子さんが、少し
「で、何の骨なんですか?」
「カレイだ」
「カレイ?」
僕は嫌な予感がして、顔を
「……それってもしかして、僕が先月釣ってきたヤツですか?」
「ははははは、勿論筋肉や卵巣は
嬉しそうに櫻子さんが、木製の枠に入れられた、真っ白な骨格標本を僕に差し出してくれた。丸々と太って、大きな卵を抱いた黒ガレイが、まさかの変身を遂げている。
魚は好きなのでよく食べるとはいえ、こんな風に綺麗に骨だけになった物を見せられると、まったく別の物のような特別な感じがするから不思議なもんだ。でも結局は骨だ。そりゃあご丁寧に『Pleuronectes obscurus』と、きちんとした学名まで印刷されたシールが貼ってあるし、立派な木枠のケースに納められた『これ』が、市場に出せばそれなりの額になるのは僕にもわかる。
「これは……すごいものを頂きまして……」
だけど、この骨格標本っていうのは、一部の人にしてみればどんなにか嬉しい贈り物であろうとも、興味の無い僕にとっては、全く扱いに困る代物に他ならない。いくら食用の魚とはいえ、こういう改まった形で出されてしまうと、大事にしなければ
「だけど……部屋に飾っておいたら、みんなびっくりしないかな? 僕には分不相応じゃありませんかね?」
「驚くものか。美しいではないか。魚の骨に分も何も無いだろう? それに君はわからないだろうが、魚の骨を取るのは、これでなかなか苦労する作業なんだぞ?」
そう言って、なんとか理由をつけて、受け取りを辞退しようとしている僕になんか、これっぽっちも気がつかない様子で、櫻子さんは魚の骨格標本を作るのが、どれだけ大変なのかという説明を始めた。他の動物は土に埋めたり、鍋で入れ歯の洗浄剤なんかと一緒に煮込んだりして作るらしいけれど、魚はどうやら違うらしい。
「お湯をかけて、丁寧に、
と、櫻子さんは顔を顰めて言った。そりゃ、想像するだけで肩がこりそうな
「どうだ? 非常に美しいだろう? 平べったくて
「うーん……」
「さあ喜びたまえ」と言わんばかりに、目をキラキラ輝かせながら櫻子さんが僕を見た。彼女の性格上、困ってもいないんだろうけれど、ごく一般的な高校生活を送っている一般人の僕に言わせると、彼女はどうにもコミュニケーション力が低いというか、他人が何を思うかという事に、少々疎いきらいがある。
「まぁ、確かに……綺麗なのかもしれません」
けれどなんにせよ、ここで彼女の機嫌を損ねるのは色々と面倒だし、本当に綺麗かどうかは別にして、一生懸命僕のために作ってくれたというその気持ちは、嬉しいと言えなくもない。それに平たくて滑稽な外見からは……という彼女の言葉も、全く理解できない訳じゃ無かった。
普段は気にしないで食べていたけれど、カレイはまるで葉っぱみたいで、葉脈のように
「う、嬉しいです。ありがとうございます。じゃあ、机の上に飾っておくことにします」
僕はすっかり様変わりしてしまった、かつての釣果にもう一度ご
「魚の骨なら、私はオコゼが好きだ。あれの骨はとても
安楽椅子に座り直しながら、満足そうに櫻子さんが笑って言った。
「オコゼ……は、北海道にはいないんじゃないかな?」
「そうなのか?」
「確か比較的暖かいところの魚だったと思いますけど」
少なくとも僕はまだ食卓の上でお目にかかったことがない。櫻子さんはちょっとしょんぼりしたように
「じゃあ……代わりに
「八角?」
「食べても美味しいですけど、骨が多いし、なんとなく変な形をしてませんか? 羽根みたいなのも付いてるし、面白いんじゃないかと思いますけど……」
櫻子さんが不思議そうな顔をしたので、僕はスマホで画像を検索して、八角の写真を彼女に見せてあげた。初めは
「これは、なんと奇っ怪な!」
顔の尖った部分をピンチアウトさせてしげしげと眺めながら、櫻子さんが笑っている。僕はほっとしながら、いつの間にか用意されていた紅茶に手を伸ばした。
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