第壱骨 美しい人①

    ■壱


 その日、僕は例の如くの『帰りに寄りたまえ』という、櫻子さんからの一方的、かつ有無も言わせぬ悪魔のようなメールを受け取り、放課後に彼女の住む古い洋館に立ち寄った。

 メールを何度読み返そうと、書いてあるのはそれだけだ。

 いつだってそれだけ。何で? とか、どうしたんですか? と返信した所で返事が戻ってきたためしはないし、直接電話しようものなら『私は忙しいんだ!』と怒られるのがオチだ。だからこのメールが届いた以上、僕は速やかに彼女の元にせ参じなければならない。もちろん断ろうと思えば断ることぐらい出来るんだけど、でも後の事を考えると怖いので、従っておく方が吉なのである。

 今日も今日とて、「せめて理由ぐらい書いてくださいよ」と陳情してはみたものの、相変わらずさらっと聞き流された。まぁ、これもいつもの事。所謂いわゆる『ここまでがテンプレです』ってヤツだ。本当のことを言えば、僕はもう、彼女の我がままに振り回される事をあきらめとともに受け入れつつある。

 僕らの住むあさひかわは、北日本でもせんだい市に次ぐ三番目の人口の中核市で、戦前は軍都として発展した大きな街だ。話題のあさひやま動物園のお陰で、観光客数は全道二位。だけどふたを開けてみれば、旭川は単なる通り道にすぎない。動物園はお客を集めても、実際に宿泊するのはさつぽろたるえいばかりで、言ってみれば魅力に欠けた街なのだ。

 三百六十度山に囲まれているせいか、旭川は地震が滅多に無い。お陰で美瑛軟石造りの重厚な建物や木造建築といった、開拓時代からの建物もまだ所々に残っている。けれどそれも、小樽のように華やかに街をもり立てたり、はこだてのように唯美にかされたりもしていない。ただそこにもてあまされるように存在し、壊れたら、新しいものに建替えられるだけだ。

 この街には、いたる所に退廃や、停滞といった、鈍重な雰囲気が漂っている。それを打破しようと一生懸命な人達も少なくないし、様々な観光資源も見直されている。やっと市も重い腰を上げて、街中の再開発が進んでいるというのに、それでも一向にそういう空気が晴れないのは、根っこに太い旭川気質が、どーんと鎮座ましましているからだと僕は思う。旭川の人間は、生来変化と異端を嫌うのだ。

 そんな旭川でも指折りの古さを誇る、ばぁやさんいわく『寒くなりますと、すきま風がしんどくてねぇ』……な洋風のお屋敷に、ばぁやさんと二人きりで暮らすじよう櫻子さんは、所謂『お嬢様』だ。年の頃は多分二十代半ばから後半、いつも男物の白いワイシャツにジーンズという、ざっかけないというか、お洒落しやれとは言い難い服装に身を包んでいるものの、目力のある美人だし、すらっと背も高く、スタイルもいい。身長でいえば僕の方が高いのに、恐ろしいことに腰の位置は僕とそんなに変わらない。肩まで伸ばされた髪は、染めていないので真っ黒だけど、緩く波打っている。櫻子さんの事なので、パーマをかけてる訳じゃなく、多分生まれつきの癖っ毛なんだろう。特に何かしてるわけじゃなくても、そのままで十分に見栄えがする……櫻子さんとはそういう人だ。

 だけど、その性格はかなり変わっている。まずもって、櫻子さんはあまり人間が好きじゃない。というか、原則的に人間というものを信用していない。そもそも興味自体そんなに無い。だから現代に必要不可欠なコミュニケーションツールである、『携帯電話』すら持ってない。

 そんな彼女が大好きなのは、一に骨、二にも骨、三、四も骨で、五にも骨、だ。とにかく彼女は骨が好きだ。種類を問わず、ありとあらゆる生き物の『骨』に、恋焦がれ、たんできしている。

 叔父おじさんが大学の法医学教室でメスを、もといきようべんを振るっていたりしたツテなんかもあり、色々なところから様々な動物のがいが持ち込まれる櫻子さんは、手ずから骨格標本を作っては、しかるべき所に寄贈したり、自分のコレクションに加えたり、インターネットで販売したりしている。

 建築当時はとても立派であったろうお屋敷の周りに広がる、これまた大きな庭の土の下には、何体もの大型動物の死体が埋められているし、以前キッチンから何かの肉を煮込むいい匂いがしてくると思ったら、「なに、道路脇にタヌキのれき死体を見つけてね、今骨をとっているんだ」と、ぐらぐら煮込まれている大型のずんどうなべまでうれしそうに案内された事がある。普通に煮ると臭いがひどいとばあやさんがいやがるけれど、少しおしようなんかを入れてやると、随分臭いも紛れるんだそうだ。

 もっと大きいものや腐敗の進んだものは、櫻子さんの為に庭の離れに設置したという、火力の強い業務用のガス台を使って煮ると言うから、もはやただの趣味という域を越えている。

 彼女の手にかかると、どんな動物も丸裸にされて、白いカラカラの骨の塊になる。それを彼女は丁寧に、ひと欠片かけらも残さずに集めては、樹脂や接着剤などで組み立てて、れいにガラスケースに収めるのだ。生きて動く物よりも、彼女はそういったガラスの中に閉じこめられた、物言わぬ白い者達を心の底から愛している。

 そんな変わり者な彼女と僕が出会ったのは、とある事件がきっかけなんだけど、それはまた別のお話だ。とどのつまり、僕はそんな彼女に出会って以来、すっかり彼女の思うがままに振り回されているっていう、そういう事だ。

「それで? 今日はなんの用だったんですか?」

 近所の子供達が『砂かけババア』と呼んで親しんでいる(おびえている?)しわしわのばあやさんに玄関で迎えられた後、いつものようにリビングに通された僕は、旭川の家具デザイナーが作ったという(旭川は家具の街としても有名なのだ)、奇抜な形の安楽椅子に座り、悠然とひざを組む櫻子さんにそう問うた。近代的なデザインの椅子は、何もかもに歴史を感じるようなこの古い洋館では、いささか異質な感じがするけれど、僕にはこの椅子をどうして櫻子さんが気に入っているのかわかる気がする。最低限の流線的な骨組みで作られたそれは、どっしりとしたソファに比べ、まるで骨をき出しにしたような、そんな雰囲気を漂わせているのだ。なので僕は心の中でガイコツ椅子と呼んでいる。イントネーションは安楽椅子と同じだ。

「喜べ、少年。君に贈り物をしようと思ってね」

 そんなガイコツ椅子をゆうらりと揺らしながら、櫻子さんが微笑んだ。

「……また、どうせ何かの骨なんでしょう?」

「どうせ、という言い方はやめたまえ。ネットで売ればそれなりの値が付くんだ」

 櫻子さんが、少しねたように唇をとがらせた。そりゃ、骨を取るという作業が大変だっていう事は、もう嫌って程聞かされていますけどね。

「で、何の骨なんですか?」

「カレイだ」

「カレイ?」

 僕は嫌な予感がして、顔をしかめた。実は数週間前、祖父の付き合いで釣りに行き、予想以上の釣果についつい興奮して、思わず櫻子さんにまでおすそけしてしまったのだ。

「……それってもしかして、僕が先月釣ってきたヤツですか?」

「ははははは、勿論筋肉や卵巣は美味おいしく頂いたよ。これは心ばかりのお礼というヤツだ」

 嬉しそうに櫻子さんが、木製の枠に入れられた、真っ白な骨格標本を僕に差し出してくれた。丸々と太って、大きな卵を抱いた黒ガレイが、まさかの変身を遂げている。

 魚は好きなのでよく食べるとはいえ、こんな風に綺麗に骨だけになった物を見せられると、まったく別の物のような特別な感じがするから不思議なもんだ。でも結局は骨だ。そりゃあご丁寧に『Pleuronectes obscurus』と、きちんとした学名まで印刷されたシールが貼ってあるし、立派な木枠のケースに納められた『これ』が、市場に出せばそれなりの額になるのは僕にもわかる。

「これは……すごいものを頂きまして……」

 だけど、この骨格標本っていうのは、一部の人にしてみればどんなにか嬉しい贈り物であろうとも、興味の無い僕にとっては、全く扱いに困る代物に他ならない。いくら食用の魚とはいえ、こういう改まった形で出されてしまうと、大事にしなければたたられそうで怖いし、作ってくれた櫻子さんに対してもそれなりに罪悪感を抱いてしまう。だけど部屋に骨を飾るっていうのも、それはそれで悪趣味というか、死をもてあそんでいるような気がして抵抗があった。

「だけど……部屋に飾っておいたら、みんなびっくりしないかな? 僕には分不相応じゃありませんかね?」

「驚くものか。美しいではないか。魚の骨に分も何も無いだろう? それに君はわからないだろうが、魚の骨を取るのは、これでなかなか苦労する作業なんだぞ?」

 そう言って、なんとか理由をつけて、受け取りを辞退しようとしている僕になんか、これっぽっちも気がつかない様子で、櫻子さんは魚の骨格標本を作るのが、どれだけ大変なのかという説明を始めた。他の動物は土に埋めたり、鍋で入れ歯の洗浄剤なんかと一緒に煮込んだりして作るらしいけれど、魚はどうやら違うらしい。

「お湯をかけて、丁寧に、つまようはしで地道に身をこそげ落としていくんだ」

 と、櫻子さんは顔を顰めて言った。そりゃ、想像するだけで肩がこりそうなみつな作業だとは思うけど、僕はそんな事をしてくれなんて、一度だって頼んだことがない……っていうか、そんな事しないで普通に食べてくださいよ、櫻子さん。

「どうだ? 非常に美しいだろう? 平べったくてこつけいな外見からは、想像つかない繊細さだとは思わないかね?」

「うーん……」

「さあ喜びたまえ」と言わんばかりに、目をキラキラ輝かせながら櫻子さんが僕を見た。彼女の性格上、困ってもいないんだろうけれど、ごく一般的な高校生活を送っている一般人の僕に言わせると、彼女はどうにもコミュニケーション力が低いというか、他人が何を思うかという事に、少々疎いきらいがある。

「まぁ、確かに……綺麗なのかもしれません」

 けれどなんにせよ、ここで彼女の機嫌を損ねるのは色々と面倒だし、本当に綺麗かどうかは別にして、一生懸命僕のために作ってくれたというその気持ちは、嬉しいと言えなくもない。それに平たくて滑稽な外見からは……という彼女の言葉も、全く理解できない訳じゃ無かった。

 普段は気にしないで食べていたけれど、カレイはまるで葉っぱみたいで、葉脈のようにきやしやで細かい骨が張り巡らされていた。他にも何かに似ていると眺めているうちに、模様こそ無いけれどその細く尖った無数の骨がクジャクやなんかの羽根をほう彿ふつとさせる事に気がついた。繊細で美しいという表現に共感は出来なくても、時には美の一つとして数えられるであろう事は、骨に興味の無いこんな僕にもわかった。うん。だからやっぱりここは僕が『大人の対応』をするべきだろう。

「う、嬉しいです。ありがとうございます。じゃあ、机の上に飾っておくことにします」

 僕はすっかり様変わりしてしまった、かつての釣果にもう一度ごあいさつしてから、恭しい手つきでかばんにしまった。

「魚の骨なら、私はオコゼが好きだ。あれの骨はとてもあいきようのある顔をしているのでな。残念ながら私は組んだことが無いんだが」

 安楽椅子に座り直しながら、満足そうに櫻子さんが笑って言った。

「オコゼ……は、北海道にはいないんじゃないかな?」

「そうなのか?」

「確か比較的暖かいところの魚だったと思いますけど」

 少なくとも僕はまだ食卓の上でお目にかかったことがない。櫻子さんはちょっとしょんぼりしたようにうつむいたので、僕は少し考えた。

「じゃあ……代わりにハツカクなんてどうですか?」

「八角?」

「食べても美味しいですけど、骨が多いし、なんとなく変な形をしてませんか? 羽根みたいなのも付いてるし、面白いんじゃないかと思いますけど……」

 櫻子さんが不思議そうな顔をしたので、僕はスマホで画像を検索して、八角の写真を彼女に見せてあげた。初めはげんそうな顔でスマホをのぞき込んだ彼女だったけど、その表情が見る見るうちに明るくなる。

「これは、なんと奇っ怪な!」

 顔の尖った部分をピンチアウトさせてしげしげと眺めながら、櫻子さんが笑っている。僕はほっとしながら、いつの間にか用意されていた紅茶に手を伸ばした。

 

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