第参骨 薔薇の木の下⑪

    ■終


 数日後、大原氏送検のニュースが、北海道に激震を走らせた。

 ヨーク神父は、結局ビデオを警察に持ち込んだらしい。そして同時に彼はマスコミ各社にもそれを流した。大原氏が財力を駆使し、罪をうやむやに出来ないように、彼は先手を打ったんだろう。やがてそれは下世話な週刊誌だけではなく、道内経済誌まで持ちきりになるほどの、大事件へと発展して、経済界にもひどい打撃を与え、連鎖的に他にも逮捕者や倒産する会社を作った。水木さんが言っていたとおり、あのビデオには、公にしてはならない不正の証拠もたくさん収められていたらしい。亡くなった千代田さんは悪い人じゃ無かったそうだ。それでもやっぱり、世の中は必ずしも正しい事だけが、最善とは限らないんだろう──ヨーク神父の選択のように。

 大原氏は殺意を立証できないとして、殺人罪こそ免れたものの、救急車を呼ぶなどの処置を怠って逃げたとして、保護責任者遺棄致死の罪に問われ、職を退いた。ストイックなワンマンな経営者として、道北経済を担っていた大原氏は、そのまま坂を転がり落ちる勢いで、数十年にわたって築き上げてきた全てを失い、出頭の日の前日に、自宅の一室で自ら命を絶った。遺書にはただ、謝罪の言葉だけが書かれていたらしい。

 こうやって、ヨーク神父のふくしゆうは成し遂げられた。

 だけど、失われた物はあまりにも大きかった。

 水木さんも市議を辞め、小橋さんは劇団こそ解散しないまでも、事実上前に出ることはやめたらしく、次の舞台は別の演出家に名前が書き換えられていた。ニュースや日常で彼らの名前を耳にする度、僕の心に痛みが走った。いつもさつそうと自転車で飛び出していった、水木さんの選挙事務所の後には、今ではさんくさい健康食品店が店を構えている。

 連日訪れるマスコミに薔子さんは心労で身体を壊し、薔薇ばら園も閉園した。薔薇のソフトクリームも、結局僕の口には入らないまま、永遠に失われてしまった。やっぱり薔薇の下で語られた言葉は、秘密にしておかなければいけないんだろうか……。

 ヨーク神父はあれから日本を出て、海外での生活を始めたと聞いた。彼は司祭職をはくだつされ、カトリック教会から追放されたそうだ。彼の告発は、千代田さんの死を隠しておく事に耐えられないという、正義の心からだったのか、それとも薔子夫人の言うとおり、しつからの行動だったのかはわからない。

 どちらにせよ、多くの人を不幸にして、千代田明人氏の死の真相は白日のもとに晒された。自らまでをも犠牲にして、ヨーク神父は今何を思っているのだろう。

 唯一の救いは、お見舞いにいった薔子夫人が、思いの外元気そうだった事だろうか。病室に入ると、薔子さんは初めて会った時と同じ、あどけない笑顔で僕らを迎え入れてくれた。

「退院して落ち着いたら、色々始めようと思ってるのよ。まずは登山ね。前にね、明人さんが引退したら一緒に山登りをしようねって言ってくれていたの。彼、大学時代山岳部に入っていたんですって」

 そう頰を少し赤らめて笑う薔子さんは、やっぱりどこか子供のようで愛らしかった。

「よくたいせつざん連峰のあの美しい景色を、私に見せたいって言ってたわ。私はね、山登りなんて、大変そうだからいいって言ってたのだけれど……なんだか、その景色も彼が私にのこしてくれた大切なもののような気がしてね、行かなくちゃって思うのよ」

「いいですね。僕も祖父に付き合って時々山登りをしますけど、くろだけなら七合目までロープウェイとリフトで行けますし、装備さえしっかりしていれば初心者でも大丈夫ですよ」

「声をかけてくだされば、是非お供します」──そう僕が言って胸を張ってみせると、薔子さんはますますうれしそうに顔をほころばせた。

「本当に? 山ガールデビューするには、少しとうが立ってるけれど大丈夫かしら?」

「ご心配なく。今日日登山といえば、薔子夫人よりずっとオールドなガールで一杯ですよ」

 そう言って僕らが笑いあうと、まるで彼女の言葉を喜ぶように、ベッドの横に飾られた薔薇が揺れ、花弁がはらりと数枚落ちた。

 霊なんていないと、櫻子さんは笑うだろう。

 だけどその時、僕は薔子さんの横で微笑む明人氏の姿が、確かに一瞬だけ見えたような気がした。

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