第壱骨 美しい人⑥
「少年の母親が経営しているアパートの一室で、入居者の遺体を見つけた。事件性は不明だが、おそらく死後一日以内だ。面倒だから君の方で手配してくれ。住所は──」
ローテーブルの上に散乱した郵便物を、素早く横目で確認しながら、櫻子さんが
在原さんは櫻子さんの婚約者で、警察の公安に勤める青年だ。容姿端麗、頭脳
「連絡した。すぐに人が来るだろう」
そう言って僕にスマホを放ってよこすと、彼女は急にしゃがみ込んで、ローテーブルの上に散らかった郵便物や、中身の散乱した
「櫻子さん! 触っちゃ駄目ですよ!」
「何故だ?」
「事件の可能性があります」
慌てて制する僕を無視し、彼女は清美さんの鞄の中を確認した。
「事件だと? ドアにチェーンがかかっていたじゃないか」
「そうですけど……」
癖なのか間隔と向きをご丁寧にも揃えて、櫻子さんが鞄の中身を全てテーブルに出して並べていく。携帯電話、キーホルダーのついた
「ふむ」
鞄の中には、どうやらお財布が残っていたらしい。彼女は無造作に開けて、その中にお金が入っていることを確認し、また閉めて、列に加えた。
「……泥棒では、無いんですかね」
「そうだな。だが調べた所、どの部屋も窓は全てしっかり施錠されていたぞ」
カード類も揃っているようだし、少なくとも金銭が目的の事件じゃないのだと、僕はお腹の底が冷えるような、そんな悪寒を感じた。
「う……ぐぅ……ッ」
苦しんだ上に殺された彼女が、その瞬間いったいどんな目に遭っていたのか想像し、とうとう我慢できなくなって、僕はたまらず近くにひっくり返っていたゴミ箱の中に
櫻子さんは何も言わずに、僕の鞄の中から飲みかけのお茶を見つけ、差し出してくれた。受け取ってうがいをしてから二口ほどお茶を飲むと、
「いったい、誰がこんな事を……」
「誰が、とは?」
僕が
「……なんですか?」
「だから全ての部屋の窓が施錠されていたと、今私は言ったじゃないか。つまりここは密室だ」
「……え?」
どきん、と、痛いぐらい僕の心臓が鳴った。
「寝室も手洗い場も、リビングも全て窓に鍵がかかっているし、部屋のドアも中からしっかり閉じられていた。それでは君は、まさかこれが密室殺人だとでも言うのかね?」
「密室……?」
そうだ、ここは密室だったんだ。玄関には内側から鍵がかけられていたし、リビングの窓も同じだ。櫻子さんが全部というからには、多分他の部屋もそうだったんだろう。
「そんな……」
ミステリー小説のような状況に、僕が
「さすが、早いな」
「そりゃ、在原さん、公安の人なんでしょう? なろうと思って簡単になれるもんじゃないのでは?」
「
言いながら櫻子さんは立ち上がり、僕にハンカチを差し出してから玄関に向かう。気がつくと、僕は涙だけでは無く、情けないことに少し鼻水を垂らしていた。慌てて受け取って顔に押しつけると、甘い柔軟剤の香りの向こうに、櫻子さんのお屋敷の落ち着くような匂いがした。
「私達はもう行こう。警察の相手をするのは面倒で嫌いだ」
「そうですね……変に動いて在原さんに迷惑がかかってもいけませんし……」
櫻子さんが靴を履きながらそう言ったので、ハンカチのお陰で少しだけ気持ちが落ち着いた僕は、彼女の言うとおり急いで玄関に向かった。部屋を出る前、一度清美さんが倒れている寝室を振り返ったけれど、荒れたリビングと開いたままのドアが邪魔をして、その姿は見られなかった。何故だろう、その事に、なんだか僕はほっとした。
「ちょっと──」
母さんが声をかけてきたけれど、「あとは
「……どっちにしろ、そんな風に便利使いしちゃ駄目ですよ、婚約者だからって」
「婚約者ではない、ただの
「何を言ってるんですか。外事第三課って、国際テロリストと戦う課ですよ」
「詳しいじゃないか」
「この前 wiki で調べました」
「まぁ、あれの父親同様、やっている事は極左相手の赤狩りだよ」
そんな話をしながら、僕らは階段を下り、アパート前の通りに出た。清美さんの話題から少し離れることで、僕は今見た事を忘れようとしたけれど、やっぱり無理だった。深呼吸を一つすると、またぐっと涙がこみ上げてくる。
「それで……どこに行くんですか?」
「このままいたら、色々と質問されて面倒なことになるだろう?」
「そうですけど……じゃあ僕の家でお茶でも飲みますか?」
「いや、結構だ。……丁度いい、寒いからそこの喫茶店に入ろう」
そう言って彼女はアパートの前のカフェを指さした。成る程、そこなら現場の状況が
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