第参骨 薔薇の木の下⑥

「貴方は殺されたというのですね? それは──知り合いに、ですか?」

 震える声で、霊媒師が問うた。

 ──YES

「男の人ですか? 女の人ですか?」

 ──MAN

「貴方は、その方を今でも憎んでいますか?」

 ──YES

 文字を刻む速度が、少しずつ速くなる。やがてプランシェットはYES、YESという文字だけを示して、激しく動き始めた──何度も、何度も。

「や、や、やめてください! 腕が千切れてしまう!」

 暴れ始めた自分の手に怯えるように小橋さんが悲鳴を上げる。

ふくしゆうを考えているんですね」

 YES、YES、YES、YES──。

「呪い殺そうと、思っているんですか」

 YES、YES、YES、YES──。

「霊の憎悪が高まっています。これは危険だ」

 慌てたように霊媒師が小橋さんの腕を押さえた。けれどそれでもあらがうように、プランシェットは止まらずに、霊媒師の腕ごと二人を振り回した。

「こ、これで最後の質問にしましょう! このままでは、小橋さんや皆さんに危険が及ぶかも知れません!」

「早く! なんとかしてくださいいい!!」

 小橋さんが叫び声をあげ、霊媒師は深く頷いた。

「この中に、貴方を殺した人がいますか?」

 ──YES。

 せつ、プランシェットが止まった。唐突に──まるで、この事を告げたかったのだと言うように。

「…………え?」

 突然戻ってきた静寂の中で、僕らは誰も口を開けなかった。

「──なんてことだ」

 水木さんが低い声でうめいた。

「YES?……この中に、明人さんを殺した人がいると、そう言うの……?」

 薔子さんが呆然とつぶやくと、恰幅の良いご婦人が耐えきれなくなったように「ひいい!」と悲鳴を上げて立ち上がった。

「わ……私、帰らせていただくわ」

「待って! お逃げになるの!?」

「どういう意味!? まさか千代田さん、貴方あなたこんな事本気で信じているの? 気味が悪い!」

「でもこの中に犯人がいると!」

「私を疑うつもり!? やめてちようだい! 馬鹿らしい!」

 ガタガタと椅子を押しのけて、ご婦人がサロンから飛び出す。

「お待ちになって──あっ」

 止めようにも、薔子さんの細い体では、ご婦人の巨体を押しとどめることなんて出来なかった。阻もうとして、その細い身体をぼん!とはじき飛ばされ、薔子さんは床にひざをついた。

「大丈夫、彼女ではないでしょう。貴方のご主人は、男性に殺されたと言っています」

 それでも引き留めようとする薔子さんの肩を、霊媒師がやんわりと制する。

「じゃあ……男性……?」

「…………」

 また沈黙がサロンを支配した。驚きにわなわなと唇を震わせている薔子さん、ひどく疲れた顔で震えている小橋さん、真剣なまなしの水木さん、怒った表情の大原さん、そして相変わらず一人退屈そうな櫻子さんと怯えている僕──まさに六人六様といった調子で、僕らはお互いを見回していた。

 最初に動いたのは大原さんだった。

「──くだらない、私も帰るぞ」

「……大原さん、貴方は男性だわ」

「まさか、本当にこの中に犯人がいるだなんて事を、アンタは考えているのか?」

「……わかりません、わかりませんけれど……」

「いいや、わかる。こんなのは茶番だ」

 押し問答する薔子さんと大原さんの間を割るように、櫻子さんが鋭く言った。

「さァちゃん……でも……」

「霊的な力など噓っぱちだ」

「噓じゃ無いですよ! 私は確かに霊という存在に振り回されたんですよ! 貴方だって見てたはずだ! 霊媒師は手を離してた。私以外の見えない誰かが、確かにこのプランシェットを──」

 小橋さんが否定しようとすると、櫻子さんは「いいや、この世に霊的な力など存在しない」と即座に言いきった。

「お嬢さん、アンタ、なんの根拠があってそんな事を──」

 よっぽど霊的な話に傾倒しているのか、水木さんが怒りに顔をゆがめると、「根拠はある」と櫻子さんも顔をしかめる。

「まずは最初のトリックだ。座っている人間が立ち上がるには、重心を前に移動させなければならない。だから頭が動くのを邪魔されると、重心が変えられずに立てなくなるんだ。強い力は必要ない。本人が前に頭を動かそうとしなければ、それで十分だ。頭を横に動かしたり、一度後ろに下がれば薔子夫人も普通に立ち上がれた筈だよ」

「重心……?」

 言われて、僕は椅子から立ち上がろうとしてみた。当然のことながら、足に力が入る。つまり、重心は腰から足に移動している。同時に頭も動いていただろう。今度は頭が動かないように意識してみると、重心の移動どころか、どうやって立ち上がれば良いかという事すらわからなくなった。

「……本当だ、重心を前にしないと、立ち上がれないんだ……」

「手が勝手に動くのも、当たり前の反応だ。霊媒師はひじに手を添えていた。おそらく、肘に熱やぴりっとした刺激を感じたはずだ」

「そう言われてみれば……」

 薔子夫人が、はっとしてけんしわを寄せた。

「おそらく神経の末梢伝達を利用したんだろう。肘に電流を流すと、その刺激が伝わって、指が動くんだ。霊媒師はあの格好だ。ギャンブルやマジックで使う小型の発電装置なら、確かポシェット大だからね、簡単に仕込めるだろう」

「ギャンブルの発電装置ですって?」

「ああ、ギャンブルのイカサマで時々使われる物さ。テーブルとダイスの目に磁石を仕込む事で、ダイス目を操れるんだ。電流を流すと、磁石面が下に来る。安い酒場などで金をける時は気をつけた方が良いね。夏だというのに、あの分厚い黒手袋というのも不自然じゃないか。今回も手袋に細工して、発電機から引いた微弱の電流を流したんだろう。違うというなら、手袋を脱いでみて欲しいね」

「じゃあ、だったら……」

 薔子夫人が、あんしたように呟く。

「そうだ。これは霊の仕業などでは無いんだ。何一つ、不思議なことなど無い」

「でも、手が熱くなったのはどう説明するの!?」

「今は塗るカイロという便利な物があるのを、薔子さんはご存じないようだね。冬場、あの寒い家で標本を作る際、指の動きが鈍って困る時があってね、私も冬場は愛用している。唐辛子成分を使っているのでね、触れられた部分をめてみれば、おそらく少し辛い筈だ」

「…………」

「窓が割れたのだって、この薄暗い部屋の中だ。誰かが石か何かを投げて割ったとも十分に考えられる。あの時はみんな、一斉に大原氏に注目していた。誰かが何かやったとしても、気がつかなくて無理は無いだろう」

「霊は偽りを申しませんよ!」

 霊媒師がまた険しい声で言ったけれど、今度は僕らに虚しく響くだけだった。

「成る程。じゃあ、それでもいい、霊は偽らないそれでいいだろう──だが、『貴方あなた』は偽れるな?」

 霊媒師は何か言い返そうと櫻子さんをにらんだけれど、でも、結局何も言わなかった。酷くしらけた空気が流れ、「馬鹿ばかしい! 帰るぞ!」と大原さんが席を離れた。

「まだ話は終わっていません!」

 霊媒師が、大原さんの前に立ちはだかる。

「くだらん!」

 けれどそれをいつしゆうし、大原さんは部屋を出て行ってしまった。さすが一代で財を成し、成功している人だけのことがある。有無を言わせぬかんろくを前に、霊媒師は結局大原さんの背中を見送る事しかできなかった。

 やがて大原氏が姿を消すと、霊媒師は、そのままずるずると床に座り込んだ。

「……その通り、全くくだらない会だ」

 櫻子さんが呟いた。

「あんた──何も知らないで」

 水木さんが、櫻子さんを睨みながら言った。その表情に、確かな怒りが浮いている。

「知らない? 知っているとも。これが馬鹿げた話だと言うことぐらいね……そうだろう? マスカレイド神父?」

 櫻子さんが霊媒師に向かって、ニヤリと笑って言った。

「──神父?」

 僕と薔子さんが、同時に呟いた。

「どうして神のしもべである貴方が、こんな茶番マスカレイドを行うかはいささか疑問だがね。まぁ、かつて降霊術というのはもともと神父が行う物だったから、貴方が儀式を行うのはむしろ正しいのかも知れないな」

 何を言っているんだろうと目を白黒させる僕らをよそに、櫻子さんは人を怒らせるいつもの嫌な口調で言った。けれど突然おかしな事を言い出したと思うのに、何故か霊媒師は否定をしなかった。

「……なぜ私が神父だと?」

「首だ」

「首?」

「顔は焼けているのに、のどもとまで白い。そんなカラーの高い服装をするのは、神父か中高生だけだ──まぁ、貴方の動揺ぶりから察するに、間違いではないだろうね」

 霊媒師が、うつむいた。

「まさか本当に……全て噓だったんですの?」

 薔子さんが、怒りを含んだ声で言いながら椅子から立ち上がる。

「どうしてこんな事を!? 酷いわ!」

「貴方を傷つけたかった訳ではありません! ただ私達にはやらなければならないことがあったのです!」

「やらなければならないことですって!?」

「……詳しくは話せません。ですが、千代田さんにまつわることです」

「千代田──それは、主人に、という事ですの?」

 薔子さんの問いに、霊媒師……いや、神父が静かに息を吐いた。

「彼が亡くなったのは事故ではありません、本当に殺されたんです」

「何故断言できる?」

 鋭く櫻子さんが問うた。

「言えません」

「理解できない、話したまえ」

「これ以上千代田夫人を傷つけるわけにはいきません。それに、これ以上噓を口にするのも、私は嫌です」

「私をどう、傷つけるというのですか?」

「…………」

 薔子さんの質問に、神父は答えなかった。

「とにかく、千代田さんは殺されたんです。殺したのは他でもなく、あの大原会長なのです」

「その根拠は?」

「──見たからです」

「見た?」

「私は、千代田さんが彼に殺されるのを、この目で見たからです」

「……どういう事ですの?」

 薔子さんが身体をこわらせるように、自分の身体を抱きながら言った。ひゅううと、外からまた冷たい風が吹き込んで、僕は肌がざわりとあわつのを感じた。

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