先輩後輩ロマンシス その2
どうして、彼女は世界が修正されたにも関わらず記憶があるのか。
世界が元通りになるのには大まかに二つの方法がある。一つが干渉してきた存在を追い払うなり打ち倒すなりして根本から原因を断ち切ること。もう一つが、攫われた人なりを連れ戻すこと。
連れ戻したところで、再び攫われてしまう可能性が残ってしまうので、可能であれば前者を達成することが理想。
その二つのどちらかを達成すれば、大抵は辻褄があうように、世界は形を元に戻す。先ほど、無理矢理殺され、転生させられそうになっていた青年なんて、何も覚えていないのが、その最たる例。
原因にメスを入れれば、結果も変わる……のだけれど、例外はある。
菜沙は自称神……干渉者を追い返した。見た目上は倒すどころか殺しているのだけれど、ああいうのは常識に当てはめて考えるだけ無駄骨。
ともあれ、原因さえぶっ飛ばしてしまえば大抵の場合は、因果に則って世界は修正される。
ただし、唯一、修正されないことがある。それというのが、菜沙たちが干渉者なる不届き者を倒した……その事実に関連する内容。
要するに、結果という腫瘍に対して、メスを入れ原因を取り除いた。
このメスにあたる、菜沙たちには因果の赤ペンは入らない、ということ。
今回の一例で言うと、異世界転生させるという自称神が腫瘍にあたり、トラックに跳ねられた青年が患者。そして、そこに割って入り、自称神様を微塵切りにしたメスが菜沙及び組織。
そして、この少女は、空間に穴をぶち開けて、物々しい銃とチェーンソーを担いだ菜沙を目撃した。
菜沙に関する事実だけは修正されない。例に当てはめるならば、手術しているのを偶然見ていたと言うことになり、しっかりと、覚えているらしい。
「悪いようには、しないから」
「や、やっぱり私、何かされるんですねっ。見てはいけないモノを見てしまった、的なっ」
絶妙なテンションの高さは、動揺のせいなのか。どう対応すればいいのか分からない。
ただ、言っていることは正しい。何もしないのであれば、態々追いかけてない。
「記憶、消されちゃったりするんですか!? 映画みたいに……!!」
グッと距離を縮められて、思わず後ずさり。女の子の匂いがした。いや、菜沙も一応ベースの染色体はXYだけれど、比べものにならないほど、女子高生の匂いだった。誰に向けるわけでも無いが、心の中で弁明。視力のみならず鼻もきくから、つい、こう、意識してしまうだけなんだ、と。
彼女は怖がっているのか、興味があるのか。言っていることと、行動がちぐはぐ。数十秒前は震えていたのに、今は興味津々と言った様子で向けられる瞳。あまりにも真っ直ぐだったから、ふいと、顔ごと視線を逸らした。
「正解、なんだけど……」
その、と言い淀んでしまう。
菜沙の所属は履歴書に書けない。ネットサーフィンどころか、ネットの深海までダイブしても殆ど実態が掴めないステルス組織。創作における秘密結社なり特殊部隊なりよろしく、その存在は徹底して隠蔽されている。
秘密組織の例に漏れず、記憶を改竄する必要がある……のだが。
「SNSとかに上げたりしてない、よね?」
記憶を消すだけで済めば、万々歳。それだけでは事足りないことも、時代の流れによって出てきているのが現状。
「だ、多分大丈夫です。まだネットにも、誰にも見せてません」
「はぁー……よかった」
深く溜め息。一安心。
誰もが、世界中の情報を参照、発信が出来る今。秘密結社的企業としては、情報操作に苦慮している。そのせいなのか、情報統合操作部は、最も職員が多い部署……らしい。
「あ、これ、一応見せた方がいいですよね。はい、どぞ」
思わず、ぱちくり。瞬きをしてしまう。ポイントカードを差し出すくらいの気軽さで、渡される携帯端末。
「あ、うん、そうなんだけど嫌じゃ無いの? 女子高生とかって特にこういうの見られたくないんじゃ……いいえ、渡してくれるのはありがたいのはありがたいの。個人的な疑問というか……」
「結局、見せなきゃいけないんですよね? というか、先輩も女子高生じゃ……?」
「それは、そうなんだけど……せ、先輩?」
思わず言葉を返しそうになったけれど、頭を振る。まずは、目の前の端末に集中。
ひとまず、対象データを削除。それから、端末情報を、情報部へと連絡して、念のために何かのサービスに自動でアップロードなりされていないかはチェックして貰う。
「これで大丈夫」
「もしネットに載せてたりしたら、見た人全員、危ない、感じですか?」
恐る恐る、と言った様子。どこまで聞いていいものか、と気を遣ってくれるあたり、良い子なのだろう。家族や友人に見せていたらどうなるのか……という、至極当然の疑問。
「今、SNSに載せたりして拡散されたら、どこまで広がったかとか、誰が見たかなんて追いかけるのって、不可能とは言わないけど、気が遠くなるような膨大な作業になる。何十万、何百万人が見て、更に、自分の手元に保存とかされると……もう、追いつかなくって」
友人の一人や二人に見せたくらいならばどうとでもなるけれど、インターネットの海に放流して、手が着かなくなった場合は最悪のパターン。
それが避けられたようなので、まだまだセーフライン。胸をなで下ろす。
「一番、危ないのは、あなた……えっと」
「あっ、葛餅の代表で葛代。七草の芹で、葛代芹、です」
葛代芹、呼びやすくて、サッパリとして響き。出会ったばっかりだけれど、ぴったりだと感じた。たとえ、すぐに記憶を消すのだとしても。自分だけ名乗らないのも道理に背く。
「私は」
「鳥居菜沙先輩、ですよねっ」
「うぇっ……!?」
名乗りよりも前に呼ばれるなんて思っていなかったから、素っ頓狂で間抜けな声が口元からこぼれ、てん、てん、と情けない音を立ててアスファルトの上を跳ねる。
「先輩、有名人ですから。頭良くて運動も出来るけど、やたらと噂が飛び交ってる怖いツインテールの生徒が居るって」
「こ、こわい……」
成績も運動も、種も仕掛けもあるズルをしているのだから胸を張れたモノではない。怖いと言われるエピソードにも、多少、覚えがある。それから、髪型に言及されているとなると、少しだけ気になる。思い入れがあるから、今のところ、変えるつもりはないけれど。
「やっぱり、高二にもなってツインテールはおかしい、のかな……」
「んー、私は似合ってると思いますけどね? ホントに。もう、これ以上無いほど最高に。長すぎず、短すぎず。風にそよぐ丁度良いバランスが絶妙で、標本にして博物館に飾った方がいいくらいに」
目が怖かった。
「お、おぉ……」
ドストレートの剛速球での褒め言葉。コミュニケーションを取る相手が限られている菜沙は、上手くキャッチできずにボールを取りこぼす。
「それで、色んな人に見られると、どうなるんですか?」
固まっていたけれど、サラリ、戻されたレール。一応、菜沙の方が先輩らしいので、あまりみっともない所を見せたくはない。
「広がった情報は消しきれない。だったら、その情報を嘘にすればいい」
一応、落ち着きを取り戻し淡々と説明を重ねる。人払いが解けたのか時折、車が通るようになり始めた。今の菜沙たちを外から見られたところで、女子高生二人が道端で立ち話をしているようにしか見えない。
「嘘にするために、情報が作り物だという証明をその道のプロに人にして貰ったりするの。それから……」
「それから?」
この先は、あまり気分のいい話では無いのだけれど、真っ直ぐな視線を向ける葛代さんに負け、ゆっくりと吐き出した。
「情報を流した人を、普段からあることないことを言ってる、変わり者に仕立て上げる。それで、情報の信頼性を無くしてしまうっってこと」
「えっ?」
菜沙が居るのは、記憶を操作するような装置を作るような組織。他人の思考に手を加えて、方向性を狂わせるのなんてお手の物。
「普段から、宇宙人が攻めてくるとか、明日は隕石が降ってきて世界が終わる……って言いふらしているような人が流した情報なんて、殆どの人が信じないでしょ?」
「狼少年、にされるっていうことですか……?」
こくり、頷く。
同時、気まずい沈黙が横たわって、葛代さんが絶妙に微妙な表情を浮かべている。
一歩間違っていれば、人格を書き換えられて変人にされている所だったと知ったら、こんな顔にもなる。もし、立場が逆だったとしたら耐えられない。そんな理不尽があるか、と。
「だから、そんなことをせずに済んで、良かった。後味が悪いのよ、アレ」
そんな事はしたくない。気が進まなくとも、そうしなければいけないのであれば迷わず、手を汚す。とっくに、良心を握りしめるなんて贅沢は捨ててしまったから。
携帯端末と、一錠の薬を取り出して、説明を重ねる。
細かい原理は省略して、薬を内服してから、一見カメラのフラッシュにしか見えない特殊な光で網膜を刺激。すると、直近の記憶をあやふやになり、意識も曖昧。
副作用というものは一度や二度であれば、殆どない。ただし、少しの間はボーッと、寝起きのように意識がハッキリしないため、思考が正常に働くようになるまでは座って動かないでいるような環境が望ましい。
夢を見たことは覚えているけれど、内容は一切覚えていない。そんな状態を無理に作り出すと、説明を淡々と重ねていく。
「……あの、記憶って必ず、消さなきゃいけないんですか? 絶対、話さないって言っても」
手が止まった。これまで、何度も聞かれた質問。だから、同じ答えを返すだけ。
「知っていてもあなたのためにならない……それに、覚えている限り、話してしまう可能性はゼロじゃないでしょ」
わざとではなくたって。寝言であったとしても。可能性があるのだとしたら、それを摘まなければいけない。
車道を通る一台の自動車に巻き上げられた排気ガス混じりの空気が、二人分のスカートを揺らす。後輩を巻き込んでしまった罪悪感はあるけれど、それさえも、菜沙にとっては自分自身を動かすエンジンになる。
怒りも虚しさも苦しさも。全てを弾倉に込めて、力一杯引き絞れる。
「……わかりましたっ。そうだろうなぁ、ってダメ元で言ってみただけですから大丈夫です」
ゴムボールのように弾む言葉が、アスファルトを跳ねて、菜沙の胸元に収まった。
白い歯がチラリと覗く。怒りなんて欠片も滲ませずに笑っている。恨まれる、憎まれる、怖がられる、落ち込む……そういったものとは違った、想定外の反応。どうして、イヤがらないのだろう。こっちの事情に巻き込まれ、理不尽を押しつけられているというのに。
「……記憶を消す前に一個だけ、ワガママ聞いて貰ってもいいですか?」
「え、と……聞ける範囲なら、ね?」
自分を知ってくれている後輩となれば、いつもよりもずっと罪悪感の質量は増す。それでも、記憶をどうこうするのは初めてでは無い。
問答無用で消したことだって一度や二度じゃない。なのだけれど、葛代芹という掴み所のない少女のペースに乗せられてしまっていた菜沙。箸にも棒にもかからないような『聞ける範囲なら』なんて言葉が漏れた。
「よっし、それじゃ、着いてきてくださいっ」
「え、ちょ、ちょっ、と……!?」
手首を掴まれ、そのまま、手を引かれた。抵抗しようと思えば出来るのに、されるがまま。
腕を引っ張られて、体勢を崩して前のめり。
「あっ……触ると、分かるんですね」
「ま、まぁ、見た目を誤魔化してるだけだから」
自分で歩くという選択肢は、すぐに捨てる。このまま、手を引っ張られたままの方が、なんだか楽しそう。
どうせ、この後は報告だけ。数時間遅れたところで別にどうだっていい。戻ったところで、小言をぶつけられるのが分かりきっているから、楽しい方に流されたい、という気持ちがあるのは否定できないけれど……それだけではなくて。どこか、この子に惹かれている。かも。
「ちょっとだけ、お茶しましょうよ。なず先輩」
振り返って笑う葛代さん。誰にでもこうなのだろうか。人との距離を縮めるのが早い。
クラスの誰とも、未だに上澄みだけの薄い繋がりしかない自分とは正反対。
「なず先輩……」
手を引く力は、菜沙の振るう暴力(チカラ)よりも、ひどくか弱くて、頼りない。それでも、振りほどけなかった。名前を呼ばれたのは、いつぶりだろう。
「思い出せないな」
目の前で、柔らかな髪が揺れる。巻き上げられた、生温かな風が、彼女の髪を通り抜けて、鼻腔をくすぐって通り抜けていった。
歩きながら、流し目で振り返った葛代さん。
「今度は、覚えていてくださいね?」
掴めない彼女に、掴まれている。
心地よかった。しばらく、この表情を忘れられそうに無い。
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