先輩後輩ロマンシス その4
「うっ……!!」
図星。そのもの。だったようで、視線をぎこちなく菜沙から逸らした。
いたたまれない気持ちになる。
「もっと早めに気付いてあげればよかったんだけど……どんな秘密を教えてくれたって、特別扱いはできないから」
「申し訳なさそうにされると、余計につらい……!!」
ガクり。葛代さんが肩を落とす。溜め息を一つついて、ビスコッティをそのまま、ガリガリと勢いよく囓り……げほげほと噎せていた。慌てて、水出し珈琲を啜る。
「ゲホッ……ダメ元でしたから、いいんです」
「本当にいいの?」
「よくないって駄々をこねても、だめなんですよね?」
「そりゃ、まぁ……」
個人の秘密を知ったところで、菜沙がやることには変わりない。ただ、それだと葛代さんが秘密のバラし損になってしまう。
「切っ掛けが、アレだったとしても、なず先輩と話せたので十分ですから」
店の中に小さく流れているジャズミュージック。カラカラと葛代さんが、ストローで珈琲をかき回す音が合わさって、間延びして、漂う。
「どこかで、葛代さんと会ったことある……?」
喫茶店に入る前、手を引かれた時から感じた違和感。菜沙にとっては初対面でも、葛代さんにとってはそうではなさそうで。
「はい」
「うっ」
予想通り。今度は菜沙が、呻く番となった。覚えがない。
「一瞬でしたし、私にとっては印象的でも、なず先輩にとったら多分大したことないことでしたから……あの時は、本当にありがとうございました。カッコよかったですっ」
そこから、語られた内容は、言われてみればそんなことをしたような気がする……程度の、薄らとした記憶。
新年度が始まったばかりの頃、どの部活も部費に直結することもあり、部員勧誘に必死になっているシーズン。その時に、しつこい三年生に絡まれているところを、菜沙が通りがかって辞めさせたのだとか。
「先輩相手なのに、全然、引かないどころか、キッパリハッキリしてたから、凄いなぁーって……実際話してみたら、やっぱり素敵な人でしたし」
「先輩相手なのにっていうより、先輩相手だからというか……もっと言えば、高圧的だったから、かな」
嫌がっているのなんてだれがどう見ても分かるのに、年上だということを笠に着ていたのが多分気に食わなかったのだろう。高圧的な相手の方が、菜沙にとってはやりやすい。後輩だったり、真面目なアルバイトのように、下手に出られると途端に困る。どうすればいいのか分からなくなってしまうから。
「ほんとは、それだけじゃないんですけど」
小さな呟き。常であれば聞こえないほどのか細い声であっても、菜沙の聴覚は拾ってしまう。
聞き返そうかと思って、やめた。盗み聞きしたみたいで、後ろめたかったから。
「でもなず先輩のイメージがチグハグだったのが、ハッキリして、スッキリしてますよ」
「チグハグって……確かに、その通りだけど」
「先輩だろうが不良だろうが物怖じしない切れたナイフって聞いたと思ったら、コンビニのバイトにおどおどしてるところを見たって人も居ますし」
見られていたと思うと反応に困るが、そのどちらもが真実。物怖じしないのに関しては、文字通り怖くないから。いつも相手にしている理不尽な自称神様や、帰ることを拒否して反則能力を振り回してくる転生者とかに比べたら、月とすっぽん。可愛らしさすら感じる。
「なず先輩はアレですね。弱者の味方!! 的な?」
「的な? って言われても、ピンと来ないけど……」
弱者の味方。結果的にはそうなるのだろうか。ただ、ついつい動いてしまうことが多いだけで、自制が利いていないのが現実。それも、改造人間という反則をしているというズルをしているから、そんなにかっこいいモノでは無い。
「少なくとも助けられた私にとってはヒーローだったってことで、ここは一つ」
よく分からない位置に話は着地。同時、カランカラン、と年季の入ったベルが鳴る。一応、菜沙たち以外にも客は入るらしい、なんて失礼なことを考えてしまった。反省。
「……一つだけ、質問なんですけど」
葛代さんが、ストローをくるくると回す。折角、美味しい珈琲が水に溶けて薄くなってしまうのが、少しだけ気になった。
「全部忘れてしまうんですか……?」
「さっき説明したとおりだけど……消さないって言うのは出来ない」
処置をしたら、直近の記憶は不可逆的に塗りつぶされる。
「なず先輩の秘密を見ちゃったのは仕方ないから全部消えちゃってもいいんです。でも、なず先輩と会って、お茶したことは忘れたくないんです。折角、お礼も言えたのに」
忘れたくない、と言われて胸の片隅が暖かくなる。消さないであげたい。でも、都合良く記憶を指定して消すことなんて出来ない。
「一部の記憶だけは消さないなんて、器用なことはムリ……でも、捏造なら出来る」
「捏造?」
突然、日中過ごしていたのに記憶が数時間飛ぶ……なんて、普通に暮らしていれば早々は起きない。一体自分は何をしていたのだろう、と違和感を抱くだけなら兎も角、記憶の矛盾を追いかけ回されると後々面倒なことになりかねない。
「カメラで写真を撮るときのフラッシュを焚くと薬の作用と合わさって直近の記憶は消えて、少しの間意識が曖昧になるの。その間に色々と吹き込んで記憶を塗り替えて矛盾を抑える」
「都合の良い言葉を、穴埋めに使う?」
「そう。例えば、気分が悪くなったから、バイト先に寄って一休みをしていた、なんて風にね」
「なるほどなるほど……」
どこか、覇気の無い表情だった葛代さんに、にんまり、と陰の無い笑み。
「なず先輩が嫌じゃなかったら、ワガママついでにもう一個お願い聞いてくれませんか?」
乗りかかった船。離陸してしまった飛行機。高速に乗った自動車。さっさと処置をせずにここまで付き合い、自爆とは言え、葛代さんの秘密も知ってしまったから、無碍には出来ない。
そんな、建前や理由は幾つか転がっていた。なんだかんだ、葛代さんの秘密開示作戦は、菜沙にワガママの一つくらいなら聞いてあげたいと思わせるのに功を奏している。
なにより、後輩の願いを叶えてあげたい。いつの間にか、葛代さんは他人ではなくて、後輩という枠に居場所を作っていた。
「ピカッ、ってやった後にですね……こう吹き込んで欲しいんです」
これから記憶を消されるにも関わらず、まるで休日の予定を立てるかのように笑顔で、自分自身に吹き込むシチュエーションを次々と考えていく葛代さん。
「たまたま先輩と会って、私が勇気を出してあの時のお礼を言うために声を掛けるところがきっかけで、ですねっ」
出来るだけ嘘のないよう、矛盾のないように。そう繰り返しながら、カバーストーリーが作り上げられていく。
「……お茶をしているうちになず先輩は『ふんっ……おもしれー後輩』って私の事が気になって話が弾むんですよ」
「そんなこと言ってないけどなぁ……」
「いいんですよっ。大体の流れなんですから」
店主が、カウンターで客の相手をしているのが横目に見える。記憶処置は、どこにでも、誰でも持っているような携帯端末を使う。傍目には、記憶を消しているとは思えないだろう。
外野からは、菜沙が葛代さんの写真を一枚撮った風にしか見えないから、すぐにバレる心配もない。本当に写真も撮ってくれるので、咄嗟の言い訳としても使える。
写真の使い道は、記憶処置をした人間を把握するために使われるという一石二鳥の機能。処置される方としてはたまったものではないけれど。
「……と、こんな感じですね!!」
一通り、流れが出来上がったことに満足した様子。若干、私情は見え隠れしているものの、カバーストーリーとしては、悪くは無かった。一つ、頷いて、携帯端末を取り出す。
「わかった。それじゃ、やっちゃうから」
葛代さんが目を丸くして、割り込んできた。
「も、もうやっちゃうんですか? あと少しくらいお話ししてからでも……」
消されること自体は諦め半分で受け入れている様子だけれど、吹き込む内容が決まった途端に、心の準備もなしで処置されるのには流石に尻込みするらしい。
ただ、菜沙としては早く処置したい理由がある。
「時間が経つと記憶をあやふやにする範囲を広げるために処置する強さも上げないといけないの。私としても、万が一にでも悪影響を出す可能性は残したくない」
「そう、言われると、うぅ、仕方ないかぁ……よしっ、いただきますっ」
葛代さんは、テーブルの上に置かれた一錠の薬を、個包装から取り出して、勢いよく水で流し込む。菜沙もまた、もう少し後輩と一緒にお茶をしたかったけれど……時間がそれを許さない。
「なず先輩。その、事情が分かってないから、何を言えば良いのか分からないけど……先輩なら、きっと大丈夫ですっ」
ありふれた言葉。誰でも思いつくような応援。それでも、込められた気持ちが本物であるだけで、代えがたい宝石になる。
「……ありがと」
取り出した端末を向ける。液晶には、頬に二本指を立ててピースをしている、可愛らしく溌剌とした葛代さん。
「可愛く撮ってくださいね?」
「大丈夫……葛代さんは元々可愛いから」
パシャり。
場末の喫茶店の片隅に、瞬き以下の光が咲いた。
ピースをしていた手は、ゆっくりと下がっていき、目はとろん、と寝ぼけ眼に。これで、葛代さんは菜沙とのお茶会を含む直近の記憶を呆気なく失った。たった数十分会話しただけの繋がりなのに、胸には寂寥が滲む。頭を振るい、液晶に映る笑顔が語った話を、本人に伝えなくてはいけない。
物思いに浸るのは後回し。
「葛代さん、あなたは……」
朗々と、読み聞かせるように淡々と語っていく。小さく、何度も、こくりと相槌を打つ葛代さん。ぼんやりとしながら、きちんと聞いてくれているようで、ひとまずの安心。いつも通り、特に問題なさそう。
一通り、話し終わる。後、数分もすれば意識は戻る。挨拶くらい、きちんと意識が戻ってから……そう思ったけれど、上手く言えるか分からなかったから、鞄を持って立ち上がる。
「私は仕事があるから先に帰るね」
「はい……」
受け答えが出来るようになり始め。これなら、店主にも怪しまれることはないだろう。
そのまま、店を出ようとして、一歩踏み出そうとして……留まった。
一言だけ。
幾つも、後輩のワガママに付き合ったのだから、一つくらい自分だって好き勝手にして良いだろう、と。
「葛代さんさえ嫌じゃ無ければ、明日、学校で一緒にお昼、食べない?」
「はい……はいっ……!!」
まだ完全に目が覚めた訳ではないのに、言葉には『大丈夫』と言ってくれたのと同じ、本物が込められていた。
繰り返し、心を磨り減らしていくだけだった日常に、ほんの少しの彩り。
伝票を持って、歩いて行く。
少しは先輩らしいことが、出来た気がした。
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