先輩後輩ロマンシス その5
「申し開きは?」
「聞いてくれるんですか?」
「部下の声はきちんと聞くのが僕の信条だ」
「……聞き入れて、くれるんですか?」
「情状酌量の余地があれば、当然聞くさ。あれば、ね」
コンクリートのようなもので出来た無機質な四角の一室にて、菜沙は溜め息をつく。殆ど使っていない、菜沙の隊に割り当てられたブリーフィリングルーム。
帰投して早々に、報告という名の説教を食らって、うんざり。でも、目の前で小言を繰り出してくる男は怒られている菜沙よりずっと、疲れきった表情。それでも、様になるのだから美形というものはセコい。
この目の前で溜め息をダース単位で製造している美形が、上司であり、上官でもある……何かと因縁深い相手。
戸羽伊月司令は、菜沙と縁が深い男性。とは言え、間にあるのは運命の赤い糸なんてロマンチックなものではなくて、腐れ縁染みた灰色の紐。
「有能な問題児ほど、胃が痛むものはないな。処分をくだすのに、理由を求められるのだから」
「胃痛くらいなら、ここの医務室に行けばすぐに治せますよ。私、治療部によくお世話になってるんで、紹介しましょっか?」
「分かってて、言ってるだろう」
明るく色素の薄い髪を揺らしながら、菜沙よりもずっと重たい溜め息をつく戸羽司令。菜沙にとって、一番付き合いの長い男性。見た目は二十代半ば。疲れ切った表情と、くたびれたビジネススーツから着替えれば大学生でも通じるだろう。
実際のところは、三十を超えている。白馬にでも乗っていそうな甘めのマスク、モデルのようなルックスと穏やかな性格も、一級品。
なのだが、どうにも苦労性というか、面倒事が押し寄せてくる星の下に生まれているようで、いつも疲れ切った空気を醸し出している。秘密組織に労基法なんてものは存在しない。戸羽司令も元は最前線に居た改造人間。なので、『二十四時間働けますか? いやそれくらいは働けますよね? だって超人ですもの』と、過労死ラインを余裕で越えている仕事量をこなしている。改造手術を受けた結果待っているのが、エンドレス業務……身体が壊れないので本当に終わりが無いというのはなんとも世知辛い。
その業務の内、面倒ごとの何割かを生み出しているのが菜沙なので、多少は申し訳ないと思ったり、思わなかったり。
「それで、損耗はナシ、と」
「はい。基本装備一式は、工廠部に預けていますが、多少の修繕で問題なしとのことです」
「毎度毎度、あの、最低限の装備でよくやる……いや、そもそも普段から持ち歩く必要はないんだけどなアレ」
観測部隊は、菜沙一人、という訳ではなく、他にもそれなりの数が居る。まぁ、損耗もその分大きいのだけれど。
今、居るのは菜沙の所属組織『第肆額縁橋頭堡(プロセニアム・アーチ)』の第七支部。日本に複数ある支部の一つ、J7セクター。
俗称『額縁』或いは頭文字を取って『PAR』と呼ばれている
幾つかの表向きの会社や企業から出資を受けている、素人が考える陰謀論じみた妄想そのもの。世界征服だとか選民思想だとかは特にないそこそこ善良な秘密組織。但し、世界を裏で牛耳っているほど大所帯ではないし、フリーメイソンや300人委員会のような由緒正しさもない。
謂わば、秘密組織界のベンチャー企業みたいなもの。他の秘密組織が実在しているのかは知らない。興味もない。当然、秘匿度合いは尋常じゃ無い程に高い。
「あいつらとの戦闘は時間との勝負。体勢が整う前、早々に打倒するのがセオリーと指導されましたので」
「タイムアタックしろとは言った覚えはない」
J7セクタの観測部隊の司令官である戸羽伊月。その遍歴は観測部隊から実力で昇進した叩き上げ。工廠部、情報部他からも覚えが良い、エリート中のエリート。
過去は菜沙の上官……そして、バディとして、肩を並べた人物でもある。
正直なところ、実力があるのだから前線に出て、武器を握って欲しいという気持ちは今でも残っている。
だが、現場理解もしてくれて、他部署や上との折衝を一手に引き受けてくれている人間が、代えがたいことも身を以て知っている。秘密組織だからといって好きにやれるわけでは無く、色々と雁字搦めな部分は、大企業と変わりない。
なかなか、どうして、ままならないもので。
戸羽司令が二人か、三人に増えてくれたらいいのだけれど……残念ながら、正確に記憶といったパーソナルな側面まで再現できるほどの完全なクローン技術は未完成なのが現実。
「他部隊が準備してる間に終わらせた結果については文句も言えないのが、絶妙に腹立たしい。上みたいに結果を残せばそれでいい……とは、僕は言いたくないんだよ」
「今までのは文句じゃないんですか?」
「上官として、当たり前のことを言ってるだけで文句じゃ無いさ……本当に、文句というか、鳥居についての愚痴を聞かされたいのか?」
「いえ、あまり……」
ハイライトを失った瞳は、生気皆無。戸羽伊月が司令にのし上がってから、随分とやりやすくなったのは事実……それ即ち、好き勝手に動きやすくなったということ。
その後始末を行ってくれているのは、他でもない。戸羽伊月。
「お陰で、J7セクタは評価されているが『独断専行をさせるな』『その上で、今の結果を維持しろ』と無理難題を当たり前のように言ってくるんだよ。上は。優秀な現場に判断権を与えているのは僕で、それが間違っているとは思ってないさ。とはいえ、中々、理解はしてもらえないものでね……あぁ、それで、無茶な二つのオーダーをこなしたらどうなると思う……? そう、それだけの結果を出せる余裕があるのだから、他に人を回せ、と理不尽を言われるのが目に見えてるんだよ。無理を押し通して、指示をこなした結果が人員の引き抜きって、信じられるか? 何が腹立たしいかって、上が実情を知らない間抜けじゃなく、分かった上で、とぼけた顔をして言ってくるものだからタチが悪い」
聞きたくは無いと意思表示したつもりなのだけれど、ブツブツと呪詛を吐き始めた。相当、ストレスが溜まっているらしい。秘密組織に労働基準法はなく、治外法権故の無茶無理難題をふっかけられているのが常。ドのつくブラック加減。
「……長くなります?」
「いや、すまない。ともかく、無茶をするなとは言わない。ただ、いつも言っているが……」
「戦うことを日常にするな、ですよね」
「……わかっていればいい。今日は装備だけ取り替えたら、あとは帰るなり、好きにしてくれ」
「了解。戸羽さんもムリしてぶっ倒れないでくださいね」
元隊長を労りながら、窓一つ無い無機質な一室を出る。
J7セクタは地下に存在していて、シェルターのような頑丈な作りと、広さを兼ね備えている。都市部から少し離れた郊外に拓かれた街なので、地下鉄や地下街なんてものは全くないため、好き勝手し放題。
街の無人駐車・駐輪場だとか、寂れたビルのエレベーターから繋がっていたりする。勿論、普通の人は気付かないような偽装付き。
大抵は、人が寄りつかない場所から入る。人の多いところにも入り口自体は作られているが、気付かれたり、見られたりすると後が面倒。あくまで緊急の通路として確保されているだけ。人を避けながら来なければいけないため、J7セクタに来るのにはまぁまぁ時間が掛かる。
一応、菜沙の家から直通通路もある……が、外から見れば誰も帰ってきていないのに、家の電気が勝手に付いたと噂されても困るので普通に帰らなくてはいけない。
時間をかけてたどり着いたJ7セクタは、実用性一辺倒で面白みの欠片も無い地下施設。やたらと広い。
耐久性で塗り固められた、味気ない通路で制服を揺らす。捕まったことは無いけれど、刑務所にでもいるような息苦しさがある。窓も無ければ空も見えない閉塞感にカンヅメしている元隊長を思うと、頭が上がらない。
「さっさと補給して帰ろ」
通路を歩いて辿り着いた一つの区画。壁に大きく開けられた搬入口を潜り、広々とした空間に身体を放り込む。天井は高くゴテゴテしたクレーンが右へ左へ動き回り、奥行きは広くて歩いて移動なんて考えたくない。学校の体育館の三つや四つ、すっぽりと入るだろう。
入り口近くには一人の女性。ここの受付的なポジションの人。元は菜沙と同様の観測部隊だったらしいけれど、異動してここ……工廠部に来たのだとか。詳しくは知らないが戸羽司令と、知己の仲らしい。らしい、と言うのは又聞きだからで、直接聞くほど野次馬根性も育っていない。額縁に所属しているような人間なんて、誰もが事情を抱えているのだから。
「明華花さーん」
「おっ、来たわね。いつも通り、そこに置いてあるわよー」
「はぁーい」
間延びした声で受け答え。広々とした空間の奥には、沢山のコンテナ。それらが、大きなクレーンで、移動や、積み上げられたりして二十四時間三百六十五日止まることなく流動している。これだけ広いのに工廠部の一区画でしか無いのだから、この地下施設の広さには開いた口が塞がらない。
コンテナの中身は一国と戦争しても勝ててしまうような、技術の粋を凝らした最新の装備達が眠っている。
態々遠いJ7セクタまで来た目的というのが、ここ、工廠部で装備を入れ替える為。通信で済むような報告を面着で行っているのは、そのついで。
「相変わらず無茶するわねぇ……お姉さん、いつ、あなたが死んでしまうのか怖くてしょうが無いわぁ」
「今回も、死に損ないましたよ。それもこれも、工廠部の真面目な鉛玉達のお陰です」
空間全体は広いけれど、目的は入り口近く。空港の荷物受取場のようになっていて、欲しいものが流れてくるようになっている。
そこには、アタッシュケースのような黒い箱。それから、換えのスーツ。
「簡易装備一式は揃っているけど……本当に生命維持レベルの最低限でよくやるわねぇ。単体戦力トップの面目躍如って、とこかしらぁ」
「適性のお陰ですよ」
肩を竦めながら、ブラックボックスを受け取った。
偶々、目的と才能が合致して運が良かっただけ。近くの台に、ブラックボックスを載せて、生体認証をしてから装備を展開。これまで不備があったことは無いけれど、自分の命を預ける大事な装備。全部、自分自身で確認しないと不安になる。
「適正のお陰って言うけど、一人で……それもカスみたいな装備で挑むなんてゴメンだわぁ」
「カ、カス……」
額縁が相手にしているのは、自称神様をはじめとした干渉者連中に加え、干渉者に力を与えられた人間。どちらがどちらとも、常識外れのトンデモ能力を持っている事が大概。
干渉してくる異世界を発見し、それを観測する術を見つけた……が、トンデモ連中相手にどうしようもないので、他国に手を借りようとしたが無駄骨。鼻で笑われるか、数人を助けるのに対してコストが大きすぎる上に、メリットが見込めないと拒否。
やり合うにはただの人間には荷が重すぎる。通常の兵器では及ばないことなんて日常茶飯事。数を用意しても、まるでやられ役のように鎧袖一触に無双されてしまい……組織の立ち上げ当初は、毎回毎回、大敗、壊滅が常だったらしい。
対抗していく過程で、装備の質は加速度的に上がり続けた。
通常の軍や、警察機関のような……対人間を想定した既存の設計思想から外れた装備達。量産性やコストを度外視したモノが大半を占める。
今日、干渉者を蜂の巣にした短機関散弾銃とかもその一つ。通称『ミンチメーカー』と呼ばれている。
連射できる上、弾頭も特別仕様で貫通力も備えている。更には、片手で取り回しが出来る携帯性。なのだが、見た目よりもずっと重く、どんなマッチョでも、一秒引き金を引いただけで、腕どころか肩まで持って行かれるゲテモノ。そんなロマン銃器であっても、干渉者達を相手にするには力不足。
「独りで戦い始めた頃の菜沙ちゃん、自殺大好きマンかと思ったもの」
「じ、自殺大好きマン……」
それでも、戦いになるのは、唯一にして最大のジョーカーがあるから。
物理法則無視のなんちゃってファンタジー集団を、戦いの土俵に引きずり下ろす……この世界の法則を押しつけるという技術が確立されたから。
それがなければ、どれほど装備が発達しても、手に負えない。
物理攻撃無効とか、不死身とかいう能力を持った連中がザラに居るのだから……たまったモノじゃない。
「あっ、女の子だから自殺大好きウーマンか」
「自殺大好きウーマン」
和やかでのほほんとした空気感を醸し出す女性……明華花さん。柔らかな雰囲気に反して言葉選びがトゲトゲしている。
誰も、彼も、菜沙の独断専行に呆れている。その反応にはもう慣れた。
「い、いやいや。大概の相手は、素子をぶちまけて蜂の巣にしたらなんとかなるんですって」
「理屈の上では、でしょ。はぁー、やだやだ。理論値しか見てない上層部と同じ事を女子高生に言われるなんてぇ。こういう人間が、昔々に竹槍でも当たれば倒せるとか言ってたんでしょうねぇ」
「ぐっ……」
肩を竦めて、上の文句を並べ始めた。現場と御上の溝の深さは埋めがたく、意見が合わないものみたいで。
気持ちは良く分かるのだけれど、今責められてるのは菜沙自身。肩を竦めて小さくなることしか出来なかった。
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