先輩後輩ロマンシス その12

 目の前に広がるのは、中身がスッカラカンのお弁当という凄惨な事実。菜沙にとって数少ない、楽しみが目の前で消滅して、目の端に少しだけ涙が浮かぶ。


「なず先輩が誰に私を重ねたって、関係ありませんから」

「本当に?」


 これ以上、お弁当の件を引き摺っていては話が進まないと、断腸の思いと先輩としての意地を総動員して、未練を断ち切る。


「思うところがないわけじゃないです。どんな人たちなんだろうとか、どういう関係なんだろう、とか……気になりますけど、それはそれ。今は横に置いておきます。そんなことより、もっと言いたいことがありますもん」


 気になる、といった時に僅かな息継ぎ。菜沙が隠し事ばかりで明かそうとしないことに、気づいている。とても、聡い子。


「それよりも、勝手に謝られて、自己完結される方がずっとずっと、イヤです」

「……そっか」


 葛代さんがぐいっ、と弁当箱を返却してくる。中身は当然、空っぽ。食べかけのお昼ご飯の重みは、葛代さんの感情の重み。


「私が、なず先輩と一緒に話すのも関わるのも、自分で決めます。勝手に決めないでください……イヤならイヤって言う人って知ってます。だから、私と居るのがイヤじゃないことくらい分かってるんですから」


 更にグッ、と詰められる距離。背中は、壁。これ以上、逃げられない。


「ご、ごめん」


 目と鼻の先に、女の子の顔。大きな瞳に、小さな鼻。お弁当を食べたばかりでテラテラと艶めく唇。こんなにも、誰かに近づかれたことなんて、いつぶりだろうか。突き飛ばすことは勿論、逃げることも、出来なくて。

 精一杯の抵抗は、ただ、目を合わせないように逸らすこと、だけ。


「私も、ごめんなさいっ」


 目を逸らしたままの謝罪に、帰ってきたのは許しではなくて、全く同じ、謝罪だった。謝られる理由なんて欠片だってないにも関わらず。

 逸らした目を、咄嗟に真っ直ぐ、前へ向ける。


「思い出させたくないことを、思い出させちゃったんですよね。悪気があろうとなかろうと、それだけは事実ですから」

「そんなことで謝る必要ないでしょ。気を遣ってくれたのに、勝手にナーバスになって喋ったのは私。悪くないのに謝るのはおかしい」

「いーんです。これで。ごめんなさいとごめんなさいがぶつかり合って、この話はおしまいっ。後を引かない……じゃ、ダメですか?」

「ダメだって。両成敗っていうのは、どちらにも非があって、初めて成立するものよ。なんだって葛代さんまで成敗されなきゃいけないの」

「私が、いいって言ってるんですから、いいんですってば」

「葛代さんがよくても、私がよくないって言ってるの」


 ごめんなさいを交換しようとすることで一件落着を計ろうとする葛代さん。対するは、キチンと清算すべき人間のみが謝罪を述べるべきだと、菜沙。

 二人揃って、溜め息を吐く。

 どちらともなく、肩の力を抜いて、苦笑い。揃って、元の位置に腰を落ち着けた。


「なず先輩の事、全然分かってないんだって分かりました。意外と、面倒くさいんですね」

「私も。あなたのことを、何も知らないのね。結局、なんでお弁当が食べられたのか分からずじまいだし」

「それは……あの。今度は私がなず先輩にお昼を準備してきますって、次の約束を取り付けるため……です」

「どうしてそんなに私を慕ってくれるのか分かんないけど……したたかね」

「そうでもしないと、なず先輩と出来た細い繋がり、消えちゃいそうでしたから」


 お腹は殆ど膨れなかったけれど、心は少しだけ満たされていた。心の底からの不毛な会話が、きっとその理由。コンクリートに体重を預け、ぼぅ、と空を見る。いつのまにか鳶は居なくなっていた。餌場を見つけたのだろうか。


「私達、まだ、出会ったばかりなのよね」 


 葛代さんが人好きのする笑みを浮かべた。

 昨日今日の短くて、弱い、繋がり。出会いは特殊で、その後、記憶を消すなんていう普通とは言い難い始まり方。


「もっと葛代さんの事が知りたいわ」


 考えることなく、自然と鳥居菜沙としての想いが音になっていた。普段みたいな、相手を傷付けない為にはどうすればいいか考えすぎた上で出てくる絞りかすのような言葉ではない。

 葛代芹という後輩の傍は居心地がいいと、気づき始めていた。


「私も、なず先輩の事、いっぱい知りたいです!! これから、もっとっ」

「ほんと? 幻滅しなかったの? 孤高のヒーローって言うには、みみっちいでしょ?」


 実際の菜沙は、ヒーローよりも、ヒステリー。クラスチェンジというか降格。一度ちょっとしたことで助けただけなのに少しも菜沙から距離を置こうとしない。義理深いタイプなのだろうか。


「少し、想像してたのとは違いましたけど……でもなず先輩は、知らない世界を見せてくれました。ここからの景色は、なず先輩が連れてきてくれたから触れることが出来た世界です」

「違う、世界……か」


 異世界。とは全く違う意味だという事は、分かっては居た。それでも、一瞬、引っかかってしまうのは、職業病なのかもしれない。


「そうです。小さい時、新しい傘を買って貰っただけで、嫌いだった雨の日が待ち遠しくなる、みたいなこと、ありませんでした?」

「……あった、わね」


 お揃いの靴。色違いの雨具。次の日、使えることを楽しみにして、ワクワクとして眠り……いつもよりご機嫌な一日を過ごす。外で過ごすことや、雨が来ることを望んでしまう。

 物自体は、いつでも買えるモノ。けれど、あの時にしか感じ取れないものは、確かにあった。

 葛代さんが立ち上がり両手を広げた。遮るモノが何もない屋上は風がよく通り、髪を、制服を揺らす。


「この景色だって、なず先輩と見るからいいなって思えるんです」


 伸ばした手のひらを帽子のつばみたいに額に添えて、遠くを見る葛代さん。そんなに見回したところで特別なモノは何もない、ただ街が見えるだけだというのに。

 首を横に振る。特別かどうかを決めるのは菜沙ではなくて、葛代さん自身。菜沙がどうとかは、関係ない。


「葛代さんなら、私とじゃなくたって幾らでも素敵な世界を見つけられると思うわ」


 菜沙と居ると、違う世界が見える。それは事実かもしれない。けれど、そう思えるのは誰よりも素敵な感性を持っているから。事情を十重二十重に抱えているような菜沙ではなくたっていい。友人と日々を過ごすだけで、掛け替えのない大切なモノだと感じ取って、宝物だと気づくことが出来る。純真無垢な心は測ることは出来ないけれど、確かな価値があるもの。羨ましいほどに。


「ムッ、またそういう言い方。でも、イヤじゃ無いんですよね?」

「イヤなもんですか。慕われてへそを曲げるほど偏屈じゃないつもりよ」


 思わぬ反撃に、少しだけ、声が大きくなる。つい距離を離すような言い方ばかりしてしまうのは、真っ直ぐ好いてくれる相手が殆ど居なかったから。

 そうやって冬場の鉄みたいに冷えた態度をしていたものだから、周りからは人が更に居なくなっていた。

 別にそれでいい、今でも思っている。時間も取れない、いつ死ぬのかも分からない菜沙に、時間を割いても、居なくなったときには棘を残していくことしか出来ないのだから。

 だというのに葛代芹という少女は、菜沙の迂遠な棘すら自分自身の武器にして此方へと近づいてくる。


「私も、同じですよ」


 心根がそのまま形になったような純朴な笑みが、菜沙に向けられる。眩しい。


「って言っても、気持ちを幾ら伝えても、納得できないタイプだっていうのは、なんとなーく分かってきました」


 すぐに、その笑顔が引っ込んで、肩を小さく竦められる。

 空を見上げた、葛代さん。同時、偶然にも空を泳いでいた小雲が、太陽の前へと躍り出て、僅かな陰りが生まれる。


「あんまり言いたくなかったんですけど」


 枕詞を小さく添えてから、一呼吸の間。生唾を飲み込んで、姿勢を正す。


「助けられた時、ツインテールだって思って、顔を見たら……カッコいいのに可愛いというか、こう、ビビッと来ちゃったというか……顔立ちが、好き? みたいな理由もちょっとだけ、あったり」


鳩が豆鉄砲を食ったよう、な表情を、したと思う。

 深刻そうな表情で溢された、『言いたくなかった理由』とやらは、全くの予想外。シリアスな話が来る……と、ほんの一瞬、身構えた自分がバカみたいだ。


「顔が好き」

「はい。それと、ツインテールの合わせ技」

「ツインテールの合わせ技」

「はい。天然記念物モノですねっ。低い位置のおさげツインならまだそれなりに見かけるんですけれど高い位置のハイツインともなると中々希少価値が高いんですよ。けどですね、希少だから即ち価値があるのかと言われれば中々難しいモノなんです。希少であること自体に価値を求めているわけではないんです。喩えるなら、牛一頭から五十グラムしか取れない希少部位って言われたって美味しくなければ意味が無いのと同じなんですよね。それを誰もが理解しているから、幼い時にはしていたツインテールから自然と距離を置く……そう、私みたいに。でも、なず先輩のツインテールは、その自然の摂理から逸脱している、似合っているツインテール!! これを天然記念物と言わずに何が記念物に選ばれると言うんですか!!」

「え、えぇ……」


 まさかの理由に目を丸くしていたのも束の間、ミンチメーカーさながらの言葉の掃射。

 心なしか、左右に結んだ髪も驚きでフルフル、震えて萎縮している気がする。


「ツインテールが似合う顔立ちって、ツインテール以外も似合う顔立ちが大体なんです。元が整っているというパターンが多いと思いますね。実際、なず先輩、凄い美人さんですし。それも合わさって近づき難いんだと思います……と、それは置いておいて、美人だからこそ、選択肢が多い。これは分かりますね?」

「あっ、はい。うん……」


 この少女の心を純真無垢だと評したのは、尚早だった気がしてきた。


「つまり、多いにも関わらず、ずっと、ツインテールを貫き通してくれているなず先輩のありがたみは凄いんですっ。毎日毎日、高さも左右のバランスもズレなく黄金比を維持。癖のない髪は歩く度に綺麗に揺れて、風に流される毛先を見るたびに部屋のカーテンにしたいって思ってますもんっ。正にツインテ界の真田信繁。日の本一のツインテールと言っても過言ではありませんっ」


 ませんっ!! と、言い切った葛代さんは息切れしながらも満足そうに胸を張っている。

 あまりの展開と情報量に、為すがままにただ、聞くことしかできなかった菜沙。ポカンと口を半開き。間には、気まずい沈黙がころころ、転がる。

 十秒ほどの沈黙。どこかからか、ピーヒョロロと、鳶の鳴き声。それから、こほん、と葛代さんの咳払いが重なった。


「……っていう、自分勝手な理由もほんの、ほんのちょっとだけあったりしますよ? ほら、結構、現金な理由だと思いません?」

「ちょっと……?」

「そりゃもう、ちょっと、です。メロンパンに含まれてる果汁くらい!!」


 親指と人差し指で、重ねるように少しだけアピールをしてくる葛代さん。そもそもメロンパンに果汁は含まれていただろうか……なんて、どうでもいいことにまで意識が発散しているあたり、勢いに呑まれているのだろう。


「理由がツインテールなら、いいかな」


 片手で、一束に触れ、指先でくるくる、弄ぶ。癖の少ない直毛は、するする、指先からこぼれ落ちていって、しまいには、元通り。


「えっ、いいんですかっ」

「うん。ツインテールだから、いいの」

「な、なしてっ……!?」


 手隙を埋めるように毛先に触れながら、うーん、と考えた末……


「それは、これから……じゃ、ダメ?」

「……だ、ダメじゃないですっ!!」


 理由なんて大したことはない。昔の知り合いがセットしてくれた想い出の髪型という、ただそれだけ。

 でも、すぐに教えてあげるのはなんだか勿体ない気がして……意味ありげに、後輩を揶揄うよう、弄ぶ。

 昔、似合うと褒められたツインテール。それを、続けた事が今の縁を作り……一緒に昼食をするに至った。過去から今へと繋がったみたい。


「明日も、明後日も、一緒にお昼、しましょう!!」

「友達は大事にね……?」


 誘ってくれるのは嬉しい。けれど、人好きのする葛代さんには友人がいるはず。それを蔑ろにしてまで、付き合って貰うのは、なんだか忍びない。


「大丈夫ですよっ。授業中も、休憩中も一緒に居るんですから、お昼くらい別だって」

「葛代さんがそれでいいなら構わないけど、無理はしないように。周りをきちんと見ること」

「りょーかいです。あっ、あと、連絡先教えて貰ってもいいですか?」


 当然と、頷く。今日は迎えに来てくれたからいいものの、すれ違ってしまっていたら約束を違える所だった。それに、昼食の約束にいけなくなった時に連絡できなくては困る……断る為に必要、と考えてしまう自分に嫌気が差す。

 互いに、連絡先を交換して、目を合わせる。


「これで、いつでもなず先輩とお話しできますねっ」


 そう溢して、相好を崩す葛代さん。釣られて、そうね、と頬が緩んでいた。

 丁度、見計らったかのように予鈴が鳴り響く。


「名残惜しいけど、そろそろ戻りましょっか」


 立ち上がり、手を差し伸べる。瞬き一つ分の間。それから、葛代さんは差し伸べられた手を握る。そのままグイッと引っ張って、立ち上がらせた。


「お、おぉっ。なず先輩、やっぱり力持ちなんですね……」


 まるでティッシュペーパーを一枚手に取るように、立ち上がらせたモノだから、そういう反応も致し方なし。


「葛代さんが軽いのよ」


 なんて、誤魔化してから手を離した。戻ろうと、踵を返そうとしたけれど、動こうとした足は止まった。

 葛代さんが、今日一番の笑顔をにんまりと浮かべていたから。


「……そんなに、嬉しかった?」


 適当に言っただけの一言が、そんなにも琴線に触れたのだろうか。そうだとしたら、微妙に申し訳なかった。


「はいっ。一個、知っちゃいましたから」


 グッと伸びを一つ。歩き出した葛代さん。菜沙の前に躍り出て、くるり、振り返る。


「なず先輩の自然体、すっごく素敵だなって」

「あっ」


 言われ、気付く。

 いつの間にか、言葉を必死に頭の中で取捨選択しようとする回路の電源が、オフになっていることに。どこで、切り替わったのだろうか。自分ですら分からない。

 どうしようもならない悪癖が、知らずのうちに取り払われていることに、驚きが隠せないで居ると……葛代さんは笑顔のまま、菜沙の手を取る。


「今日、一緒に帰りましょうっ!!」


 今度は、後輩から、次の約束の切符を手渡された。

 それに対する、答えなんて一つだけ。


 帰り道が、楽しみだった。

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