先輩後輩ロマンシス その11

「あー……」


 やっぱりサボればよかった。そう、タラタラと愚痴を並べる。心の中で。

 遅れました、と言いながら授業中の教室に入った時の視線。それから、よりにもよって教師が七面倒くさい数学の授業。罰として当てられ、サラリと、答えたらクラスメイトからの視線で針のムシロ。答えなかったら、これ見よがしにチクチクと嫌味を言われる。どうすればいいというのか。

 戸羽司令か、情報部が色々なところに対して手を回してくれて居るのだろうけれど、どうせならこういう細かい所のアフターケアまでやって欲しい。


 ともあれ、なんとか乗り切って昼食の時間。そこで、はたと気づく。菜沙は葛代さんの連絡先を知らない。

 連絡先を交換、という経験に乏しい菜沙。そこまで気が回らない、自身の対人コミュニケーション能力の低さに嘆息。

 情報部に頼んで、調べて貰うか……と、逡巡するが、却下。私情百パーセントにも程がある。


「なずせんぱーい」


 うんうん、唸りながら、どうやって合流するかを悩んでいると、遂には声まで聞こえだした始末。


「えっ」


 顔を上げる。視線の先、教室の入り口でフルフルと手を振るっている、可愛らしい後輩。ふわふわの髪が手に合わせて揺れていた。その表情は少しだけ居心地が悪そうで。

 二年の教室まで一人でやってきた一年に、物珍しげな目が向く。それも、呼んだのは腫れ物の扱いされている鳥居菜沙。顔には笑顔が浮かんでいるけれど、どこか固い。見知らぬ場所に連れてこられた小動物のようで。

 すぐに、バッグを引っ掴んで、葛代さんの下へ移動する。これ以上、葛代さんを奇異な視線に晒したくは無い。


「その、迎えに来てくれて、ありがと。それからごめん、私から行くべきだったね」

「いえいえ、先輩を迎えに行くのも後輩の務めですからっ」

「そういうものかな……」

「そーゆーモノですよ」


 葛代さんの手を引いて、渡り廊下を抜けて、階段を上る。辿り着いたのは生徒の少ない、西校舎。言ってしまえば菜沙のサボりスポット。


「えっと、どこ行くんですか?」


 生徒の多い本校舎とは違い、西校舎は古く、部室用に宛がわれていたり、一部の特別教室が備えられているだけで、人の出入りは少ない。


「私、ちょっと浮いてて、他の生徒に変な目で見られるのよ」

「その、さっきみたいに……?」

「そっ。直接どうこうする勇気はないみたいだけど、居心地は悪いのよね」


 階段を更に上って、行き止まり。屋上前のちょっとしたスペースはシン、と静まりかえった埃っぽい。どこからか運び込まれた学習机の上には、目に見えるほどの埃が降り積もっていた。

 辛うじて遠くから聞こえる雑踏が、学校内であることを思い出させる。人が寄りつかず静かではあるが、こんな埃まみれの場所で昼食を囲むつもりはなかった。


「……あんまりこういうの教えちゃダメなんだろうけど」


 扉は鍵が掛かっていて、鍵は持っていない。


「よいしょっ、と」


 ノブを握って持ち上げるように、力を込める。ギギギと、軋みを上げる鉄扉。仕上げとばかりに持ち上げたまま、押し込むと、あら簡単。


「建て付けが悪いのか、ちょっと工夫したら開くの、ここ」

「なんでそんなこと知ってるんですか……?」

「サボり場所を探してあちこちうろちょろした上に辿り着いた秘密の場所よ?」


 首を傾げながら、屋上に。本校舎よりも、立地が山麓方面に面しているからか、山から吹き下ろす風が心地良い。


「こっちこっち」


 葛代さんの手首を掴んで、屋上の階段室の影、本校舎からは見えない死角へと隠れるように連れ込む。


「バレると、怒られちゃうから、ね」

「は、はいっ」


 壁にもたれて、座り込む。ひやり、影となっているからか、比較的冷たいコンクリートが身体から熱を奪う。山からの風は、不純物が少なくて心地良い。


「……ここ、よく来るんですか?」


 影に座り込んで、バッグの中から、唯一の装備以外の荷物である弁当箱を取り出す。菜沙が取り出すと、葛代さんもまた手にビニール袋の中からパンと飲み物を取りだして、菜沙の横に腰を下ろした。


「時々、かな。後は、あー……寝たふりしたり、別の場所に行ったり」


 色々追求されても面倒だし誤魔化そうかな、と思ったけれど、葛代さんにはどうしようもない部分で嘘を吐きたくない。記憶を弄っているという後ろめたさがあったから……せめて、それ以外の部分では正直に答えたかった。


「なず先輩。友達、居ないんですか?」

「ぐっ」


 的確に要点を見抜いてくる辺り、明るいだけではなく結構鋭い。友達が欲しいかと言われれば、微妙。欲しいから作るモノではなく自然となっているものと思っているのは、都合が良すぎるだろうか。ともかく、友達が居ない、と後輩から直裁的過ぎる指摘を受けると、流石に堪えた。


「そこは、その、ほら……一匹狼って感じのキャラで売ってるからさ」


 ウソだ。そんなことは自分が一番分かっている。

 学校なんて……と、斜に構えている菜沙ではあるけれど、慕ってくれている後輩からのイメージダウンは避けたい。小さいけれど、プライドは持ち合わせている。


「一匹狼って自分で言うんですね……」

「うぐぅ……」


 図星を突かれて、がくり。頭を垂れる。学校で一人であることを、自分自身でロンリーウルフなんて言ってしまう先輩、痛々しくて仕方が無い。菜沙だって、自覚している


「でもなず先輩って同級生からすると、ちょっと扱いにくいって言うか、怖いんだと思います」

「怖い……か」


 情けないとか不気味、ではなく、怖い。そう思われるのは仕方ないだろう、納得している。

 相手が敵であるなら、先輩だろうと、教師だろうと、不良だろうと、気に食わないと意地になってしまう。先輩に対して、いわゆる『なめた口』を利く菜沙には関わりたくないのは致し方なし。

 この性分は、スーパーサイボーグ菜沙に変身する前からの筋金入りなので、治しようがない。


「私はもう怖くないですからっ」

「……ってことは、元々は怖かったんだ」

「あっ」


 うろ覚えだけれど、葛代さんが絡まれていて困っていたから、助け船を出した。たったそれだけだというのに。


「だ、だって、なず先輩が助けてくれたときの第一声、『みっともないからやめたら?』ですもんっ……空気が一瞬でカチコチ、固まりましたもんっ」

「言った気がする、かも」


 まだ、学校に慣れていない一年生をよってたかって囲む三年。柔らかな拒絶を聞こえないフリして、しつこい勧誘を続けるという茶番を目の前で展開されたから、通りすがりに止めたというか、釘を刺したというか。

 幸いというべきか、菜沙が腫れ物扱いされているのは二年に限った話ではなく、三年も同様。言い争いになることはなく、関わり合いになりたくないから勝手に距離を置いてくれる。


「なず先輩は、容赦が無いってことでここは一つ」

「そこを落とし所にされるのは、あんまり、嬉しくないけどさ……」

「まーまー、そんなことよりお昼、食べましょうよ」


 確かに、いつまでも落ち込んでいては、食べる間もなく昼休憩が終わってしまう。とりあえず、これ以上言及するのはやめて、意識をお弁当に切り替える。美味しい昼食で、燃料補給。ぱかり、と曲げわっぱ弁当箱の蓋を開く。


「おぉー、意外と和!! って感じなんですね。もしかして、先輩の手作りだったり……」

「そっ。一応、全部手作り。とはいっても、いつも作ってるわけじゃ無くて暇なときに作る趣味みたいなものだけどね」

「て、手作り……」


 一瞬の沈黙。どこか、遠く、中庭の方から笑い声が聞こえてきて、何処へともなく消えていく。遠く、空を舞う鳶が、くるくる回っている。何を探しているのだろうか。


「寮生なんですか?」

「ううん、普通に一人暮らし」

「えっと、実家から出て部屋を借りてるとか……」

「あー……そもそも実家なんてないのよね」


 菜沙の言葉の切れ端から、目に見えないほど微細なニュアンスを拾った葛代さんは何かを言いかけようとして、閉口。グイグイ来るように見えて、繊細な部分ではすぐに足を引いた。きっと、聡い子なのだろう。

 他人からすると触れづらい話題でも、菜沙にとっては別に隠し立てするほどのことではない。


「母親も、父親も、物心ついた時から居ないのよ。なんだったら祖父母も親戚も、殆ど居ない。所謂、天涯孤独ってヤツ……って言うと重苦しく聞こえるけど、私は特に気にしてないのよ。最初からこうだったからね」


 弁当箱の中、黄色を箸で突いて、口に放り込む。菜沙の好きな、白出汁ベースのだし巻き。

 気にしていない、と言ったけれど、葛代さんの気まずそうな表情は変わらぬままで。菜沙にとって家族の話題はそれほどナイーブな部分ではない。最初から居なかったから、気にしたことはない。とんかつを食べたことがない外国人が、とんかつを食べたくて仕方ない欲求に襲われないみたいなもの。


「ただ」


 今日は、やけに口の滑る。誰かと家族のことなんて滅多に話すことないからだろう。それも、掘り下げて本当のことを話すなんて、いつ振りかも分からない。

 味の染みこんだ、筑前煮を箸で掴み、舌の上へ。やわらかく、角のない味付け。素材の味を活かす、和食の良さ。舌だけで形が崩れる柔らかな人参。嚥下される唾液と混ざり合って形を失った人参とは裏腹に、私情が、ぽろぽろ、口の端からこぼれ落ちていく。


「家族みたいだった人たちは、居たかな」


 両親はもう、どうでもいい。けれど、家族ではなくたって拠り所みたいな場所が菜沙にはあった。その事実は今もミルクティーの底、沈んだガムシロップのような重たい澱となって残り続けている。

 言葉にしてから、誰にも言ったことがないことを、出会って一日そこらの葛代さんに零れたことを自覚。


「せん、ぱい……?」


 葛代さんは突然告げられた、思いも寄らない、息苦しい話に戸惑っている。当然だった。

 楽しみにしていた昼食を、先輩のつまらない身の上話で台無しにされているのだから。

 どうして葛代さんに口が滑るのか。どうして葛代さんに悪く思われたくないのか。どうして……さっさと記憶を消さずに付き合ってしまったのか。


「葛代さんに、その人たちを重ねてたみたい」


 性格も、見た目も、そこまで近いわけではない。けれど、無愛想で冷たい菜沙を慕ってくれている……という一点だけで、知らずのうちに重ねていた。


「つまんない話した上に、勝手に他人を重ねたりして、ヤな先輩だ」


 葛代さんそのものを見ていなかった。返す言葉もない。

 葛代芹という本人を見ていたわけではない。昔の知り合いを重ねていただけ。失礼だと、自覚したところで手遅れ。

 真っ直ぐ向けられる瞳に、全然向き合っていなかった。


「やっぱさ、葛代さん。私と関わるのはこれっきりにしたほうが」

「ストーップ」

「んぐっ!?」


 真っ直ぐな少女は、こんな陰気くさい女と関わらない方が良い。喉元から氾濫した言葉は、開いていた口からあふれ出る手前で堰き止められる。もの凄い勢いで何かが飛来して、防波堤となり、言葉の続きを、止めた。物理的に。

 堤防には、豊かな小麦の香りと、滑らかなクリーム。小振りなクリームパン。1パック5個入り、食べやすさとボリュームを両立した老若男女に好かれるベストセラー。

 ただ、そんな安定的な美味しさを誇るクリームパンだけれど、口腔内は大惨事。筑前煮の味が染み染みの蒟蒻と、南蛮渡来のクリヰムがぶつかり合い、盛大な交通事故が繰り広げられていた。

 そのうえ、思い切り押し込まれたモノだから、咀嚼するのも精一杯。口の中がパンでパンパン。なんてくだらない事が、頭を埋めるのは味覚がパニックを起こしている証拠。

 どうにか、嚥下しないと、と。顎を動かすと同時、気付く。

 菜沙の弁当が、葛代さんの手に握られていることに。


「いただきますっ」

「んっん!!」 


 待って。そう、呼びかけたのだけれど、宜なるかな、全く伝わらない。

 一度口に入れたモノを吐き出すのは勿論、液体で流し込むのも品がないと、必死に咀嚼。

 対する、葛代さんは驚くほどの吸引力で、菜沙の元気の源をモリモリ、かき込むように口の中に放り込んでいく。吸引力が全く落ちない。素材の味を活かした、ゆっくりと味わえば味わうほど楽しめる和食だから急いで食べるなんて……と、心が悲鳴を上げるけれど、声は出せない。

 ようやく、口の中のものを、ごくり、飲み込んだ時には、時既に遅し。


「ごちそうさまでしたっ」


 ぱちんっ、と両手を合わせて、ご飯粒一つ残さず綺麗に完食。


「わ、わたしのおべんと……」

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